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Channel: 私が好きな曲(クラシック音楽のたのしみ)
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シューベルト 歌曲集「美しき水車小屋の娘」D795 の名盤

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せっかくシューベルトを続けているのだから、歌曲を取り上げます。

手持ちのCDを調べ、有るはずのCDが無く、無いはずのCDが有るのに驚きました。すごく久しぶりに聴くので、そういうこともあるのでしょう。

フランツ・シューベルト
歌曲集「美しき水車小屋の娘(Die schöne Müllerin)」作品25、D795

シューベルトは、ヴィルヘルム・ミュラーによる以下の20篇の詩に作曲しました。(Wikipediaからコピペさせていただきました。)

第1曲 さすらい Der Wandern
第2曲 どこへ? Wohin?
第3曲 止まれ! Halt!
第4曲 小川への言葉 Danksagung an den Bach
第5曲 仕事を終えた宵の集いで Am Feierabend
第6曲 知りたがる男 Der Neugierige
第7曲 苛立ち Ungeduld
第8曲 朝の挨拶 Morgengruß
第9曲 水車職人の花 Des Müllers Blumen
第10曲 涙の雨 Tränenregen
第11曲 僕のもの Mein!
第12曲 休み Pause
第13曲 緑色のリュートのリボンを手に Mit dem grünen Lautenbande
第14曲 狩人 Der Jäger
第15曲 嫉妬と誇り Eifersucht und Stolz
第16曲 好きな色 Die liebe Farbe
第17曲 邪悪な色 Die böse Farbe
第18曲 凋んだ花 Trockne Blumen
第19曲 水車職人と小川 Der Müller und der Bach
第20曲 小川の子守歌 Des Baches Wiegenlied

ヴィルヘルム・ミュラーが、この詩を作ったときの言葉

わたしは歌うことも弾くこともできないけれども、詩を書くとき、歌いもし、弾きもする。私が自分の調べを示せたら、わたしの詩は今より多くの人に気に入られるだろう。しかし、わたしは安心している。わたしと同じ心の同じ気持の人が見つかって、その人が歌詞の中から調べを取り出して、わたしに戻してくれるだろう。
「シューベルト 生涯と作品」藤田晴子著(音楽之友社)より

手持ちの音源を半分くらい聴いたところで、この聴き比べ企画は失敗であったかもしれないと思うようになりました。この曲に限ったことではありませんが、簡単に優劣を決められるものではないということに気がつきました。聴き直していると、終わりそうにないので、もうこれぐらいでアップします。


イメージ 1

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
1961年12月、ベルリン

9番目に聴いたCD
10年後のDG盤との比較でいえば、ずばり、こちらの方が好きです。意外というか、そんな予感はしていたのです。ディースカウは1925年生まれですから、この録音時、36歳でしょうか。年齢的にはけして若くはないのですけれど、でも、若々しいです。歌唱に勢いのようなものがあって、ぐいぐい惹き込まれるものを感じます。この歌曲集ではそのようなことが大きな意味を持ちます。発声も、ディースカウ特有の鼻にかかった声(悪い意味ではありません。発声の基本でしょう)が、気にならず、素直に美声と思います。ムーアの伴奏も味わい深いものですし、これなら歌手も歌いやすいでしょう。お薦めしたいCDです。朗読は要らないかも。



イメージ 2

フリッツ・ヴンダーリヒ(テノール)
フーベルト・ギーゼン(ピアノ)
1966年7月、ミュンヘン

12番目に聴いたCD
最初に「ヴンダーリヒってこんな声だったっけ? 苦み走ったというか、いぶし銀というか、ドイツで好まれるテノールとはこういう声?」などと、けしからんことを考えながら聴き進めました。これは名盤でした。旋律の歌い方が絶妙です。表現が過剰にならず、かといって味が薄いわけではなく、よい塩梅です。そのスタイルはロマンティックと言っていいかもしれません。高い音でも逃げずに果敢に挑戦するところがスリリングです。ギーゼンのピアノも、しっくり来ます。惜しいのは録音で、ピアノの音が濁っているように聴こえるときがあるのと、全体に古くなりつつある(埃っぽい音がする)のです。でも、そんなことは些細な問題で、久しぶりに聴いて聴き惚れました。



イメージ 3

ペーター・シュライアー(テノール)
ヴァルター・オルベルツ(ピアノ)
1971年2月、3月、ドレスデン、ルカ教会

10番目に聴いたCD
マイクに近いのでしょう、後年の録音より声が明瞭です。さすがにシュライアーは巧いです。声のコントロールは万全ですし、感情表現がとても豊か。これに匹敵するのは、ヴンダーリヒとディースカウ、ボストリッジぐらいでしょうか(思いつきです)。私は表現が過剰とは思わないのですが、もっと自然な歌い方のほうが良いという意見もあるかもしれません。でも、これは一聴に値する名盤と思います。ただ、この録音もピアノがイマイチで、ドタバタしているように聴こえるときがあるのが惜しいです。



イメージ 11

ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)
ジェラルド・ムーア(ピアノ)
1971年12月、ベルリン

8番目に聴いたCD
ディースカウ&ムーアのコンビによる録音では、このDeutsche Grammophonへの録音が、完成度の点で評価が高いです。今回久しぶりに聴き、やはりドイツ・リートはこのように子音を発して歌わなければならない等、いろいろ学ぶことは多かったのですが、聴いているうちに少しつらくなってしまいました。すごい演奏であることには違いないのですが。



イメージ 4

ヘルマン・プライ(バリトン)
フィリップ・ビアンコーニ(ピアノ)
1985年8月、ドイツ、ヴィルトバート・クロイト

7番目に聴いたCD
プライの「美しき水車小屋の娘」は数種類あって、伴奏がエンゲル、ホカンソン、ビアンコーニの3種類でしたでしょうか。どれが最もよいのかわかりませんが、伴奏がビアンコーニのこの録音は、あまり評価が高くないようです。久しぶりに聴いたのですが、歌もピアノも良かったですよ。美声だし、歌い崩しのない自然な表現、ドイツ語の発音など、さすがプライと思いました。プライのシューベルトに対する尊敬と愛情がうかがえる好演です。



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ペーター・シュライアー(テノール)
アンドラーシュ・シフ(ピアノ)
1989年8月、 ウィーン

11番目に聴いたCD
最初に伴奏について書きます。シフのピアノが素晴らしいです。シフのシューベルト・ボックスを買うべきであったと、ちょっと後悔。シュライアーは71年の録音に比べ、ややマイクが遠くなります。表現はさらに深みを増しましたが、声のエネルギーはやや後退しているかも。シュライアーのCDを一枚選ぶのであれば、71年録音を選ぶべきでしょう。ただ、シフのピアノが捨て難いのです。



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クリストフ・プレガルディエン(テノール)
アンドレアス・シュタイアー(フォルテピアノ)
1991年1月、ツェルティンガー

5番目に聴いたCD
このCDは繰り返し聴きました。懐かしいです。でも、今回はあまり良いとは思えなかった。プレガルディエン、けして悪くないのですが、この録音では、きちんとし過ぎているというか、真面目過ぎるというか。
そしてシュタイアーのフォルテピアノ。以前はその音色と音量の加減に伴奏楽器としての価値を見出していたのですが、今回は表現力に乏しい楽器と感じました。この楽器では、歌手は歌いづらいのではないでしょうか。
なお、シュタイアーが弾いている楽器は「ヨハン・フリッツ[1818年製ウィーン]のモデルによるクリストファー・クラーク製[1981年パリ]」だそうです。



イメージ 12

ヴェルナー・ギューラ(テノール)
ヤン・シュルツ(ピアノ)
1999年10月

2番目に聴いたCD
ボストリッジ&内田光子組の直後に聴いたのがよくなかったのかもしれませんが、ギューラは、発音とか発声とか音程とか強弱とか、いろいろ考えすぎではと思いました。ディナーミクを大きめに取るので、ヘッドホンでは小さな音が聴きづらいです。結果として「歌えていない」ように感じられます。それはテンポが遅めの曲で顕著であり、曲を長く感じさせてしまうのです。ヤン・シュルツのピアノも感心しません。うるさく感じられるときがあります。でも、もう一度聴き直してみたいCDではあります。



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イアン・ボストリッジ(テノール)
内田光子(ピアノ)
2003年12月

1番目・14番目に聴いたCD
こんなに多彩な表現を、なんと容易くボストリッジは歌うのでしょう。驚異的です。高域から低域まで均質に響く発声、きちんと子音を収めていく独語のディクション、ディナーミクやらアゴーギクやら、なんやからかんやら、なにもかもボストリッジは完璧と言ってよいでしょう。
内田光子さん(EMIでは唯一の録音?)のピアノが非常に素晴らしい。歌手を立てて伴奏に徹しているのだけれど、慎ましくも雄弁かつ繊細で切れのよいピアノ。
なお、グレアム・ジョンソンの伴奏で歌った「美しき水車小屋の娘(FDの朗読付き)」(94年録音)は、96年のグラモフォン賞を受賞したそうで、そちらも是非聴いてみたいです。朗読は要らないのだけれど……。
新しめの録音は、テノールではボストリッジ&内田光子、バリトンではゲルネ&エッシェンバッハで決まりでしょう。対照的な2枚ですけれど。



イメージ 8

クリストフ・プレガルディエン(テノール)
ミヒャエル・ゲース(ピアノ)
2007年10月6-8日、ベルギー、モル、ギャラクシー・スタジオ

6番目に聴いたCD
歌もピアノも時々装飾を入れたり、所々音を変えて演奏していること。そのたびにドキッとします。それが許せなかったのですが、これはシューベルトの原典版ではなく、ヨハン・ミヒャエル・フォーグル(シューベルトの友人であり、高名な歌手。シューベルトの歌曲の普及に尽力した、とっても良い人)による版を使用しているのが理由のようです。プレガルディエンが勝手に音を変えて歌っているのだと思ってしまいました。以前の録音に比べ、雄弁な歌唱ですし、ゲースのピアノも良いですが、でもやっぱりオリジナル版で歌ってほしかった。どうしてこんなに歌えるのに、この版を使うかな。



イメージ 9

マティアス・ゲルネ(バリトン)
クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)
2008年9月6-8日、ベルリン

13番目に聴いたCD
ゲルネのプロフィールで「ハンス=ヨアヒム・バイヤー、エリーザベト・シュヴァルツコップ、ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウの各氏に師事」というところを読むたび、この人はすごい先生に教わった、ドイツリートを歌うために生まれてきたような人だ、などと勝手に思っています。これは不思議な演奏。シューベルトがもっと後の時代の人のように聴こえます。曲によっては現代的といっていいかも。この歌曲集に、まだこのような表現の余地があったとは。出来そうで出来ない、ゲルネにして可能な歌唱。「美し水車小屋の娘」でなく「冬の旅」のようです。
エッシェンバッハのピアノも素晴らしく、ゲルネの歌唱とともに幻想的かつ瞑想的であります。エッシェンバッハとでなければ、この名演は成し遂げられなかったでしょう。録音はもう少し残響がないほうが好みなのですが、スローテンポの曲にはこの残響が必要であったのかな。終曲は9分18秒ですよ。
(「マティアス・ゲルネ・シューベルト・エディション(12CD)」を買ってみようと思います。)



イメージ 13

ヨナス・カウフマン(テノール)
ヘルムート・ドイチュ(ピアノ)
2009年7月30日、ミュンヘン、マックス・ヨゼフ・ザール

3番目に聴いたCD
粉職人の若者はテノールで聴きたいという人には向かないCDです。高い音がない曲では、バリトンが歌っているように聴こえるカウフマンの声質は本当に独特。一般的なドイツ・リートの歌唱とはちょっと違います。いやだいぶ違いますね。「ワルキューレ」のジークムントが歌っているという感じでしょうか。ずいぶん勇ましくドラマティックな粉職人の若者ですが、カウフマンは主人公になりきって熱唱しています。私はこういうのもアリだと思い、楽しんだのですが、繰り返し聴くにはちょっとしんどいですね。



イメージ 10

マーク・パドモア(テノール)
ポール・ルイス(ピアノ/スタインウェイ)
2009年9月

4番目に聴いたCD
正統派の演奏に戻ったような気がします。これは良いです。マーク・パドモアは発声も発音もきれいだし、なめらかで自然な語り口がシューベルトの旋律の美しさを満喫させてくれます。これといった強い個性はないのかもしれませんが、私には十分な名演です。ピアノのポール・ルイスも歌手をよく引き立てた伴奏で、好感が持てます。



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