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Channel: 私が好きな曲(クラシック音楽のたのしみ)
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フランソワ=グザヴィエ・ロト(指揮)を聴く(その2)

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今回登場するオーケストラについて整理しておきたいのですが、このオケは、いろいろな事情によって名称が変わっていきます。

バーデン=バーデン市立療養地交響楽団 ⇒ 南西ドイツ放送管弦楽団 ⇒ 南西ドイツ放送大楽団 ⇒ 南西ドイツ放送交響楽団 ⇒ バーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団⇒ 南西ドイツ放送交響楽団(SWR Sinfonieorchester)という具合に。

フランソワ=グザヴィエ・ロトは、2011年から2016年まで、バーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団の首席指揮者の任にありました。短い間でしたが、名演を残しています。今回はそれを聴きました。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ヴェーベルン:大管弦楽のための牧歌「夏風のなかで」
バーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団
フランソワ=グザヴィエ・ロト(指揮)
2011年10月29日、11月2,3日 フライブルク,コンツェルトハウス

マーラーはけして嫌いな作曲家ではないのですが、ここのところ、年に数回しか聴いていません。中でも「巨人」は聴く機会が少ない交響曲です。
しかし、この演奏は何度も繰り返し聴いてしまいました。他の演奏と聴き比べをしていないので、あまり詳細について書くことはできないのですが、音楽が大変瑞々しく、清々しく、美しく、色彩的で、よく歌い、弾みます。「巨人」ってこんなに佳い曲だったっけ?と思いました。もしかしたら、この演奏は結構個性が強いのかもしれませんが、「巨人」はこれぐらいやってくれたほうが聴き甲斐があります。
モダン・オケ(それもドイツの)を振らせてもロトは、優れた指揮者であることを実感しました。これは「巨人」の演奏について語るとき、外してはならない名演でしょう。録音も優秀です。
ロトというと、ピリオド&モダン・オーケストラである「レ・シエクル」との録音が有名ですが、現代オーケストラを指揮させたらどうなのかという問いに対する答えがここにあります。


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リヒャルト・シュトラウス:
交響詩「英雄の生涯」Op.40
交響詩「死と変容」Op.24
クリスティアン・オステルターク (ヴァイオリン)
バーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団
フランソワ=グザヴィエ・ロト (指揮)
2012年11月7,8日 2012年6月26~28日 フライブルク,コンツェルトハウス

冒頭で息を吸い込む音が聴こえます。臨場感があって良いです。リヒャルト・シュトラウスは好きな作曲家ですが、私の場合、聴く曲が限られていて、好きな指揮者の演奏による「英雄の生涯」であっても、滅多に全曲通して聴くことはないのですが、これは最後まで聴けました。面白く、楽しく聴くことができたのです。これはすごいことだと思います。「死と変容」も名演です。

リヒャルト・シュトラウス:
交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯」Op.28
2012年6月23-29日 フライブルク,コンツェルトハウス
交響詩「ドン・キホーテ」Op.35
2012年12月20日 マンハイム,ローゼンガルテン
2012年12月21日 フライブルク.コンツェルトハウス
交響詩「マクベス」Op.23
2013年3月14,19日 フライブルク,コンツェルトハウス
フランク=ミヒャエル・グートマン(チェロ)
ヨハネス・リューティ(ヴィオラ)
バーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団
フランソワ=グザヴィエ・ロト(指揮)

このCDに収められている曲は、特に私が聴かない曲ばかりです。「ティル」なんて、少なくとも10年以内に聴いたことはないはずです。中学生の頃は「ドン・ファン」とともに、ショルティ/シカゴ響の演奏で親しんだ曲だったのですが。
それにしても、バーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団ってよいオーケストラですね。ベルリン・フィルやシカゴ響の演奏だと、4管編成のオケの響きだけでお腹いっぱいになってしまうのですが、この演奏はR.シュトラウスの巧みなオーケストレーションを楽しむ気持ちになれます。これも名演。
故吉田秀和氏が評価していた「ドン・キホーテ」も快演です。ロトの指揮によるオーケストラが実に活き活きと演奏しています。このオケで「春の祭典」を録音してくれたら……。


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リヒャルト・シュトラウス:
交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」Op.30
交響的幻想曲 Op.16「イタリアより」
イェルモライ・アルビケル(ヴァイオリン)
バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団
フランソワ=グザヴィエ・ロト(指揮)
2013年9月4,5日 2014年2月17,18日 フライブルク,コンツェルトハウス

冒頭のオルガンの重低音がすごいです。このCDも素晴らしい録音です。また、ティンパニがカラヤン/ベルリン・フィルのオスワルト・フォーグラーのようだと言ったら言い過ぎでしょうか。「アルプス交響曲」もそうですが、ティンパニがいい音を出しています。この「ツァラトゥストラ」も非常な名演で、私は長いことカラヤン/ベルリン・フィルによるいくつかの録音や映像が最上と思っていましたが、もしかしたら、これはそれを上回るかもしれないと感じました。また、全体の構成がカラヤンと似ているとも思いました。カラヤンよりも彫琢した表現がロトによる演奏の特徴でしょうか。


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リヒャルト・シュトラウス:
アルプス交響曲 Op.64
2014年11月5,6日 フライブルク,コンツェルトハウス
交響詩「ドン・ファン」Op.20
2014年9月28日 フランクフルト,アルテ・オーパー
バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団
フランソワ=グザヴィエ・ロト(指揮)

夜(Nacht)~日の出(Sonnenaufgang)~登り道(Der Anstieg)を聴き、なんて立派な「アルプス交響曲」という言葉が思わず出てしまう演奏です。これは演奏・録音ともに「アルプス交響曲」の最上のひとつに数えられます。少なくとも、これを聴いているときは、ベストワンではないかと思いました。私が好きな「アルプス交響曲」のCDはこれ1枚で足りると断言したくなったくらい。この大曲の、ほんの細かいところまでロトの意思が浸透し、それを体現するオケの優秀さに感服します。そしてそれを余すところなく伝えてくれる録音の優秀さ。雷雨と嵐、下山( Gewitter und Sturm, Abstieg)他で聴けるティンパニがカッコイイです。スペクタクルな音響だけでなく、日没(Sonnenuntergang)~終末(Ausklang)~夜(Nacht)のしみじみとした表現も見事です。
また「アルプス交響曲」の実演を聴きたくりなしましたが、理想的な編成だと150人くらい必要なので、そう簡単にはいかないのでしょうね。
「ドン・ファン」は、「ティル」と同じで、中学生の頃にはよく聴いたのですが、全曲を聴くことは十数年なかったと思います。これは冒頭だけ聴けばいいやと思ったのですが、演奏の見事さに、全曲聴いてしまいました。


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リヒャルト・シュトラウス:
家庭交響曲 Op.53
メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作
バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団
フランソワ=グザヴィエ・ロト(指揮)
2014年9月9-11日,2015年3月6日

リヒャルト・シュトラウスは好きな作曲家ですが、全部好きというわけではなく、この「家庭交響曲」のように、通して聴いたことが数回しかないという曲もあります。演奏自体は素晴らしいのですが……。
併録の「メタモルフォーゼン」のほうが楽しめました。もっとも、この曲は「取りかえしのつかない消失についてのなげき」「現実の死、一つの国家の死を描いた悲痛きわまりない死の音楽」という内容なので、楽しむと書くのは不謹慎なのかもしれません。


以上のように、非常に素晴らしいマーラーやリヒャルト・シュトラウスを聴かせてくれたフランソワ=グザヴィエ・ロトとバーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団ですが、このオーケストラはシュトゥットガルトSWR交響楽団(シュトゥットガルト放送交響楽団)に吸収合併され、南西ドイツ放送交響楽団になってしまいました。ロトの首席指揮者としての地位もそこで終わってしまったようです。残念ながら。


今回2番目に登場するケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団は、ケルン歌劇場の専属オーケストラで、前回書きましたとおり、ロトは、2015年からケルン市音楽総監督としてケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団及びケルン歌劇場を率いています。その最新録音です。


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マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
フランソワ=グザヴィエ・ロト(指揮)
2017年2月20-22日 ケルン、シュトールベルク街スタジオ

レコード芸術2月号 181頁で「驚異の耳!超絶エレガンス!ロトの真価漲る決定的マラ5」と題し、舩木篤也氏が絶賛した演奏です。
この演奏は数回聴きました。演奏の方向性はバーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団とのものとは変わらないと思います、が、私が受けた印象はだいぶ異なります。なんというか、ぎこちなさを感じるのです。ロトの意図を表現し切れていないように思えてならないのです。
例えば第1楽章の第1トリオ「突然、より速く、情熱的に荒々しく」、第2楽章終わり近くの「金管の輝かしいコラールがニ長調で現れる」、第3楽章の「コーダ」など、ロトであれば、もっと効果的に、感動的な演奏ができたのではないでしょうか。ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団との演奏は不完全燃焼に終わっているように思ってしまいます。
とはいえ、第4楽章の7分ぐらいのところからの、思わず息を呑むような美しさとデリカシーは全曲の白眉ですし、全曲を俯瞰すれば、なかなかこれほどの演奏には巡り合えないであろうという感慨もあります。

追記:なお、この曲に限らず、ロトはヴァイオリンの対向配置がお好みのようで、それを聴き取るのも楽しみのひとつです。



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