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マーラー 交響曲第2番「復活」の名盤 Th~Zi

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かかりつけのお医者さんは、私の健康診断の結果よりも、うちのスピーカーの音響特性が気になるようで、「スマホのアプリでよいから周波数特性を測って持参してください」と何度も言う。エアコンのノイズが入らないよう、土曜日の朝を選んで3種類のアプリを用いて(初めて)計測し、お医者さんに見せてあげた。見事にフラットなグラフで、「耳だけでここまで追い込んだのですか?」と驚いたご様子。しかし、ラクダの瘤のように10kHzあたりが持ち上がっている。「スピーカーのアッテネーターで調整してください、それでも足りないときはアンプのトーンコントロールで、えーっと、アンプはアキュフェーズでしたっけね、トーンコントロールはどうなっていますか?」と聞かれ 「トレブルとバスがありますが、使っていないので分りません」と答える。「熟練の技ですねぇ」と何度も褒められて悪い気はしなかったのだけれど、家に帰ってもオーディオの電源を入れる気がしない。猛暑だから……。それにしても、私は何のためにお医者さんに通い、診察料を支払っているのだろうか。

さて、マーラーの「復活」の8週目ですが、最終回となりました。このシリーズも長かったですね。このペースだと、1年に6曲ぐらいしか取上げられないので、今後は音源選びを徹底したいと思います。隠れ名盤を探し出すという楽しみは減りますが。


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マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
イザベル・バイラクダリアン(ソプラノ)
ロレイン・ハント・リーバーソン(メゾ・ソプラノ)
サンフランシスコ交響楽団&合唱団
ヴァンス・ジョージ(合唱指揮)
マイケル・ティルソン・トーマス(指揮)
2004年6月(ライヴ)
サンフランシスコ,デイヴィス・シンフォニー・ホール

【お薦め】
だいぶ前のことになりますが、マイケル・ティルソン・トーマス(以下、MTT)とサンフランシスコ交響楽団(以下、SFS)によるマーラー交響曲全集について書いたことがあります。好きな指揮者とオーケストラですから、おそらく絶賛したであろうと思いますが、あの全集の欠点は、録音の音量が低いことです。移動時間中にウォークマンで下聴きをするのですが、ボリュームを最大にしないと小さな音が聴こえません。自宅でもう一度聴いてみたら、全然印象が異なりました。大人しい演奏に聴こえていたのに、迫力が全然違います。実演で第5番を聴いたときのことを思い出しました。
第1楽章第1主題は生気に満ちた表現であり、かつ美しい演奏です。楽器のバランスは最上に保たれ、旋律は丁寧に豊かに歌われます。ここ一番のときの打楽器の強打、金管の咆哮など、迫力も十分。なお、ヴァイオリン対向配置でコントラバスは向かって左から聴こえます。
展開部第1部の第2主題もよく考え抜かれた表現で、非常に洗練されたものです。第1主題の展開も勢いがあり、速度の設定も申し分ありません。
第2部もその勢いで進行します。第1主題の動機の鋭さ、クライマックスの壮絶さ、テンポの伸縮も堂に入ったものです。素晴らしい。
再現部はクールダウンした感じで、しっとりと奏でられます。葬送行進曲も荘重であり、打楽器も控えめながら効果的に鳴らされます。
第2楽章は、SFSの弦が美しく、聴いていて気持ちがよいです。
第3楽章は、一転して速めのテンポですが、一糸乱れぬアンサンブルで、各楽器のつながりがスムーズです。トリオのファンファーレも輝かしく、その後の、のんびりした気分も上出来です。クライマックスの盛り上がりも、優秀な録音のおかげで、相当なものです。機械的な演奏ではなく、ぐっとテンポを落としたりすることもあり、変化と色彩に富んでいます。
第4楽章の独唱は、サンフランシスコ生まれのリーバーソンで、この録音の2年後に53歳の若さで亡くなってしまいました。そういうこともあってか、彼女の歌は心を打ちます。
第5楽章の冒頭はSFSの最大の音量で始まります。この音を再現したかったために、録音の音量が非控えめだったのでしょうか。第1部終わりの金管楽器は凄まじい音です。
第2部の打楽器はこれでもかというぐらいに長く引き摺ります。テンポはちょうどよいくらいですが、どこか余裕を感じさせ、じっくりと取り組んでいる感じがあります。そしてまた凄まじい音響。いったん落ち着いた後、再び激しいクライマックス。大規模管弦楽曲を聴く醍醐味を味わうことができます。
第3部は舞台裏のトランペットが巧いのですが、トップの人が移動して吹いているのでしょうか。合唱も上出来で、荘厳で美しいです。そして、バイラクダリアンも悪くないのですが、やはり。リーバーソンが良いです。合唱と管弦楽が最高潮の部分はMTTも緩急自在にたっぷりと得たわわせ、最後の一音まで全力投球で、力強い音楽でした。


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マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
マリア・シュターダー(ソプラノ)
モーリン・フォレスター(アルト)
ニューヨーク・フィルハーモニック
ブルーノ・ワルター(指揮)
1957年2月17日(ライヴ)
ニューヨーク,カーネギーホール

ワルターがニューヨーク・フィルとの演奏会で「復活」を指揮したのは、1957年2月14,15,17日ですから、このライヴは最終日、次のセッションはその翌日の録音ということになります。ずいぶん忙しい毎日で、ワルターの心臓に負担がかかったことでしょう。
ライヴとセッションとでは、モノラルとステレオという録音方式の違いや、音質の差もあり、演奏から受ける印象は若干異なるものの、録音年月日が1日しか違わないのですから、解釈はほぼ一緒です。歌手が異なる第5楽章だけを聴いてみました。
第5楽章第1部は、次のステレオ録音に比べると音質がよくないので聴き疲れしますが、感銘度は同じで聴いているうちに録音の悪さを忘れます。
第2部の打楽器の1回目のロールはこちらの方が若干長いですかね。ステレオ録音は1回目も2回目も短いです。それ以降はやはりステレオ録音の方に軍配を上げたいです。あちらの方が集中力が上と感じます、と書きましたが、クライマックスへの盛り上げ方などはさすがでした。
第3部の合唱は遠くに聴こえて明快ではありませんが、厳かな感じが出ているのはステレオ録音と一緒です。それにしても聴衆の咳がでかいです(もっと控えめに咳をしてほしいな)。ソプラノ独唱は、この交響曲では出番が少ないのですが、ステレオ録音のクンダリと比べると、シュターダーのほうがリリックで美しいと思えます。その後、合唱と管弦楽のピッチがやや合っておらず、居心地の悪さを覚えますが、アルトのフォレスターはステレオ録音と変わらない立派な歌唱でした。独唱・合唱と管弦楽のバランスはモノラル盤のほうが良いように思えますが、オルガンはステレオ録音ほど豊かに響きませんし、ラストはさすがに録音の限界を感じます。
終了と同時に盛大な拍手と歓声が湧き起こります。


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マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
エミリア・クンダリ(ソプラノ)
モーリン・フォレスター(アルト)
ウェストミンスター合唱団
ジョン・F・ウィリアムソン(合唱指揮)
ニューヨーク・フィルハーモニック
ブルーノ・ワルター(指揮)
1957年2月18日、1958年2月17・21日
ニューヨーク,カーネギー・ホール

【お薦め】
某人気指揮者(故人)がインタビューで「自分はこの曲の過去の録音を全部聴いていて、どんな演奏であったかを記憶している」と語っていましたが、録音により過去の指揮者の表現を自分の演奏に取り入れることができるという点では、後の世代が有利ですよね? 表現の抽斗が増えているわけですから。「復活」でも「お約束」の場所があって、後の世代ほどそれを忠実に再現しています。
しかし、ワルターは「復活」の演奏に際し、参考として他の指揮者の録音を聴くことなどできなかったでしょうし、する必要もなかったでしょう。マーラーの理解者で、交響曲第9番や「大地の歌」の初演者なのですから。
この「復活」は、ワルターの芸術をステレオ録音で後世に残すというプロジェクトの第1号です。優秀録音ではないですけれど、「復活」のような大規模管弦楽作品(しかも独唱・合唱付き)をステレオ録音で鑑賞できるのは、本当にありがたいことだと思います。
第1楽章冒頭は、ゆったりとたしたテンポで、ニューヨーク・フィルの豊かな音量による低弦に始まり、真に堂々しており、力強さも十分です。
展開部第1部は、第2主題から始まりますが、自然な歌を聴かせます。第1主題によるクライマックスも迫力も十分。第2部もフルートやヴァイオリンのソロもチャーミングで気持ちのよい音楽ですが、再び第1主題によって刺々しい雰囲気に移行し、第3部はニューヨーク・フィルの威力・底力をこれでもかと聴かせてくれ、壮絶なクライマックスを築いています。
再現部も管・弦のバランスが絶妙で気持ちがよいですし、結尾の葬送行進曲も重厚で濃密な味わいがあり、半音階風の下降も力強いです。
第2楽章は、ワルターらしい、歌心に満ちた音楽です。第1楽章もそうでしたが、弦が常に主張しており、第2トリオでも金管に負けないくらい強いです。この楽章は長く感じるときもあるのですが、この演奏はニューヨーク・フィルのツンデレみたいな演奏が興味深く、楽しく聴けました。
第3楽章も、ニューヨーク・フィルの各セクションの実力を思い知らされる楽章で、どこがどうというよりも、全てが聴き所となっており、あっという間に時間が過ぎていきます。これこそマーラーという感じがします。
第4楽章の独唱は、モントリオール生まれのフォレスターで、前日のライヴ盤と同じです。ワルターが「復活」の適した歌手として抜擢されたこともあり、表情豊かな名唱を聴かせてくれます。独語の発音もバッチリです。
第5楽章第1部は、マーラー直伝であるのか、淀みの無い進行で、お手本のようですが、機械的な演奏ではなく、大きな抑揚・呼吸があり、クライマックスも自然な盛り上がりを聴かせます。どうでもいいことですが、シンバルがタンブリンのように聴こえます。
第2部の打楽器のロールはすごく短いです。録音における最短ではないでしょうか。その後もよいテンポで、ニューヨーク・フィルの弦楽・木管セクションvs金管セクションの競演といった趣があり、疲れを知らないエネルギーを感じます。
第3部、「偉大なる呼び声」は速めのテンポで長さを感じさせません。合唱は古い発声のように思えますが、厳かな感じが良いです、声を重ねるのはエミリア・クンダリで、この「復活」と、同じワルター指揮のベートーヴェンの第9が代表的な録音になっている人ですが、力強い声で、フォレスターとの二重唱も声質がよく合っています。
ニューヨーク・フィルの金管は、遠慮を知らないので、合唱の音がもう少し大きめに収録されていればなおよかったのですが、ラストは非常に感動的で力強く締めくくられます。もう一回始めから聴いてみたいと思ったくらいです。
音質に関して言えば、初期のステレオ録音なので、少々古くさいですし、小音時にはヒスノイズが目立ちますが、鑑賞に差し支えるほどではありません。心から【お薦め】です。


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マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
ミヒャエラ・カウネ(ソプラノ)
ダグマル・ペチコヴァー(アルト)
北ドイツ放送合唱団
ラトヴィア国立合唱団
ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団
シモーネ・ヤング(指揮)
2010年10月24・25日
ハンブルク,ライスハレ

女性演奏家は多くても、女性指揮者が少ないのはなぜか? Wikipediaで女性指揮者を検索すると、30人の名前がヒットしますが、その中でもシモーネ・ヤングほど活躍している人は(おそらく)いないでしょう。彼女が2005年から2015年まで音楽監督(後任はケント・ナガノ)を務めたハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団による「復活」です。
第1楽章冒頭は、あっさりと始まります。あまり劇的ではなく、のんびりとした気分で、鼻歌を歌っているような感じです。対して第2主題は可憐ですが、これはどの演奏でも同じこと。録音のせいか、重厚ではなく軽めです。速めのテンポですいすい進行しますが、あまり深刻ぶらないところが聴き易いとも言えます。
展開部第1部はぐっとテンポを落とし、滑らかでよく歌わせています。弦に続く管楽器の表情が美しく、懐かしさと素朴さを感じさせるもので、この辺りと、クライマックスへの進行はまずまずで、冒頭の鈍さはなんだったのだろうと思います。リズムのキレはよいのですが、あまり感情移入をしていないのが物足りなさを感じさせます。例外的に、女性的な第2主題になると表現が濃くなるのが興味深いところです。結尾の葬送行進曲はあっさりしているがゆえに、寒々とした感じが出ています。
第2楽章は、やや速めで、味付けはあっさりめでしょうか。木管が登場するやメルヘンの世界に変貌します。古典的な美しさがあり、トリオなど切れ味の鋭さが鮮烈な印象を受けます。ヴァイオリン主導型で、もう少しチェロが大きくてもよいのではと思うところもありますが。
第3楽章がなかなか良く、両翼配置も生きており、木管のちょっとした節回しの工夫が面白いのですが、繰り返されると飽きます。トリオも重たく、もう少し軽やかで輝かしいほうが好みです。
第4楽章の独唱はペチコヴァーで、最も有名な録音はこの「復活」のようです。少し暗めの声で、重たいですが、オーケストラの音色には合っています。
第5楽章第1部も、録音会場の音響のせいか、少し重めで、舞台裏の金管が遠くに感じます。
第2部冒頭の打楽器は結構凄まじく、また、シンバルの強打が珍しいです。その後はテンポは遅くないものの、重く粘る表現(録音のせいもあります)のため、いささか精細さを欠きます。これで録音がもう少しパリッと冴えていたら別の印象もあったであろうと惜しまれます。
第3部は、舞台裏が遠めなのは先述のとおりですが、夜鶯までの雰囲気はなかなかよいです。そして北ドイツ放送合唱団が優秀です。この合唱を聴けただけでも、ここまで我慢して(?)聴き続けた甲斐があったというものです。しかし、ミヒャエラ・カウネのソプラノの歌い方ににちょっと癖があるのが残念。ただ、アルトのペチコヴァーとは声の相性がよいみたいです。
この合唱のおかげもあり、クライマックスは充実した響きですが、オルガンはもう少し音量があればよかったですね。


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マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
ユリアーネ・バンゼ(ソプラノ)
アンナ・ラーション(アルト)
スイス室内合唱団
チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
デイヴィッド・ジンマン(指揮)
2006年2月10-12日
チューリヒ・トーンハレ

【お薦め】
1995年から2014年までチューリヒ・トーンハレ管弦楽団の音楽監督・首席指揮者であったジンマンによるマーラー「復活」です。ジンマンであれば何か変わったことをやってくれるのではないかと期待しつつ聴きました。
まず、鮮明な録音に心を奪われます。大規模管弦楽作品は、このような録音であってほしいです。
第1楽章の第1主題及び第2主題の提示はオーソドックスです。特徴としては、ヴァイオリン両翼配置(コントラバスは向かって左)であることぐらいでしょうか。音圧の高い金管楽器の歯切れの良さがアクセントになっています。
展開部第1部は、穏やかでのんびりした雰囲気で始まり、次第に元気がよくなります。第2部は録音の良さもあって瑞々しいです。第3部のおどろおどろしい開始からクライマックスまで迫力は十分なのですが、大規模オーケストラによる大交響曲をあまり意識させない演奏です。
再現部も、ことさら深刻ぶらず、バランスの良さを重視した表現で、緻密ではあるけれど、あっさりとしている印象を受けます。
第2楽章もその延長線上にあり、爽やかな抒情性を感じさせるもので、プロポーションが美しいです。ジンマンならではのこだわりも随所にあることはあるのですが、全体としては、やはりオーソドックスで奇をてらわない演奏です。
第3楽章は、やや速めのテンポで柔らかく流麗な表現が素晴らしく、磨き上げられたトーンハレ管弦楽団の響きが美しいです。両翼配置の面白さも手伝って聴き応えがある楽章でした。
第4楽章の独唱が、ストックホルム生まれのアンナ・ラーションであるのは、アバド/ルツェルン盤と共通で、(少し癖がありますが)ドイツ語の発音もよろしく安定感のある歌唱を聴かせます。
第5楽章も、前4楽章と共通で、聴いていてとても気持ちがよいです。最上に保たれた各楽器のバランスに適切なデュナーミクにアゴーギク、非の打ち所のない演奏です。
第2部も期待を裏切りません。あまりにも破綻無く進行するのがかえって物足りないくらいです。
第3部の合唱は、よく訓練された見事な歌声で、二人の独唱も最後まで充実した歌唱を聴かせてくれます。
ケチの一つも付けたくなるぐらい、ほぼ完璧なこの曲の再現と言ってよい演奏でした。



最後に、ハインリヒ・フォン・ボックレット編やブルーノ・ワルター編のピアノ版「復活」をご紹介しようと思いましたが、この辺で私の根気も尽きてしまいました。猛暑なので仕方がありません。

次回からは、もう少し短めの曲の聴き比べをしたいと考えています。




夏休みの簡単な工作

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今日から夏季休暇なのですが、なんだか疲れてしまっていて、12時間も寝てしまいました。寝る子は育つ……。

「名盤」シリーズの次の曲の準備も進まない(二転三転しています)中、お茶濁しの記事を書きます。題して「夏休みの簡単な工作」。

ハイエンドな音を追及している
音工房Z」さんからブツが届きました。
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箱を開けると、プチプチに包まれた物体が……。
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中身はきれいにカットされた木材でした。
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広げてみました。
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このままでは木材の白さが目立つので、塗装することにしました。
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まず、裏側と側面にワトコオイルを塗ります。
部屋は、塗料の臭いがすごいです。
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一回目の塗装が終了しました。
白い部分は接着面なので塗装しません。
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翌日は、二回目の塗装を行いました。
少しずつ色が濃くなってきいます。
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三日目は、表面の塗装です。
中央右の白い板はまだ塗装していない状態です。
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四日目は、表面の塗装二回目です。
中央の二枚は、これから塗装するので色が薄いです。
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五日目は、表面の塗装三回目です。
ムラが気になります。
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六日目は、接着です。
タイトボンドを塗り、クランプで止めます。
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七日目は、もう片方の接着です。
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八日目は、組み立てです。
まず、下半分を作ります。
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次に上半分を作ります。
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合体させました。
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両chを作り終えました。
高さを揃えるのが難しい……。
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最近お気に入りの、KEF Q350を乗せてみました。
同じブックシェルフ型でも、NS-2000 は巨大です。
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なかなかよい感じです。
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この後、スタンド底部に重りを乗せ、
スピーカーとスタンドの間にインシュレーターを挟みました。

高さ可変式スピーカースタンドの製作、終わりです。

本当はスピーカーを作りたかったのですが、
置き場所がないので断念しました。

ブルックナー 交響曲第3番 の名盤 As~Ce

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マーラーの交響曲第2番「復活」の次は、マーラーの交響曲第6番に決めていました、というより、もともと第6番について書きたかったのですが、久しぶりにブルックナーを聴きたいと思うようになりました。そして選んだのは交響曲第6番で、リストを作成し、聴き始めました。しかし、いざ書こうと思っても書けません。それで、ブルックナーの別の交響曲に挑戦することにしました。

それは、交響曲第3番です。この交響曲でややこしいのは「稿」と「版」です。
この交響曲の、作曲の経緯は以下のとおりです。

 1872年(43歳時)に着手し、1873年に第1稿【1873年 第1稿】が完成する。
 1873年にワーグナーが、交響曲第3番の献呈を受諾する。
 1874年に全体に渡って補筆される。
 1875年に初演のための第1回目のリハーサルで演奏不可能と判断(※)される。
 1876年に「大幅改訂」が始まり、1877年に完成する。【1877年 第2稿】
 1877年にブルックナー自身の指揮で初演(※)したが、大失敗に終わる。
 1878年にレッティヒ社より出版される。
 1888年に再度の「大幅改訂」が始まり、1889年に完成する。【1889年 第3稿】
 1890年にシャルクの校閲により第3稿が出版される。[1890年 第3稿改訂版]
 1890年にハンス・リヒターの指揮で第3稿が初演(※)される。
 (作曲家別 名曲解説 ライブラリー5 ブルックナー(音楽之友社)より)
  ※オーケストラは、いずれもウィーン・フィルハーモニー管弦楽団です。

以上により、交響曲第3番には3つの「稿」が存在することになります。
[1873年 第1稿]
[1877年 第2稿]
[1889年 第3稿]

「版」の問題については、私に語れる知識があるわけでもなく、中途半端な記述は混乱を招くだけなので省略します。詳しく知りたい方は、「ブルックナー 3番 版」で検索してみてください。きっと良心的なサイトに出会えることでしょう。

なお、たいていのCDには「1873年 第1稿」とか「1889年ノヴァーク版」とか書かれていますので、本ブログのCD紹介では、表記が不揃いとなりますが、(原則として)それを書き写すことにします。問題は、それが間違っている場合、単に「ノヴァーク版」としか書かれていない場合、そして、何も書かれていない場合があることです。指揮者の裁量で改変している場合もありますね。

個人的には「第1稿」が最も好きです。ここでは、創造の翼が自由に羽ばたいています。改訂が進むにつれ、バランスは良くなったかもしれないけれど、自由だった部分が削ぎ落とされて、普通になってしまったようにも思われます。だから、指揮者が「第1稿」を選んでくれたら、それだけで【お薦め】を付けたい気分です。

ノヴァーク版で比較すれば、第1楽章は第1稿の746小節に対し、第2稿は652小節、第3稿は651小節ですし、第4楽章は第1稿の764小節に対し、第2稿は638小節、第3稿は495小節に減っているのです。

そのようなわけで、改めてまして
アントン・ブルックナー:交響曲第3番ニ短調 WAB.103

第1楽章
 適度に、神秘的に(第1稿)
 適度に、より動きをもって、神秘的に(第2稿)
 遅めに、神秘的に(第3稿)
 ニ短調 2/2拍子 ソナタ形式
第2楽章
 アダージョ、荘重に(第1稿)
 アンダンテ、動きをもって、荘重に、クワジ・アダージョ(第2稿)
 アダージョ、動きをもって、クワジ・アンダンテ(第3稿)
 変ホ長調 4/4拍子 A-B-C-B-Aの形式
第3楽章
 スケルツォ かなり急速に ニ短調
 トリオ:同じテンポで イ長調 3/4拍子
第4楽章
 アレグロ ニ短調 2/2拍子 自由なソナタ形式


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ブルックナー:交響曲第3番ニ短調
 [ノヴァーク版 第3稿]
大阪フィルハーモニー交響楽団
朝比奈隆(指揮)
1993年10月3-6日
大阪フィルハーモニー
【お薦め】
今回も指揮者名アルファベット順で感想を書きますが、いきなり朝比奈隆です。
第1楽章提示部第1主題は、ゆったりとしたテンポによる、恰幅がよく堂々たるもので、骨太の音楽を聴かせます。経過句も同様で私には理想的です。私が好きな第2主題も、適度に感情がこもっていて、ちょうどよい塩梅です。第3主題以降も自然な流動感が好ましく、全体に重厚な提示部です。
展開部も、朴訥としており、クライマックスも壮大で、ブルックナーにふさわしい表現といえます。再現部も丁寧で、心のこもった演奏であり、第2主題・第3主題も一層感興豊かに聴こえます。コーダも重々しく、充実した演奏を聴いたという感慨が残ります。
第2楽章第1主題は、少々ごつごつしていますが、深い呼吸により豊かに歌われます。第2主題も同様でブルックナーにふさわしい表現です。第3主題もあまり神経質にならず、純朴さ・人懐っこさが特徴です。第1主題によるクライマックスも無骨ですが壮大で、コーダも美しいです。全体として大らかさが好ましく思えます。
第3楽章は、遅めのテンポを採用し、ffの全合奏は嵐のような迫力があります。トリオのレントラー舞曲風主題は田舎臭さく、主部に戻っては、再び力一杯の大フィルの合奏が響きます。
第4楽章は、低弦と管による第1主題が誠に力強く、その後のコラール風の第2主題はユーモアたっぷりといったところ。第3主題は大きな円を描くように奏されます。再現部では各種主題がしっかり演奏され、コーダーで第1楽章第1主題により壮大なクライマックスを築き、渾身の指揮と合奏で力強く全曲を閉じます。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1873年 第1稿]
ザンクト・フローリアン・アルトモンテ管弦楽団
レミ・バロー(指揮)
2013年8月23日(ライヴ)
リンツ,ザンクト・フローリアン修道院
【お薦め】
レコード芸術2018年8月号の海外盤REVIEW 171頁において、バロー指揮ザンクト・フローリアン・アルトモンテ管弦楽団によるブルックナー交響曲第5番が小宮正安氏により特選盤とされています。それは「90分に及ばんとする演奏時間!」で締めくくられているのですが、この交響曲第3番の演奏時間は、なんと89分(曲間が長いので正味86分41秒)です。いくら第1稿とはいえ、長過ぎるでしょう?
ブルックナーが眠るザンクト・フローリアン修道院の豊かな残響による混濁を避けるため、あえて遅いテンポを採用したのだと思って聴き流していましたが、次第に惹き込まれ、第1楽章第2主題の提示頃には、これはとんでもない名演と思うようになりました。ブルックナーが書いた音符の一音一音、和声の移ろいゆく様が手に取るようにわかります。ブルックナーがオルガンを弾きながら作曲をしているかのようです。こうして聴いてみると、第3番は後期の交響曲に勝るとも劣らない名曲のように感じられます。第1楽章は秋風が吹きすさぶように孤独な音楽でした。
第2楽章も遅く、荘厳で神秘的です。緩徐楽章が遅いともたれることがありますが、この演奏は少しもそんなことを感じませんでした。このテンポでしか伝わらないものがあります。あまり遅さを感じさせない不思議な演奏でもあります。
第3楽章は、他の楽章に比べればまだ速いほうで、さすがにこれ以上遅いと、スケルツォ楽章とはいえないでしょう。トリオの舞曲は優しい音楽です。
第4楽章も壮大です。この録音は修道院での録音を配慮してか、あまりダイナミックレンジが広くない(強音がうるさくならない)のですが、管弦楽がオルガンのように鳴り響きます。第2主題のポルカも高雅で優雅なワルツととなります。第3主題などかなり印象が異なります。その後もブルックナーの音楽がもつ豊穣な世界が延々と続き、24分59秒で終楽章は幕を閉じます。すぐに拍手が起こらないところがよいですね。
しかし、いくらなんでもこのテンポは遅すぎるという人もいるでしょう。充実した時を過ごせたと言っても、これをもう一度聴くのは体力と精神力が必要だと思いました。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1877年 第2稿 エーザー版]
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ダニエル・バレンボイム(指揮)
1995年12月
ベルリン,フィルハーモニー

バレンボイムは、シカゴ響(1回目 1977-1981)、ベルリン・フィル(2回目 1990-1997)、シュターツカペレ・ベルリン(3回目 2010-2012)とブルックナー交響曲全集を録音をしています。よほどブルックナーが好きなのか、自信があるのでしょう。交響曲第3番では、第2稿、それもノヴァーク版(1980年出版)ではなく、エーザー版(1950年出版)を常に採用しているのが特徴です。
第1楽章第1主題はベルリン・フィルの威力を見せつけますが、録音の限界も感じます。ベルリン・フィルの全合奏はさぞかし凄かったことでしょう。第2主題は少し粘ります。ベルリン・フィルの弦が美しい。この辺り、指揮者が少し考え過ぎて、音楽に自然な流動感が欠けているような気もします。第3主題も力が漲っており、金管が輝かしいです。展開部もベルリン・フィルの名人芸に負うところが大きく、第1主題を用いたクライマックスも圧倒的です。再現部はいっそうロマンティックで、オーケストラに聴き惚れているうちに終わってしまいます。コーダも壮絶な音響でした。
第2楽章も弦の美しさ、木管の華やかさ、金管の分厚い響きが印象的で、特に第2主題のヴィオラが美しいです。
第3楽章は密やかな弦に始まり、ffの迫力が凄く、どうしてもオーケストラの響きに耳を奪われがちです。中間部の舞曲も洗練されており、都会的です。
第4楽章もベルリン・フィルの威力を活かした名演に仕上がっていると思います。
全体として、バレンボイムの力みを感じるところに抵抗を感じなくもないので、【無印】としましたが、【お薦め】でもよいくらいです。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[ノヴァーク版 第3稿]
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
カール・ベーム(指揮)
1970年9月
ウィーン,ゾフィエンザール
【お薦め】
ベーム指揮のブルックナー(セッション)というと、1974年度レコード・アカデミー大賞受賞の第4番「ロマンティック」(1973年11月録音)が有名ですが、それより先に、DECCAにはこの交響曲第3番があり、Deutsche Grammophonには第7番(1976年9月録音)と第8番(1976年2月録音)の録音があります。オーケストラはいずれもウィーン・フィルです。あまり多くないですね。
実は、この演奏はあまり好きではありませんでした。しかし、食わず嫌いの可能性も否めないので、ちゃんと聴いてみることにしました。
まず第1楽章は、DECCAの録音ということもあり、シャープでダイナミック、ウィーン・フィルの音色が鮮烈な「立派な演奏」です。ただ、例えば第2主題、歌い過ぎるように思うのです。これがゾフェインザールでなく、ムジークフェラインザールであったら、また違った印象になったかもしれませんが、響きが壮麗で、騒々しく感じられるときがあります。これだけの演奏を前にして、贅沢なことを言ってしまいましたが、DECCAの録音、そしてウィーン・フィルの音色には抗し難い魅力があるのは事実ですし、ベームの指揮も丁寧で、思わず聴き入ってしまいました。
第2楽章は、ウィーン・フィルの弦が適度な厚みをもって、艶やかに第1主題を奏でます。第2主題、第3主題も同様で、これ以上の演奏があるのかというぐらいに彫琢の限りを尽くしています。
第3楽章は、最も抵抗なく、ブルックナーのスケルツォ楽章を満喫することができます。ダイナミックで歯切れ良いリズムが心地良いです。トリオの愉悦感の表現など大したもので、これ以上の演奏があるだろうかと思ってしまいました。
第4楽章第1主題や第2主題は、第3楽章で書いたことがそのまま当て嵌まります。剛と柔を併せもつ表現の第3楽章も鮮烈な印象を与えます。ただ、弱音時のホルンなど金管は素晴らしいのですが、音量が上がると私には少々やかましく感じられます。それでも、コーダの迫力など圧巻で、素晴らしい演奏には違いありません。いろいろ文句を書きましたが結局【お薦め】です。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[ノヴァーク版 第3稿 1889年]
ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団
アイヴァー・ボルトン(指揮)
2007年10月25日(ライヴ)
ザルツブルク祝祭大劇場

「ピリオド奏法を取り入れた軽やかで透明感ある響きが特徴的」なのだそうです。第1楽章は奏法によるのか、弦の音量が少ない感じで、響きが薄く感じます。私が好きな第2主題も室内楽のようで、少々物足りなさを覚えます。いわゆる、ヨーロッパ・アルプスを仰ぎ見るような雄大なブルックナーではなく、もっとこぢんまりとしたもので、分厚い響きのブルックナーを好む人には敬遠されるでしょうが、ブルックナーが苦手な人には意外と受け入れられるかもしれません。各楽器が明瞭で、見通しのよさがあります。あと、ティンパニがやたらと目立ちます。
第2楽章も涼しげな音楽であっさりしています。この楽章ではあまり金管が咆えないので、管・弦のバランスが保たれています。録音がもう少し冴えていたら印象が変わると思うのですが、やっぱり響きが薄いというイメージがつきまといます。
意外に良いのが第3楽章で、第2主題などもう少し木管楽器が目立てばよいと思いますが、鮮やかです。トリオのちょっと澄まし顔のワルツなど味わい深いものがあります。
第4楽章になると、この演奏にも慣れてきますが、この演奏に物足りなさを覚えるのは、響きの薄さよりも弦の無表情さが理由ではないかと思うようになりました。淡泊なのです。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1889年 第3稿]
バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団
(南西ドイツ放送交響楽団)
シルヴァン・カンブルラン(指揮)
2010年11月9日(ライヴ)

第1楽章はやや速めでしょうか、颯爽とした足取りで始まりますが、第1主題は一転して遅くなり、ブルックナーらしい主題の提示です。しかし、録音のせいか、あまり重厚さは感じず、色彩的な音色です。第2主題は求心力のある表現で、なかなか良いです。第3主題以降も音楽の流れが自然で好感が持てます。水彩画のような景色で爽やかなブルックナーですが、味は薄くありません。緩急の差は大きめなのですが、あくまで自然で、そして繊細で抒情的です。
そのようなスタイルですので、第2楽章が良いのは当然で、宗教曲を聴いているようです。各主題が表情豊かに歌われるのは聴いていて気持ちがよいです。大河のように滔々と流れる音楽です。
第3楽章も良い出来です。主部の程よい軽やかさと歯切れの良さ、トリオの人懐っこい歌が素晴らしいです。
第4楽章も以上の全てが当て嵌まります。第1楽章ではやや腰高に感じられたオケの響きですが、ブルックナーにふさわしい音響に至りました。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[第3稿]
シュトゥットガルト放送交響楽団
セルジュ・チェリビダッケ(指揮)
1980年11月24日(ライヴ)
シュトゥットガルト,リーダーハレ

チェリビダッケ指揮のブルックナーは晩年のミュンヘン・フィル(1987年3月19・20日のライヴがある)とのものが高く評価されているようですが、これは定期客演指揮者であったシュトゥットガルト放送響とのブルックナーで、放送用録音だそうです。Deutsche Grammophonから発売されました。
第1楽章は、チェリビダッケ特有の遅めのテンポ、というわけでもなく普通で、最初のクライマックスでは重く粘り、フレーズの終わりで力を抜くなどの表現が特徴的です。この辺りが好き嫌いが分かれるかもしれません。第2主題は遅くねっとりとした表現で、雄大なのですが、録音が平板で強音時に喧しくなってしまうのが惜しまれますが、ブルックナーの交響曲らしさを損なうほどではありません。。経過句の寂寥感・神秘性、クライマックスへのドラマティックで壮絶な盛り上げ方、金管の最強奏、テンポの大きな変化など、チェリビダッケのあの手この手を聴くことができ、興味深い演奏です。提示部では気になった表現も再現部では、こちらが慣れてしまったのか、素直に受け入れることができます。
第2楽章第1主題は厳かに始まり、その展開は宇宙を感じさせます。第2主題もねっとりしていますが、とても美しいです。第3主題は神経質と思われるくらい、デリケートに扱われます。これも底光りの美しさがあります。神秘的な気分が支配している楽章でした。
第3楽章は、最も抵抗なく楽しめる演奏です。トリオなど主部の勢いそのままの、少し速めで気持ちがよい快速テンポです。理想的な第3楽章と言えるでしょう。
第4楽章も、第1主題の雄大さ、第2主題のポルカの楽しさ、第3主題の(少し粘りますが)力強さ、金管の強奏など、いずれも理想的です。弱音時のデリケートな表現はチェリビダッケならではで、フィナーレまで一気に聴かせます。
後半の第3楽章・第4楽章は【お薦め】で、シュトゥットガルト放送交響楽団の健闘を讃えたいです。

お盆休みがありましたので、今回はこのぐらいで終わりにします。

ブルックナー 交響曲第3番 の名盤 Ch~Ha

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前回「詳しく知りたい方は、『ブルックナー 3番 版』で検索してみてください」と書きました。
書籍では「こだわり派のための名曲徹底分析 ブルックナーの交響曲」(金子建志著 音楽之友社)13~20頁に稿と版の経緯が書かれており、以下のように整理されています。

第1稿(1873年)ノヴァーク版 III/1(1977年出版)
アダージョ(1876年)ノヴァーク版 III/1(1980年出版)※異稿
第2稿(1877年)エーザー版(1950年出版)
第2稿(1877年)ノヴァーク版 III/2(1980年出版)
第3稿(1889年)改訂版(1890年出版)
第3稿(1889年)ノヴァーク版 III/3(1958年出版)

Wikipediaには「1878年および1890年、レティッヒ社から『初版』が出版された。前者は1877年稿を、後者は1889年稿を基にしている」とありますから、1878年に出版された第2稿もあるのでしょう。

ところで、交響曲第3番の第1楽章提示部の終わりに、ミサ曲第1番のグロリアの一部が引用されていると言われていますが、それがどの部分かわかるでしょうか。下記のYouTube、知らないで聴いたら、きっと聴き取れないと思います。(交響曲第3番が大好きで、お暇な方は挑戦なさってみてください。いや、こんなの絶対わからないって!)
Bruckner - Mass No. 1 in D minor - Gloria - DePaul Community Chorus


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ブルックナー:交響曲第3番ニ短調
[1889年 第3稿 ノヴァーク版]
リッカルド・シャイー指揮
ベルリン放送交響楽団
1985年5月
ベルリン,イエス・キリスト教会

シャイーは、ベルリン放送響とコンセルトヘボウ管を振り分けて、ブルックナー交響曲全集(1984-1999)を完成させています。
第1楽章は、カラリと晴れた南国の空のようです。DECCAの録音のせいもあり、どこもかしこも明快で、旋律は歌い込まれ、加えて力感があります。テンポの揺れも少なく、それは好ましいことなのだけれど、いささか単調にも感じられ、この辺がブルックナー演奏の難しいところです。
第2楽章の第1主題は、なかなか良いです。祈りに満ちた美しい音楽になっています。第2主題・第3主題も同様ですが、第3主題はいっそうデリケートな扱いで豊かに歌われています。しかし、金管の強奏がうるさく聴こえてしまうのは録音のせいでしょうか。数々の名録音を生み出してきた録音場所の利を生かし切れていないように思います。
第3楽章がダメな演奏はなかなか無いと思うのですが、この演奏も文句なしです。主部の迫力、トリオの雰囲気の良さ、ともに合格点です。
第4楽章は、最も出来が良いかもしれません。力強い第1主題、愉しげな第2主題、鋭さと柔らかさを巧みに表現した第3主題など、いずれも立派な演奏で、コーダの最後に第1楽章冒頭が回帰するところなどは、なかなか感動的でした。


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ブルックナー:交響曲第3番ニ短調
[1889年 第3稿 ノーヴァク版]
リンツ・ブルックナー管弦楽団
デニス・ラッセル・デイヴィス(指揮)
2005年2月27日(ライヴ)
リンツ,ブルックナーハウス大ホール

ブルックナーの名を冠したオーケストラが、ブルックナーの名を冠したホールで行った演奏会で、全集として(格安で)販売されています。
第1楽章第1主題は、緊張感がない感じで始まりますが、最初のクライマックスは迫力があります。第2主題も良いですが、少し歌い込みが足りない気もします。第3主題は力感に溢れていますが、今ひとつ洗練されていません。展開部も小細工なしです。
第2楽章も、あまり細かいことにこだわらず、太いタッチで描いていますが。もう少し繊細さがほしいところです。でも神経質ではないので気楽に聴けてよいかもしれません。良くも悪くも豪快さがあります。
そういう意味では、第3楽章など打って付けのように思われたのですが、オーケストラの技術にもどかしさを感じ、力押しの印象があります。トリオもやや単調です。
第4楽章も、第3楽章とほぼ同様の感想を持ちました。
最初のうちはよいところもあると思って聴いていたのですが、最後まで聴き通してみると、物足りなさを覚える箇所も少なくありませんでした。残念。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1877年 エーザー版 第2稿]
クリーヴランド管弦楽団
クリストフ・フォン・ドホナーニ(指揮)
1993年6月1日
クリーヴランド,セヴェランス・ホール

ドホナーニは、DECCAに相当数の録音を残しているのですが、最近はあまり話題になることがありません。ブルックナーも、1984年から2002年まで音楽監督であったクリーヴランド管弦楽団と、第3番から第9番までを録音しています。この第3番は、エーザー版 第2稿を採用しているのが嬉しいです。
第1楽章は、良いテンポで始まり、クリーヴランド管のスッキリとした響きが美しいです。思ったよりテンポを動かしますが、それがちっとも嫌ではなく、効果的と思います。第2主題・第3主題は。やや速めで見通しのよい演奏です。録音のせいか重厚さはありません(全体に甲高い響きです)が、ドホナーニの音楽性と楽曲がマッチしているのか、なかなか聴かせる演奏です。
(私はいまだにこの楽章の構造を理解していないのですが)第2楽章も良いテンポです。音楽がキリッと引き締まっており、瑞々しいです。ヴィオラによる主題やミステリオーソの楽想も美しく、オーケストラの機能の高さが有利に働いています。
第3楽章はさらに素晴らしく、輝かしく鮮烈で、ダイナミックです。トリオも洗練されています。
第4楽章も引き締まった演奏で、第2主題はこのぐらいの速さがバランスが取れていて良いと思います。第3主題も切れ味のよい演奏です。とにかくオーケストラが優秀なので、聴き甲斐があります。これで重厚さがあったら言うことなしです。


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ブルックナー:交響曲第3番ニ短調
[1889年 第3稿]
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
ラファエル・フリューベック・デ・ブルゴス(指揮)
2006年10月4日~7日(セッション)
ドレスデン,ルカ教会

以前にも書きましたが、ラファエルが名で、フリューベックが姓ですから、アルファベット順ではこの位置になります。首席指揮者兼芸術監督を務めていたドレスデン・フィルとの録音です。
第1楽章、出だしは好調です。第1主題の提示が立派ですが、オーケストラにもう少しパワーを求めたくなります。やや速めの第2主題はちょっと味が薄いかも。第3主題も力不足を感じます。その分、弱音時の美しさが際立つとも言えますが、ブルックナーなので、余計な感情移入は避けたというところなのでしょうか。展開部のクライマックスでようやく底力を発揮し、その流れで再現部はなかなか良い出来となり、渾身のコーダで幕を閉じます。最初からこの調子だったらよかったのに。
第2楽章は、弦に厚みがあり、気持ちよく、ずんずん進んでいきますが、もう少し繊細さがあったらよかったでしょう。あまりにぶっきらぼーな時があります。
第3楽章は、木管楽器(特にフルート)を大きめに捉えている録音のせいもあり、なかなか良い感じですが、フリューベックがスペイン音楽で聴かせる、あの情熱を期待したいところです。とはいえ、トリオは良い雰囲気で、適度に田舎くさいところが気に入りました。
第4楽章も立派な演奏には違いないのですが、型どおりというか、予想の範囲内に収まっていて、新鮮味が少ないです。それでもコーダは立派でした。


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ブルックナー:交響曲第3番ニ短調
[ノヴァーク版 1889年 第3稿]
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
ワレリー・ゲルギエフ(指揮)
2017年9月25日(ライヴ)
リンツ,聖フローリアン修道院

ブルックナー縁の聖フローリアン修道院でのライヴ(全集録音中)で、残響がかなり長いはずですが、なるべく直接音を拾うように工夫しているような録音です。
第1楽章第1主題はゆったりしたテンポで、堂々たるものです。オケの厚みも十分で、丁寧な演奏に好感が持てます。第2主題・第3主題も遅からず速からずの程良いテンポですが、響きが混濁してしまうのは仕方が無いところ。提示部の終わりから展開部の始めにかけては美しいです。クライマックスは残響が多くてやりづらそうです。展開部から再現部への移行も美しく、こういうところが巧いです。再現部も旋律をたっぷり歌わせているのは提示部と同じです。
第2楽章は、しっかりしたバスの響きに乗って美しく各主題が歌われていくのが心地良いです。いわゆる重厚なブルックナーに仕上がっています。途中からテンポを上げすぎてしまったように思いますが、アンダンテに戻ってからは落ち着きを取り戻しています。
第3楽章は、残響お構いなしに最強音で主題を提示しますが、ここももう少し音量がほしいところ。トリオは雰囲気が良く、上機嫌のブルックナーです。この楽章も充実した演奏でした。
第4楽章第1主題は、意外に細かい部分まで聴くことができ、色彩的な印象があります。第2主題は前楽章のトリオに同じく朗らかで大らかな歌を奏で、第3主題は音量が落ちてからの表現が美しいです。コーダへの盛り上がりにも全く不足はありません。
【お薦め】に値すると思ったのですが、バレンボイムやドホナーニを【お薦め】にしていないので、バランスを考えて無印としました。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1876/1877年 第2稿 ノヴァーク版]
バーデンバーデン・フライブルク南西ドイツ放送交響楽団
ミヒャエル・ギーレン(指揮)
1999年5月3-5日
バーデンバーデン,フェストシュピールハウス
【お薦め】
にしてよいのか迷いますが、これは凄い演奏。
第1楽章冒頭から飛ばしています。快速テンポ。「適度に、より動きをもって、神秘的に」じゃなかったっけ? この演奏の第1主題は、最初は嫌だったのですが、慣れてくるとこれはこれで良いように思えてきます。経過句で改めて速さを実感。第2主題も速いのだけれど、第1主題に比べれば普通です、というか、やっぱりセカセカしています。なぜこんなに速く演奏しなければならないのでしょう。第3主題の提示はあっという間に終わってしまいます。展開部も速い速い。ただ、楽曲の構造が分かり易いことは確かです。このテンポでも18分38秒なので、第1楽章って長かったのですね。コーダは壮絶な迫力です。
第2楽章は少し速め。旋律を流さないで、一音一音をしっかり弾かせていく歌わせ方が独特です。テンポはいつの間にかせわしなくなり、新たな楽想が登場すると落とすので、冗長な感じがなくなります。この速度で演奏できるのは、すごいことなのかもしれません。それでもクライマックスは紛れもないブルックナーの音楽になっており、変幻自在です。15分49秒。
第3楽章はキレのあるリズムが心地良く、カッコイイ演奏です。指定が「かなり急速に」なので、これぐらいのテンポが妥当なのでしょう。トリオも速いですが、この方がバランスが良いように思います。41小節のコーダが追加されています。7分00秒。
第4楽章は、スケルツォとのバランスを考慮したのか、普通のテンポです。第2主題は速めですが、これもそのほうが良いと思います。ここで失速感を感じることが多いですから。第3主題の力強さも十分です。その後の展開も曲想を巧みに描き分け、キレがよいのコクがあるという感じです。管・弦のバランスが良く、心地よいうちにフィナーレまで一気に聴かせます。14分18秒。


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ブルックナー:交響曲第3番
[1877年 第2稿 ノーヴァクⅢ/2版]
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ベルナルト・ハイティンク(指揮)
1988年12月
ウィーン,ムジークフェラインザール

ハイティンクはコンセルトヘボウ管とブルックナー交響曲全集を録音(1963年-1972年)していますが、その後にウィーン・フィルとの全集が企画され、第3番、第4番、第5番、第8番とテ・デウムのみが録音されました。第8番(1995年録音)など、この曲の代表的な名演と思って聴いていましたが、第3番はどうでしょう。
第1楽章冒頭は、金管や木管が雅やかで、その後の頂点もウィーン・フィルらしい鮮やかさがあります。第2主題も弦が美しく、管が彩りを添えます。もう少し求心的な感じが出せたら、なおよかったでしょう。第3主題は管がバランスをやや欠いていると思われる箇所もありますが、提示部の終わりはやはり美しいです。展開部は、トランペットがやたらと目立ったりと、ちぐはぐな印象がありますし、録音のせいか重厚感がないのが気になります。再現部もぎこちなく、流動感がないです。音量が大きくなると、金管楽器が容赦なく咆哮するのは品が無いと感じます。ハイティンク&ウィーン・フィルらしくない演奏です。
第2楽章は、美しい弦により深い呼吸で歌われていますが、どこかよそよそしい感じもします。そして全合奏時の金管、特にトランペットがバランスを欠いている感じで、興を削ぎます。第1楽章で気になってしまったので、チェックしてしまうのですが、少々無神経です。
第3楽章は、そのようなことは気にならなくて、ブルックナーの音響を満喫させてくれます。トリオもすっきりしていますが、懐かしさを感じさせるものです。弦と木管が美しいです。ノヴァーク版の第2稿なので、41小節のコーダが追加されています。
第4楽章は、なかなか壮大な幕開けです。ここは金管が強奏されても文句はありません。第2主題も優れた演奏だと思いますが、弦と金管のバランスが崩れるぎりぎりのところだと思います。第3主題はこういう音楽なので金管は気になりません。この楽章は、金管楽器が活躍する楽章ですので、あまり気になることもなく(耳に痛い感じもしたけれど)、最後まで聴き終えることができました。コーダはウィーン・フィル全開の凄まじいものでした。
なお、この演奏は、第2稿 ノーヴァクⅢ/2版の初録音なのだそうです。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[ノーヴァク版 第2稿]
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
ニコラウス・アーノンクール(指揮)
1994年12月(ライヴ)
アムステルダム,コンセルトヘボウ

アーノンクールは、ブルックナーの交響曲をコンセルトヘボウ管と第3番、第4番を、ウィーン・フィルと第5番、第7番、第9番を、ベルリン・フィルと第8番を録音しています。「思い切ってクリーニング」をしてみたというアーノンクールのブルックナー第一弾が、この交響曲第3番でした。
第1楽章は、やや速めのテンポで始まりますが、それほど変わったことをしているわけではありません。至極真っ当な演奏です。第2主題も速めではありますけれど、よく歌わせていて実にきれい。第3主題も特に変わったところはなく、無いように感じるのですが、クリアでスッキリしており、ストレートでダイナミックで、そして美しいです。展開部は速めのテンポが心地良いです。管・弦のバランスはきっちり取られていて、響きの厚みも十分あります。あれよあれよという間に、再現部となりますが、提示部より説得力を増しているように思います。
アーノンクールは「ブルックナーはアダージョひとつ書くにしても、遅すぎたり速すぎる演奏をされるのではと恐れていた。正しいテンポや正しいテンポの変化を見つけだすまでには、いくつもの試行錯誤があったに違いない」と語ったそうですが、なるほど、この第2楽章は考え抜かれたテンポ設定となっており、コンセルトヘボウ管の美しい響きのせいもあり、なかなか崇高な雰囲気を漂わせています。特に第3主題が絶妙です。
第3楽章は、素晴らしい響きによる迫力のある演奏で、鮮烈です。中間部の楽句も素敵。トリオも優美なワルツで、主部との性格分けがきちんとなされています。最もアーノンクールの音楽性が活かされた楽章でしょう。ノヴァーク版なのでコーダ付きです。
第4楽章冒頭は、実に生き生きとした第1主題の提示、続く第2主題も細やかな指示が行き届いた理想的な表現です。第3主題も力強さと繊細さを兼ね備えたものです。その後もただただ聴き惚れるばかりの演奏で、最後は圧倒的なクライマックスを構き上げます。
それでは、感動的な演奏であったかというと、正直、首を縦に振れないところがあり、アーノンクールだから変わったことをやってくれるのではないかという偏見による期待は裏切られました。でも、良い演奏でしたよ。


ブルックナー 交響曲第3番 の名盤 In~Kn

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休日ブロガーなので、通常は土・日曜日に新規投稿していますが、文章の修正が間に合わなかったので月曜日になります。自分の下手な文章を読むのが嫌なので、遅れがちになります。

さて、今更ですが、こういう曲です。

Bruckner: Symphony No. 3 / Skrowaczewski · Berliner Philharmoniker

Günter Wand dirigiert Bruckners Sinfonie Nr. 3 | NDR

Bruckner : Symphony No.3 in D minor
Herbert Kegel, Radio Symphony Orchestra of Leipzig


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[第1稿 ノヴァーク版]
フランクフルト放送交響楽団
エリアフ・インバル(指揮)
1982年9月
フランクフルト,アルテ・オーパー
【お薦め】
インバル/フランクフルト放送響は、マーラーの交響曲全集(1985年-1986年、大地の歌が1988年、第10番(クック全曲版)が1992年)を録音していますが、それと並行して1982年から1988年にブルックナー交響曲全集も完成させています。その特長は第3番、第4番、第8番に第1稿を採用していることです。特に第4番、第8番は聴き慣れていた音楽とあまりに異なる第1稿に驚かれた方も多いと思います。さて、交響曲第3番です。第1稿は前々回、超スロー・テンポのレミ・バロー指揮の録音でも採用されていました。
第1楽章は、第2稿・第3稿では650~652小節なのですが、第1稿は746小節もあります。第1主題は、頂点に至るまでが理想的です。第2主題も春風がそよぐように晴朗で、かつ精緻な演奏です。第3主題も程良い力加減です。展開部の頂点、第1主題によるクライマックスも壮絶な響きを聴かせてくれ、ここは圧巻です。そして、第2稿や第3稿ではカットされた場面を随所に聴くことができ、特に展開部の終わりには繊細で美しい音楽が置かれていますので、ここが聴き所のひとつとなります。再現部も丁寧で抒情的、かつ壮大さにも欠けていませんし、カットされた部分には改めて新鮮な驚きと発見があります。共通する部分もオーケストレーションがだいぶ異なっていて興味が尽きません。
第2楽章も、私には第1稿がベストで、これを改訂する暇があったら新しい交響曲に時間を割いてほしかったと言いたいです。小節数でいえば、第1稿は278小節、第2稿は251小節、第3稿は222小節という具合に段々短くなっていくのですが、曲の長さよりも肌触りが異なるように感じます。演奏にもよるのでしょうけれど、第1稿はごつごつしていて響きが厚く、いかにも野人ブルックナーが書いた緩徐楽章というイメージです。カットされたところは不要な部分ではなく大事な音楽だったと思います。
第3楽章は、小節数に大きな変更はないものの、最も違和感を感じる曲かもしれません。これに比べると第2稿・第3稿は洗練されており、わかりやすい音楽となっています。トリオも旋律が異なっています。インバルは速めのテンポですっきりまとめています。
第4楽章も、第1稿の764小節、第2稿の638小節、第3稿の495小節というように、どんどん削られていった曲です。異なる箇所が多すぎるので、いちいち指摘しませんが、好き嫌いはあるでしょうけれど、各部分のつながりがよいのは第1稿だと思います。ただ、第1稿のコーダでは突然終了してしまうので、ここだけは後の稿のほうが一般的でしょう。
私が最初に好きになった交響曲第3番は、このインバル指揮フランクフルト放送響の演奏であったため、思い入れが非常に強いのです。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1889年版 第3稿 ノヴァーク版]
スイス・ロマンド管弦楽団
マレク・ヤノフスキ(指揮)
2011年10月
ジュネーヴ,ヴィクトリア・ホール
【お薦め】
ギーレンやアーノンクールの演奏は奇抜で面白いけれど、やっぱりブルックナーはこのような演奏が好ましいと思えます。奇をてらったところがなく、正当派という感じです。
第1楽章第1主題の堂々たる提示、ヤノフスキの指揮にスイス・ロマンド管が渾身の演奏で応えており、これぞブルックナーと思います。第2主題も自然な流動感があり、弦と管とのバランスにも気配りが感じられます。第3主題の力感の程度も申し分なく、提示部終わりの抒情感も大したものです。展開部の始めも、嵐の前の静けさを思わせ、ワクワクするものを感じます。クライマックスへの持って行き方も上手です。(特に)木管楽器や金管楽器が効果的に用いられ、バランス感覚が秀逸であり、また、テンポの設定も理想的です。第2主題から第3主題は少しテンポが速いのが惜しいです。ここはもう少したっぷりと歌ってもよかったでしょう。
第2楽章も数小節聴いただけで、これは名演と確信が持てます。滔々と流れる大河のようで、各主題は心を込めて歌われており、外面的な美しさだけではありません。ベルリン・フィルやコンセルトヘボウ管に比べれるべくもないのでしょうけれど、これを聴いている間は、スイス・ロマンド管は立派なブルックナー・オーケストラと思いました。
第3楽章も良いです。主部の立派な演奏もさることながら、トリオの表現が絶妙です。この楽章も聴いていて心から愉しいと思えました。
第4楽章第1主題もオケの厚みがブルックナーにふさわしく、第2主題は前楽章のトリオ同様にテンポ感が良く、くどさを感じさせませんし、第3主題の力感と抒情性のバランスが素晴らしいです。最後の一音まで充実した演奏でした。
これは、スイス・ロマンド管としても会心の録音だったのではないでしょうか。


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ブルックナー:交響曲第3番ニ短調
[1889年 第3稿 ノヴァーク版]
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
マリス・ヤンソンス(指揮)
2007年2月7・8日&2008年8月28日(ライヴ)
アムステルダム,コンセルトへボウ

第1楽章は、遅めのテンポで丁寧に紡いでいく叙情性重視の演奏のようです。ただ、テンポの変化が少ない分、第1主題の提示はあまりドラマティックに感じられません。第2主題はこのオケらしい美しい演奏で、うっとりさせられます。第3主題もゆったりとしており、立派な演奏で、ゆとりを感じますが、求心力は低めのような気がします。ワクワクするものをあまり感じません。提示部の終わりも美しく、こういうところは上手です。小節数の多い第1稿を採用しているインバル指揮の第1楽章が23分58秒なのに対し、第3稿採用のこの演奏は23分04秒であり、遅いテンポなのです。美しくバランスのよいオーケストラの響きに身を委ねていればよいのかもしれませんが、物足りなさを覚えてしまいます。再現部の第2主題は途中からアクセルを踏んで第3主題へつなぎますが、あまり自然ではないような……。コーダに向かっての進行も同じような感想を持ちました。
そのようなわけで、第2楽章が最も成功しているように思えます。弱音が本当にきれい。
第3楽章は、華麗なオーケストラの響きが満喫できます。ただ、ブルックナーの演奏というのは難しいものだなと実感しました。ヤンソンスが指示したであろう、ちょっとした表現にわざとらしさを覚え、素朴さを損ねているように思ってしまうのです。
第4楽章は、良いテンポで始まります。生き生きしていて活力があります。ぐっとテンポを落とした後、やや戻しての第2主題はコンセルトヘボウ管らしく美しい演奏です。第3主題も壮大です。静まってからのホルンや木管が美しいです。第1主題に戻ってからはオーケストラが優秀なこともあり、ワーグナーの管弦楽曲を聴いているような趣があります。
しかし、カップリング曲の第4番「ロマンティック」の方が良い演奏であるように思われます。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1889年稿 第3稿 ノヴァーク版]
バイエルン放送交響楽団
オイゲン・ヨッフム(指揮)
1967年1月8日
ミュンヘン,ヘルクレスザール
【お薦め】
ヨッフムは、1958~67年にベルリン・フィルとバイエルン放送響を指揮して、1度目のブルックナーの交響曲全集(第1回目)を録音していますので、1番最後に録音したのが、交響曲第3番ということになります。
第1楽章は調子の良いテンポです。バイエルン放送響の音色もローカル・カラーを感じさせ、素敵なアンサンブルを聴かせてくれます。第1主題の叩きつけるような凄まじさと鋭さ。こんなに迫力のある演奏だったのですね。第2主題も立体感のある演奏ですし、第3主題への移行もスムーズです。とにかく聴いていてウキウキする演奏で、ブルックナーの音楽を鑑賞する醍醐味を味わうことができます。展開部も情熱的で激しい盛り上がりを聴かせます。こういう積極的な演奏は嫌いではありません。
第2楽章は、ヘルクレスザールの音響の良さもあり、豊かな響きによる美しい歌を聴かせてくれます。バイエルン放送響の弦がきれいで、恍惚として聴き入ってしまいました。オーケストラの隅々までヨッフムの意思が浸透しており、情熱の奔流にのまれるような思いがします。
第3楽章も良いテンポなのですが、なぜかこの楽章は若干スケール感が出ていないです。弦楽器がよく聴き取れる録音なので、金管を抑えめにしているのかもしれません。トリオの田舎風のワルツはおっとりしっとりしていて雰囲気が良いです。
第4楽章も音楽が前へ前へと進んでいく感じです。どこがどうと言うのは難しいのですが、そういう雰囲気だということです。そしてこの楽章でも管・弦のバランスがとてもよく、最後まで一気に聴かせます。録音のせいか、オーケストラの音が甲高く聴こえるのが惜しいです。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1889年版 第3稿 ノヴァーク編]
シュターツカペレ・ドレスデン
オイゲン・ヨッフム(指揮)
1977年1月22-27日
ドレスデン,ルカ教会
【お薦め】
ヨッフム2度目のブルックナー交響曲全集は、1975~80年にかけて録音されました。前回から10年度の交響曲第3番の録音です。
全楽章とも演奏時間が長くなり、落ち着いている感じがしますが、単に遅くなったというより、テンポの伸縮の巾が大きくないったようにも思えます。第1主題提示の頂点は巨大に構築されます。シュターツカペレ・ドレスデン(以下SDと略します)の美しくも厚い、堅固な響きが好ましいです。第2主題の弦も、音色が美しく、聴き惚れます。第3主題も力強く、管楽器が素晴らしいです。展開部の開始は丁寧できっちりとしたな表現が好ましく、クライマックスへの盛り上がりも興奮させられるもので、ブルックナーの交響曲第3番をこれ以上見事に演奏できる団体はあるのだろうかと思うほどです。再現部もブルックナーの音楽の魅力が溢れています。ラストもヨッフムのたたみかけるようなアッチェレランドとSDの金管の凄まじい音が圧倒的です。
第2楽章も強力なバス声部に支えられた弦の響きが美しく、ppがとても繊細で、かつ、クライマックス時は壮大です。
第3楽章は、立体的な響きと金管の歯切れの良さが心地良く、中間部も絶妙な表現です。また、トリオを聴いて、このコンビでドヴォルザークの交響曲を演奏したら、きっと素敵な演奏になっただろうと思いました。
第4楽章第1主題は輝かしいです。弦をしっかり弾かせているのが良いです。続く第2主題も弦・管のバランスといい、厚みといい、申し分ありません。第3主題は稲妻のように鋭く響きます。展開部は再び輝かしく、また、牧歌的でもあり、第3主題の金管の凄いこと。中身がぎっしり詰まっていますが、第3稿はやっぱり短いなぁと思ってしまいました。
ヨッフムの円熟を感じさせる演奏でした。


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ブルックナー:交響曲第3番ニ短調
[1888/89年 第3稿 ノヴァーク版]
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・フォン・カラヤン(指揮)
1980年9月20・21日
ベルリン,フィルハーモニー
【お薦め】
カラヤンのブルックナー録音(セッション)は、1957年(EMI)の交響曲第8番に始まるのですが、さすがのカラヤンといえでもその後は唐突に1966年(DG)の第9番、1970,71年(EMI)の第4番、第7番といったように、なかなか録音させてもらえなかったのか、1975~81年(DG)にようやく全集録音がかないました。
第1楽章は、ちょうど良いテンポで、ppからffへの、頂点の音量が凄く、ベルリン・フィル渾身のffと思いました。とにかく壮麗です。第2主題のねっとりとした歌い方はカラヤン&ベルリン・フィルならではで、第3主題もダイナミックスの幅が広く、圧倒的な音響を聴かせてくれます。弱音もとても美しいです。提示部のクライマックスも壮絶です。カラヤン色が濃いですが、これは紛れもなくブルックナーの音楽です。再現部も、秋風の涼しさとエネルギッシュなff、その後の静寂、官能的な第2主題、第3主題の迫力、圧倒的なコーダなど、ベルリン・フィルの魅力十分です。
第2楽章は、ブラームス、リヒャルト・シュトラウスのように聴こえなくもないですが、予想したより粘らず、清々しさを感じさせます。神々しいと言ってもいいかも。ベルリン・フィルの弦の、光を放つような響き、内声部が充実している厚い響きは圧倒的で、また、管も美しさの極みです。とにかく良い意味でゴージャスで、全合奏時の凄まじいこと。ppからffの巾が広く、繊細かつダイナミックな演奏です。コーダが美しい。
第3楽章も期待どおりで、主部の嵐のような迫力もさることながら中間部がとても美しく蠱惑的です。トリオは上品で洗練の極みですが、文句はありません。
第4楽章第1主題は圧倒的で、第2主題は(長く感じることが多いのだけれど)磨き抜かれてリッチ、強烈に始まる第3主題とそれ以降はベルリン・フィル全開です。妥協を知らない演奏で、音の波状攻撃を仕掛けられます。フィナーレは音の洪水で、難聴になりそうです。


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ブルックナー:交響曲 第3番 ニ短調
[1890年版 第3稿 改訂版]
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)
1954年4月
【お薦め】
第1楽章は理想的なテンポ。第1主題のクライマックスが凄まじく、気宇壮大という言葉が浮かび上がります。この辺り、モノラル録音だということを忘れるくらい、興奮させられます。第2主題のウィーン・フィルの弦も艶やかで美しく、雄大さを感じさせます。第3主題もドラマティックです。全てのブルックナー交響曲第3番の模範、原点と言ってもよいのでは。提示部の終わりも美しいです。展開部始めの寂しさ、孤独さ、もの悲しさは比類がありません。頂点に向かっての加速も自然で、壮大な頂点を築きます。その後の優美さ、憧憬も素晴らしいと思います。再現部は、展開部とほぼ同じ印象ですので省略しますが、提示部以上の感銘を受けました。
第2楽章は、録音のせいもであるでしょうけれど、弱音にこだわらず、のびのびと弾かせ、吹かせているようで、神経質で無いところに好感が持てます。彫琢の限りを尽くした表現ではないので、単調にも聴こえますが、その自然さが貴重です。第1主題に戻ったとき、意外にテンポが速くなってクライマックスに至るのがユニークです。最後は静謐そのもので終えます。
第3楽章も模範的なテンポ設定で進み、巨大な音楽を聴かせます。オーケストラの厚みのある音が句力を生み出し、素晴らしい響きです。トリオのワルツの田舎くささもよく出ています。
第4楽章は、遅めのテンポで開始され、重厚です。ポルカ風の第2主題も遅く、ここはちょっともたれるかもしれません。第3主題も厚みがあります。フィナーレにふさわしい壮大な音楽でした。
なお、クナッパーツブッシュ&ウィーン・フィルの1960年2月14日ライヴも発売されていますが、私は未聴です。


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ブルックナー:交響曲 第3番 ニ短調
[1890年版 第3稿 改訂版]
バイエルン国立管弦楽団
ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)
1954年10月(ライヴ)
【お薦め】
モノラル録音ですが、意外に聴き易い音質です。
第1楽章第1主題のffは相変わらず壮絶です。ダイナミックレンジはウィーン・フィル盤(セッション)をしのぎます。経過句も同様で、加速には勢いがあります。第2主題はカラヤン盤並みに粘り、濃厚な歌を聴かせると同時に力強さがあります。生き生きとした音楽を聴かせながら第3主題に突入しますが、速めのテンポでエネルギー感があります。展開部もテンポの変化を大きめに取り、感興豊かな印象があります。アッチェレランドがすごく、壮大な頂点です。聴衆の咳が大きく聴こえるのはライヴなので仕方がありません。再現部もセッションより速めのテンポで起伏の大きな表現です。このテンポだとオケがついていくのが大変かも。コーダも壮絶です。
第2楽章もセッションでは落ち着いたテンポですが、このライヴはだいぶ速めです。第2主題・第3主題は、ゆったりと提示され、その後はすぐ速くなります。緩急の差が大きく、太い筆で豪快に描いていくような力感のある音楽で、なかなか爽快です。
第3楽章は理想的なテンポで始まり、すぐに強力な頂点に達します。中間部は優雅で心を惹きます。トリオは一点して伸びやかな雰囲気となり、田舎踊りとなります。
第4楽章第1主題は豪壮で、ぐっとテンポを落とした第2主題はおっとりとした感じ、第3主題は少し粘りながら力強く演奏されます。その後もデュナーミク、アゴーギクの変化を大きく取り、スケールの大きな音楽を聴かせ、圧倒的なフィナーレに至ります。
完成度は同じ年のウィーン・フィルとのセッションが上ですが、ライヴならではの感興の豊かさ、意外な音質の良さを評価して少し甘いですが【お薦め】とさせてください。


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ブルックナー:交響曲第3番ニ短調
[1890年版 第3稿 改訂版]
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
ハンス・クナッパーツブッシュ(指揮)
1964年1月16日(ライヴ)

ウィーン・フィルとのセッションやバイエルン国立管とのライヴから10年が経ちました。
第1楽章第1主題は、相変わらず壮大ですが、じっくり腰を落ち着けたような音楽となっており、枯淡の境地を思わせます。第2主題も優美ではありますが、秋風の寂しさを感じさせるものですが、大きなリタルダンドがあったりします。第3主題はオケに厚みがありますが、どこかほろ苦い音楽です。展開部は最初のうちは慎重で淡々としており、頂点に向かっての大きなアッチェレランドはもう聴かれず、普遍的な演奏となっています。もう少し録音が良く、情報量が多い(演奏の感興を伝えてくれる)録音であったら別の感想をもったかもしれません。枯れた演奏に聴こえます。
そのような意味では第2楽章が、落ち着きがあり、重厚感のある音楽となっています、が、この音質で14分07秒はつらいです。
第3楽章は、一転してオーケストラを豪快に鳴らしています。中間部でぐっとテンポを落とすところがユニーク。トリオはがらっと雰囲気を変え、しっとりとした舞曲になっています。
第4楽章は、実演ではきっと壮大な演奏だったでしょうけれど、この録音では伝わって来ないもどかしさがあります。第2主題はのんびりとしています。ミュンヘン・フィルの、ちょっとくすんだ弦が美しいのですが、金管は危なっかしいところがあります。第3主題は強靱な部分と非常に繊細な部分の対比がよく描き分けされています。フィナーレはこの指揮者ならではの壮大さで、ラストは大見得を切るようです。
録音状態は、この時期のライヴとしてはこんなものでしょうか。あまり鮮明ではない曇った音質です。

ブルックナー 交響曲第3番 の名盤 Ku~Sa

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前回、自分は休日ブロガーだと書きましたが、一週間の試聴ノルマが果たせず、火曜日の投稿になりました。おそらくあと一回で終りになります。仕事をしていても交響曲第3番の第2楽章が頭の中に響いています。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[第2稿 エーザー版]
バイエルン放送交響楽団
ラファエル・クーベリック(指揮)
1970年1月30日(ライヴ)
ミュンヘン,ヘルクレスザール
【お薦め】
クーベリックは、ブルックナー・メダルを授与されたほどの大家なのですが、セッションは第3番と第4番のみ、後は第8番と第9番のライヴがあるだけのようです。第3番をセッションで残したというところがクーベリックらしいかも。
録音も含めた総合的な完成度では、1980年のセッションに軍配が上がりますが、このライヴもなかなかの演奏です。
第1楽章は、第2主題が印象的です。バイエルン放送響の艶やかな弦が美しく、それに絡む管楽器も魅力的です。第3主題は少し力みが出た感じですが、表現意欲を感じさせるものです。展開部は寂寥とした景色に始まり、録音がやや高域を持ち上げた感じで重厚さに欠けるものの、ライヴならではの勢いがあります。クーベリックの解釈自体は10年後のセッションとほとんど変わらないように聴こえるのですが、得意曲だけあって解釈にブレが無いのでしょう。ひとつの目安として演奏時間は、第1楽章:20分13秒→21分22秒、第2楽章16分10秒→15分35秒、第3楽章:6分59秒→7分07秒、第4楽章:14分24秒→14分43秒です。このライヴのほうが演奏時間が短く感じられたのですが、そうでもなかったですね。
第2楽章も、バイエルン放送響の力強い弦が素敵です。ヴィオラによる第2主題も美しいです。次のミステリオーソも細心で絶妙な歌を聴かせます。ホルンや木管のハーモニーがきれいで、やはり弦が美しいです。弱音が本当に美しいのです。
第3楽章は、次のセッションとほぼ同じ感想です。歯切れの良さが迫力を生んでいます。中間部は美麗で、トリオはこちらのほうが元気が良い感じです。エーザー版なので、音が上がって終ります。
第4楽章は、金管が輝かしく、ライヴならではのノリの良さを感じます。第2主題も明るく活動的で、驟雨のような第3主題は1980年盤同様、ティンパニがよい音を出していますし、疲れを知らない金管楽器が凄まじいです。こういうところはセッションよりライヴのほうが直接的に心に訴えてくるものがあります。
咳のひとつも無く、聴衆の存在を全く感じさせないライヴ録音でした。「名演」と思います。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[第2稿 エーザー版]
バイエルン放送交響楽団
ラファエル・クーベリック(指揮)
1980年
ミュンヘン,ヘルクレスザール
【お薦め】
こちらはライヴではなくセッションです。スコアは今度もエーザー版で、クーベリックは交響曲第3番を演奏する際は必ずこの版を使用していたそうです。なお、第2稿 ノヴァーク版は、この録音の年、1980年に出版されています
第1楽章第1主題は遅からず速からずの良いテンポで、二度目の頂点が凄い音量です。第2主題も対向配置によるステレオ効果が抜群で、旋律を慈しむように歌わせ、この主題の雄大さをよく表現しています。第3主題もバイエルン放送響の優れた合奏力を聴くことができ、提示部の終わりの寂寥感もなかなかのものです。以下、筆舌に尽くしがたいのですが、ブルックナーの交響曲第3番のセッションでは最も優れた演奏のひとつと言えるでしょう。表現、響き、迫力、叙情性、テンポ、録音の、どれもが理想的で素晴らしいバランス感覚の演奏です。
第2楽章も第1楽章と同じことが言えます。ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、コンセルトヘボウ管と並び称されるオーケストラだけのことはあります。クーベリックの指揮も深い呼吸で音楽を掘り下げています。大河という言葉が似合いそうな演奏です。
第3楽章も、この曲のお手本のような見事な演奏で、鮮烈で輝かしいな印象を放ちます。中間部の木管も美しいし、決めのティンパニが良い感じに入ります。トリオは弦のバランスが素晴らしく、響きが立体的で聴き惚れてしまいました。こんな演奏なら何回でも聴きたいです。
第4楽章もオーケストラの立派な響き、第2主題の伸びやかな歌、力強さと繊細さの切り替えが巧みな第3主題は、ここでもティンパニが効いています。弦と管のバランスがとても良く、常に心地良い響きがします。最後は圧巻の音響です。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1889年 第3稿 ノヴァーク版]
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
ロリン・マゼール(指揮)
2012年9月(ライヴ)
ミュンヘン,フィルハーモニー・ガスタイク

マゼールは、バイエルン放送交響楽団ともブルックナー交響曲全集を録音(1999年1-3月)していますが、この録音はマゼールが82歳にしてミュンヘン・フィルの首席指揮者となったときのものです。マゼールは1967年にもベルリン放送響と交響曲第3番を録音しており、料理のしがいがある曲ということなのでしょうか。
第1楽章開始は、テンポの大きな変化によりドラマティックに頂点を築きます。第2主題はやや遅く粘り、厚化粧気味。第3主題はきれいに整理整頓され、きっちり決めていきます。ミュンヘン・フィルの響きが美しい提示部でした。展開部はオーケストラの魔術師と呼びたいくらい、見事な手綱さばきで絶妙なコントロールを聴かせるマゼールです。クライマックスも壮大です。再現部も思い入れたっぷりの演奏で表現が濃く、洗練されています。82歳なのに音楽が全く枯れていません。コーダは大見得を切るように終ります。
第2楽章もミュンヘン・フィルの豊かなバスに支えられた厚い弦の響き、金管のハーモニーが美しく、適度な感情移入により、説得力のある音楽となっています。この楽章は本当に素晴らしいと大見増した。
第3楽章は、理想的は演奏と言ってよいでしょう。リズムのキレが良いです。トリオは、少しおどけたような表現、マゼールらしいです。
第4楽章は、忙しい弦の動きをしっかり聴かせる壮大な第1主題に始まります。第2主題の歌わせ方にも独特なところがあり、第3主題も精密な演奏ですが、哀愁もたっぷりです。その後も、壮絶なクライマックスを構築するなど、充実した音響を堪能させてくれ、コーダなど凄い迫力です。最後には聴衆の熱狂的な拍手とブラボー。
【お薦め】にしないのは、指揮者への偏見ではなく、マゼールの個性が控えめとはいえ、ブルックナーの音楽とちょっと違うように感じたからです。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1873年 第1稿]
ベルリン・ドイツ交響楽団
ケント・ナガノ(指揮)
2003年3月
ベルリン,N.L.G.スタジオ

嬉しいことに第1稿です。第1主題はゆったりと演奏され、その寂寥感、荘厳さはなかなかのものです。金管楽器が教会の鐘の音のように聴こえます。第2主題も憂いと憧憬を湛えており、うっとりと聴き惚れてしまいます。第3主題もその延長で、もの悲しさを感じます。その後もじっくり丁寧な演奏で、しかし、頂点は迫力があり、ブルックナーの第1稿を聴く醍醐味を味わうことができます。提示部の終わりは慰めるように優しく、美しいです。再現部は再び寂しい音楽ですが、この第2主題は絶品と言ってよいくらい美しいです。大いに盛り上がったまま第3主題に突入し、壮大なクライマックスを迎えます。タイムは26分33秒ですが、長さを感じさせない演奏でした。
第2楽章は、静謐で繊細で恩寵のときといった印象を持ちました。抑えめの表現により曲の美しさが際立っています。
第3楽章は、録音場所の豊かな残響のせいもあり、もう少し第1稿の荒々しさがあると良かったけれど、響きの美しい演奏です。トリオも速めのテンポですっきりと洗練された表現です。
第4楽章も、響きは美しいのですが、直接的な迫力に欠けるように思います。そのような意味では、第1主題より第2主題のほうが良いですが、少しあっさりしています。第3主題はテンポの変化に驚きます。録音がもう少し直接音を大きめにしてくれたら、別の印象を受けたと思うのですが、迫力不足に感じます。各楽章の主題が回想されるところなど美しく、良いところも多いのですが、もう少し突き抜けたものがあればよかったでしょう。
第1楽章を聴いた段階では【お薦め】だったのですが、残りの楽章では物足りなさを覚えてしまいました。ブルックナーは難しいですね。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[第3稿 ノヴァーク版]
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
アンドリス・ネルソンス(指揮)
2016年6月(ライヴ)
ライプツィヒ,ゲヴァントハウス

2017年からライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長(カペルマイスター)に就任したネルソンスのブルックナー交響曲全曲録音の第一弾(第4番、第7番と進行中)です。他にもショスタコーヴィチ(ボストン響)、ベートーヴェン(ウィーン・フィル)の全集を並行して録音中という、最も忙しい指揮者のひとりです。
第1楽章は、第3稿なのに23分49秒(次のノリントン盤は第1稿で18分48秒です。いや、ノリントンが速すぎるだけ?)という演奏時間からわかるように、遅めのテンポを採用しており、第1主題や第3主題は宇宙を思わせるくらい壮大で、第2主題もゆったりと雄大に奏でられます。弱音のときは澄んだ響きによる繊細な演奏で、加速は控えめにし、最大ヴォリュームでスケール感のある頂点を築きます。私はもう少し速めのテンポが好みですが、この演奏にブルックナーらしさを感じる人もいらっしゃるでしょう。再現部も、やや単調ではありますが、叙情的な音楽と雄大なクライマックスを聴かせます。
そのような演奏なので、第2楽章のほうがネルソンス&ゲヴァントハウス管に向いているように思われます。静かにゆるゆると流れる大きな川のよう。メッツァ・ヴォーチェで歌っているような弦楽合奏の最弱音がとても美しい。
さすがに第3楽章は、普通のテンポでした。よく聴くといろいろなことをやっているのですが、それでも単調に聴こえてしまいます。しかし、トリオは気の利いた音楽を聴かせ、なかなか面白かったです。
第4楽章も、第1主題は骨太の響きで筋骨隆々ですが、第2主題は優雅にしっとりと踊られます。第3主題以降もゲヴァントハウス管の金管は輝かしく、弦はしなやか、木管は優美な演奏を聴かせてくれます、が、単調さは拭えませんでした。


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ブルックナー:交響曲第3番ニ短調
[第1稿]
ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ
サー・ロジャー・ノリントン(指揮)
1995年9月

ノリントンのブルックナーですから、ただでは済まないという予感がしていたのですが、的中しました。ブルックナーの熱心なファンには許しがたい演奏かもしれませんが、私は面白く聴くことができました。第1稿採用なのが嬉しいです。今は存在しないロンドン・クラシカル・プレイヤーズの演奏で、当時使用されていた楽器を採用しているのだそうです。弦はもちろんガット弦。
第1楽章は、冗談のような速さです。異常と言ってもいいくらい。昔だったらレコードの回転数を(45回転に)間違えたと思ったでしょう。こんなに速く演奏する必要性とか理由はあるのだろうかと思いますが、ある意味わかりやすい演奏なのかもしれません。第2主題も速いです。情緒もヘチマもなく、移ろう和声を楽しむ余裕はもらえません。第3楽章も超特急です。展開部も速く、このテンポでよく演奏ができるものだと感心します。美しい瞬間もあるのですが、総じてせわしない第1楽章でした。18分48秒。
第2楽章は、アダージョですので、さすがに第1楽章のようなテンポは採りませんが、それでもやや速めでしょうか。時間の感覚が狂ってきます。このぐらいの速度だと旋律が掴みやすいですね。時々思い出したように無謀なテンポに走りますが、語るべきところでは速度を落とします。楽器と奏法のせいか、スケールの大きさこそ感じませんが、曲が曲なので、それなりに美しい演奏でした。17分14秒。
第3楽章は、少し速い程度でしょうか。このぐらいのテンポの演奏は他にもあり、第1楽章が際立って速かったということになります。トリオはなかなかチャーミングな演奏です。6分24秒。
第4楽章は、予想したより普通の演奏でした、と思ったら第2主題は速いです。ただ、この主題提示は長いので、このぐらいの速度もありでしょう。その勢いで第3主題に突入します。まぁ愉しい演奏ではありましたよ。14分56秒。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1873年 第1稿]
シュトゥットガルト放送交響楽団
サー・ロジャー・ノリントン(指揮)
2007年5月22日(ライヴ)
シュトゥットガルト・リーダーハレ,ベートーヴェンザール

ノリントンの再録音です。シュトゥットガルト放送響とは、第4番や第6番、第7番や第9番の録音もあるようですが、全集化しなかったのでしょうか。
第1楽章は、やっぱり速いです。しかし、ただ速いだけではなく、メリハリがあります。第2主題や第3主題も速く、展開部は驚異的なスピードです。緩急の差がとても大きく、バロック音楽を聴いているようです。また、弦の人数が少ないのか、金管が登場すると急に音量が大きくなります。再現部の終わりはさすがにじっくりと聴かせますが、また元のテンポに戻ります。演奏時間は19分56秒で、1分以上も長くなりましたが、そのようには聴こえません。超特急の第1楽章でした。
第2楽章も前回(17分14秒)より遅くなっており、18分31秒です。同じ第1稿のケント・ナガノが17分01秒ですから、じっくり取り組んだということなのでしょう。各主題の描き分けもきちんと行っており、全体としては夕映えの音楽のようです。
第3楽章は、前回とあまり演奏時間(6分37秒)が変わらず、各楽器がよく聴き取れて色彩感があり、トリオは前回同様、テンポは速いものの、愛らしい演奏となっています。
第4楽章は、15分56秒で、1分ほど遅くなっていますが、第2主題が速いのは前回同様です。快速一辺倒ではなく、聴かせるべきところはぐっとテンポを落とし、他の演奏より遅いくらいの速さとなっています。第1稿の美しさを分かり易く伝えてくれる演奏と言えるかもしれません。
最後に拍手があります。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1873年 第1稿]
バンベルク交響楽団
ジョナサン・ノット(指揮)
2003年12月2-4日
バンベルク,Sinfonie an der Regnitz
【お薦め】
いくら好きな曲とはいえ、こう毎日同じ曲ばかり聴いていると、飽きてきます。しかし、今まで気がつかなかった名盤に出会えると、聴き続けて良かったと思います。これはそんな録音のひとつです。
第1楽章第1主題は、僅かに速めの良いテンポ。トランペットの後の木管が倍の長さで演奏されるのが第1稿の特長です。頂点への持って行き方とその後の雰囲気が実に良いです。第2楽章もたおやかな美しさで、流動感も自然です。第3主題の金管もキレが良く、提示部の終わりも崇高さを漂わせます。不安げに始まる展開部、よい緊張感が持続し、ワクワク感が途切れず、鮮烈なクライマックスを築きます。重厚さよりは色彩感のある響きで、鮮烈なイメージがあります。第2主題の展開も柔らかく、しなやかな演奏で、その後のカットされた部分も大変美しいです。再現部は爽やかで活力があります。一抹の寂しさの後、壮大なコーダを聴かせます。
第2楽章は、厳かな弦で始まります。木管が入って音楽が動き出し、一段落着くところの呼吸が良い感じです。バンベルク交響楽団は実演で聴いたときには、好不調があるように見受けられましたが、この録音では心がこもった演奏をしています。特にミステリオーゾの主題が絶妙と感じました。各部の表情の付け方が巧みです。第1稿なので、ワーグナーの管弦楽曲(タンホイザー)を聴いているような気持ちになります。
第3楽章もノットは抜群のテンポ&バランス感覚を発揮します。金管のキレが良く、とても賑々しくて、中間部もきれいに流れます。トリオも速めのテンポが好ましく、瑞々しい音楽を聴かせます。この楽章も、とても上手にまとめていると思います。
第4楽章も前楽章とほぼ同じことが言えます。第1主題の力強さはなかなかのものです。第2主題も音楽がよく流れ、美しいです。第1稿は変化に富んでいて飽きないのですが、それでもこの部分はこれぐらいのテンポが好ましいでしょう。。展開部も快調で、第1稿の音による曲芸を聴く思いです。これに比べると第3稿はずいぶん普通の音楽になってしまったと実感します。コーダは壮大な盛り上がりを聴かせます。
優れた演奏で第1稿を聴くことができて良かったです。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1877年 第2稿 ノヴァーク版]
BRTNフィルハーモニー管弦楽団
アレクサンダー・ラハバリ(指揮)
1995年2月26-28日
Brussels,Magdalena Hall
【お薦め】
Wikipediaによると、アレクサンダー・ラハバリ(1948年-)は、世界的に著名なイラン出身の指揮者なのだそうです。そこで急遽この録音もちゃんと聴いてみることにしました。1988年から1996年まで首席指揮者を務めたブリュッセルのBRTNフィルハーモニー管弦楽団(現ブリュッセル・フィルハーモニック)とのブルックナーです。これが良かったのです。
第1楽章第1主題を聴いたところで、故吉田秀和氏が「音楽のクライマックスが緊張の絶頂であると同時に、大きな、底知れないほど深い解決のやすらぎであるということ。(私の好きな曲 新潮社)」という文章を思い出しました。そのとおりの演奏なのです。オーケストラはあまり上手ではありませんが、早くも惹きつけられてしまいました。なんて立派な頂点を築くのであろうと思いました。第2楽章もよく歌っているのと同時に、楽曲の対位法的な構成がよく活かされ、立体的です。時には主旋律を覆い隠してしまうのですが、それが新鮮です。第3主題はごつごつしていますが、肌触りがブルックナーらしいです。展開部は無骨ですが、その素朴さが貴重です。クライマックスに至るまでの過程も理想的です。オーケストラに巧さ・美しさを求めたくなるところもありますが、これも持ち味というものでしょう。
第2楽章は、最初のうちは、一流オーケストラの弦に比べると物足りないですが、音楽が動き始めると、聴き入らせるものがあり、なんて美しい音楽なのだろうと思います。響きがオルガンのようで、ブルックナーが演奏しているかのようです。いや、これは褒め過ぎでした。ラハバリはちょっとした間の取り方、音量やテンポの落とし方など、深く沈むところが上手いです。さすが「世界的に著名な指揮者」です。
第3楽章は、速めのテンポでキリリと締まった演奏です。トリオも颯爽としていて気持ちのよい演奏です。第2稿ノヴァーク版なので、コーダが付加されています。
第4楽章も、ブルックナーらしい厚みのある響きで開始されます。第2主題も良いテンポで純朴なブルックナーが思い浮かびます。第3主題も各楽器のバランスが良く、ティンパニも雄弁です。その後の寂寥感の表出も大したものですし、この頃になると、なかなかよいオーケストラではないかと思うようになります。それにしてもラハバリ、テンポ感覚が抜群ですね。そこは申し分がないです。勇気をもって【お薦め】にします。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1889年 第3稿]
ソビエト国立文化省交響楽団
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(指揮)
1984年

ロジェストヴェンスキー&ソビエト国立文化省響は、ショスタコーヴィチ交響曲全集を録音していたのと同じ時期に、ブルックナー交響曲全集「完全版」を録音しており、例えば交響曲第3番は「1877年 第2稿」「1873年 第1稿」「第2楽章 1876年稿」「1889年 第3稿」の全てを録音しています。どうしてこんな企画が通ったのでしょう。今回入手できたのは、残念ながら「1889年 第3稿」の音源だけです。第1稿を聴きたかったのですが。
第1楽章は良いテンポです。これぐらいの速さだとワクワク感があります。頂点はロシアのブラス全開ですが、それほど違和感はないどころか、ロジェストヴェンスキーの表現意欲、熱いものが伝わってきます。第2主題もロシアの交響曲のように響きますが、第3楽章共々スケール感があり、アルプスを飛び越えて宇宙を感じます。金管が咆哮するときの音色が気にならないでもないですが、聴き慣れていないだけでしょう。ロジェストヴェンスキーは心からブルックナーの音楽に共感しているのでしょう。展開部の頂点も金管のヴォリュームが凄まじいです。全合奏だけでなく、弱音の部分も透明感があり、哀愁も漂っており、ブルックナーを聴く喜びを与えてくれます。再現部は一層豊かな音楽を聴かせますが、それにしても凄い迫力です。
第2楽章も、独特の響きで、他の演奏とは明らかに違った趣があります。ロシア民謡のようにも聴こえますが、それだけ豊かに歌っているということなのでしょう。弦が金属的な音色であったり、金管が刺激的であったりしますが、ここに聴く豊穣な音楽は代え難いものがあります。
第3楽章も予想どおりのスペクタクルな演奏です。トリオは驚くほど雰囲気が変わります。
第4楽章も金管が雄弁で迫力があります。第2主題も思い入れたっぷりに演奏され、第3主題も力強さい強烈なものです。最後までロシアン・ブラス全開の輝かしい演奏でした。
ロジェストヴェンスキーのブルックナーに対する傾倒を考えれば、【お薦め】にしてもよいのですが、響きがあまりブルックナーらしくないので一般にはお薦めではないでしょう。しかし、聴き甲斐のある演奏なので、是非お聴きになってください。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1890年 レティッヒ出版譜 第3稿改訂版]
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
クルト・ザンデルリング(指揮)
1963年6月
ライプツィヒ,ハイラント教会
【お薦め】
ザンデルリンクのブルックナーというと、シュトゥットガルト放送響を指揮した1999年12月15-17日のライヴを愛聴していましたが、1963年というと、ザンデルリンクがベルリン交響楽団の芸術監督・首席指揮者になって間もない頃ですね。そんな時代に録音された交響曲第3番です。
第1楽章第1主題は、堂々たる押し出しの強いもので、早くもこの指揮者とオーケストラが、ブルックナーの演奏にふわさしい存在であることを印象づけます。第2主題も見事です。楽器のバランスが良く、たっぷり歌い、流動感にも欠けていません。頂点への行程も自然です。第3主題は音の厚みが素晴らしいです。提示部の終わりも美しく演奏されています。展開部もゆったりとしたテンポで、ひとつひとつの音を積み重ねていく感じで、スケールの大きな演奏を繰り広げています。再現部は第2主題がユニークで、主メロディ以外の楽器を強く弾かせているのが新鮮です。最後まで雄大かつ荘厳な演奏でした。
第2楽章は遅めのテンポで、じっくりと取り組んでおり、大変見事な演奏です。ブルックナーに関心の無い人からすればただ長いだけの退屈な演奏に聴こえるかもしれませんが、細部まで気配りが行き届いた実に丁寧な演奏で、圧巻と言えます。演奏効果を意識せずに、これだけの成果を上げているのが素晴らしいと思います。この時代にザンデルリンクが、これほどのブルックナーを録音していたというのはすごいことです。
第3楽章は荒ぶる演奏で、嵐のような迫力があります。それだけに中間部の優雅さが引き立ちます。中間部は一転して長閑な演奏で、ゲヴァントハウス管のいぶし銀の弦と木管が美しいです。
第4楽章は、やや遅めで始まり、まず充実したオーケストラの響きを聴かせます。第2主題はスケルツォのトリオ同様、平和な音楽です。ここはちょっと長く感じるのは仕方がありません。その後はコーダに向けて悠揚迫らぬ音楽が繰り広げ、圧巻としか言い様がありません。
録音も優秀でした。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1889年稿 ノヴァーク版]
BBCノーザン交響楽団
クルト・ザンデルリング(指揮)
1978年4月21日(ライヴ)
ニューカッスル,シヴィック・センター

ザンデルリンクが得意としたブルックナー交響曲第3番ですが、なんと8種類以上の録音が残されているとのこと。演奏については、先のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮したものとほぼ同様の感想を持ちましたが、指揮・演奏・録音ともゲヴァントハウス管とのものが優れていると思います。この演奏だけ聴けば、これも名演に違いないのですが、若干緊張感が不足しているようにも感じられ、あえてこれを選ぶ必要はないかな、とも思いました。

ブルックナー 交響曲第3番 の名盤 Sc~Te

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今回で終了予定だったのですが、都合により二回に分けることにしました。
今度こそ、あともう一回で終わりです。たぶん。

Bruckner: Symphony No. 3
François-Xavier Roth - Gürzenich-Orchester Köln

Bruckner: 3. Sinfonie (Fassung 1889) 
hr-Sinfonieorchester ∙ Paavo Järvi

Bruckner: Symphony No.3
Szell Wiener Philharmoniker (1966 Movie Live)


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1874年 第1稿+α キャラガン校訂]
フィルハーモニー・フェスティヴァ
ゲルト・シャラー(指揮)
2011年7月(ライヴ~)
【お薦め】
キャラガン校訂版という珍しい版を使用しているのが特長で「1874年版は、ワーグナーに献呈された1873年初稿とは対をなす片方の複製スコア、それはブルックナーが取っておいて、1874年におもに第1楽章でテクスチャーにかなりの追加を書き込むことになったスコアに完全に基づくものであり、剥き出しの1873年初稿よりもいくぶん、カノン風の導入部は増強され、細部のリズムはより複雑に、そして全体の響きがより暖かく、洗練されている」(キングインターナショナル)のだそうです。
指揮者は、オルガニストとしてブルックナーの全オルガン曲を録音し、ブルックナーの交響曲全曲を録音(2007年~2015年)したゲルト・シャラー、録音が行われたエーブラハは、ドイツ連邦共和国バイエルン州オーバーフランケン行政管区のバンベルク郡に属する市場町です。
第1楽章は、オーケストラの編成が小さい(弦が少ない?)のか、最初はこぢんまりとした印象を受けますが、その分クリアで見通しがよく、特に木管楽器がよく聴き取れるのがありがたいです。録音会場が教会なので残響音もたっぷり入っています。シャラーはブルックナーに相当入れ込んでいるようですが、それはこの演奏でもよくわかります。
第2楽章は、素朴で飾らない表現、おっとりとしていて、しずしずと歩いているような演奏。
第3楽章は、細身ですが、生き生きした音楽を聴かせてくれます。この楽章も楽器のバランス感覚が絶妙です。トリオもご機嫌なブルックナー。
第4楽章もスッキリしていて、押し出しの強さ等はあまり感じません。楽器のバランスが良く、細部まで見通しの良い、オルガン・サウンドでした。
全体を通して、私が聴き慣れている第1稿とは、いろいろと違う部分があり、大変貴重な録音とも言え、これはブルックナー・ファンに是非聴いて頂きたい録音です。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1890年第3稿 シャルク校訂版]
フィルハーモニー・フェスティヴァ
ゲルト・シャラー(指揮)
2017年9月23日(ライヴ)
エーブラハ,大修道院付属教会
【お薦め】
シャラーは、6年前は「1874年 第1稿 キャラガン校訂版」を採用していたのですが、この録音は「1890年 第3稿 改訂版(レティッヒ社)」の楽譜を用いています。昔の巨匠(クナッパーツブッシュやシューリヒトとか)はともかく、今の指揮者は使わない版ですね。ノヴァーク版を使わないのは、シャラーのこだわりなのでしょう。
演奏タイムは、版が異なるため、キャラガン校訂(第1稿)とシャルク改訂(第3稿)を比較すると、第1楽章24分23秒→20分46秒、第2楽章20分57秒→14分28秒、第3楽章6分57秒→7分46秒、第4楽章18分08秒→14分23秒という変化があります。キャラガン校訂版は第1稿ですので、当然演奏時間が長くなるのですが、第3楽章だけは第3稿のほうが小節数が少し多いこともあり、長くなっています。
演奏自体は、先のキャラガン版と基本的に同じなので、感想は省略しますが、こちらの方が楽器の音が生々しく、録音が良いように思われます。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1890年版 第3稿 改訂版]
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
カール・シューリヒト(指揮)
録音時期:1965年12月2-4日
ウィーン,ムジークフェラインザール

シューリヒト&ウィーン・フィルのブルックナーと言えば、第8番(1963年12月録音)と第9番(1961年11月録音)が名演とされているのに対し、この交響曲第3番の録音はあまり(というか、全くと言ってよいほど)話題になることがありません。1965年といえば、ウィーン・フィルと最後の演奏会を行った年ですね。
第1楽章は、速めのテンポで始まります。ウィーン・フィルの管楽器が柔和です。最初から速いのでアッチェレランドの効果はあまりないですが、第1主題の提示は堂々たるものです。第2主題は艶やかなヴァイオリンが美しいです。テンポは速いままで、とにかく先へ先へと進もうとしているようです。第3楽章は金管がややヒステリックですが、私が所有している輸入初期盤が、そのような音づくりなのかもしれません。展開部も加速がせわしないのですが、第1主題でのクライマックスは強力です。あっという間に再現部となりますが、指揮者がオケを煽って、前へ前へと進めているようです。デリケートなニュアンスは感じられませんが、神経質ではない、朗々たる歌が魅力とも言えます。
第2楽章は、打って変わって落ち着いた音楽になっており、弦が美しいです。第1楽章同様、たおやかではなく、剛毅な音楽づくりとなっており、単調さは否めませんが、明快であるとも言えます。
第3楽章は、普通より少し遅いぐらいで、このテンポだとトリオとのバランスが悪くなるように思いますが、割り切って聴けばよいのかもしれません。もう少しオケを豪快に鳴らしたほうがよく、いささか中途半端な感じがしました。
第4楽章も普通のテンポより少し遅いぐらいなので、第1楽章だけが速かったということになります。第2主題は一層のんびりとした演奏で、伸びやかであり、ウィーン・フィルの美質を活かした演奏となっています。でも、このテンポだと第2主題の提示が長く感じます。第3主題も遅めです。加えて、リタルダンドで止まりそうなくらいまで遅くなります。全体的にちぐはぐな印象があり、音楽にメリハリがないように思います。第8番や第9番と違って交響曲第3番は、指揮者が補ってやらなければならない部分があると思うのですが、シューリヒトのスタイルでは難しいのかもしれません。コーダは立派でした。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1873年 第1稿]
シュターツカペレ・ドレスデン
ヤニク・ネゼ=セガン(指揮)
2008年9月21日(ライヴ)
ドレスデン、ゼンパーオーパー

現在は、フィラデルフィア管弦楽団とメトロポリタン歌劇場の音楽監督を兼任するなど、現在大活躍中ネゼ=セガン(当時33歳!)の一回目。名門シュターツカペレ・ドレスデン(以下、SD)を指揮しての演奏で、第1稿を採用しているのが嬉しいところです。
第1楽章はゆったりとしたテンポで始まります。第1主題の提示は細やかな気配りが感じられるものの、少し単調に感じます。第2主題はSDの弦の柔らかい響きが美しく、夢見るような演奏です。第3主題も重量感があり、ときおり木管が華を添えます。提示部の終わりも静謐そのもので、ホルン等がきれいです(聴衆はこういうところで咳をしてはいけない!)。展開部は安心して音楽に身を任せることができ、抜群の安定感です。展開部の終わりは、瑞々しく天国的な美しさ、再現部も落ち着いており、大河のようです。息をのむような繊細さの後、堂々たるコーダで締めくくられます。26分19秒。
SDによる演奏ですから、第2楽章は名演になって当然です。ネゼ=セガンはこの楽章でも遅めのテンポで、じっくり丁寧に演奏しています。後は聴く側の問題であり、この淡々とした音楽運びに集中力を維持することができるかということが課題でしょう。20分43秒。
第3楽章も堂々たるもので、管・弦のバランスがとても良く、立派な響きです。トリオは速めのテンポで都会風に洗練されています。6分29秒。
第4楽章は、ここまでどちらかというと遅めのテンポを採用してきたネゼ=セガンですが、第1主題は少し速めです。第2主題はすっきりとした演奏で、野に咲く花ではなく、生け花のよう。第3主題は再び速めのテンポで、展開部からネゼ=セガンが真骨頂を発揮し、めくるめく楽想の処理が素晴らしいと言えます。18分27秒。
最後にブラボーと拍手が入ります。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1873年 第1稿]
グラン・モントリオール・メトロポリタン管弦楽団
ヤニック・ネゼ=セガン(指揮)
2014年6月(ライヴ)
モントリオール,メゾン・サンフォニック

カナダの指揮者、ネゼ=セガンがモントリオール・メトロポリタン管弦楽団を指揮して完成させたブルックナー交響曲全集の中の一曲です。このオーケストラは、1981年にケベック音楽院を卒業した優秀な音楽家たちによって創設されたもので、ネゼ=セガンの手兵なのだとか。今回も嬉しいことに第1稿採用です。
第1楽章第1主題は、悠揚迫らぬ提示、どっしりとしており、量感が豊かです。ネゼ=セガンの指揮も旧録音よりこなれているように思います。第2主題も良いテンポで、第1主題共々しっとりとした表現を好ましく思います。第3主題もずっしりとしており、また、繊細さも兼ね備えた立派なものです。その後もあまりテンポを変化させないので単調に聴こえますが、小細工を弄さない堂々とした音楽づくりが魅力でもあり、安定度は抜群です。ただし、ワクワク・ドキドキする瞬間はなく、ただただ立派な音楽となっています。展開部の終わりは自然な美しさに好感が持てます。ただ、初めてこの曲を聴く人には、長くて退屈と言われそうです。25分36秒。
第2楽章のタイムは17分56秒で、旧録音よりも短くなっていますが、速くなった感じはあまりないです。透明感のあるスッキリした表現で、水彩画のよう。旋律をよく歌わせようという感じではなく、和声の移ろいを聴かせようとする演奏のようです。
第3楽章は、旧録音とほぼ同じ感想を持ちました。トリオが意外に速く、洗練されてる感じがします。6分22秒。
第4楽章も、旧盤と同じで、都会的で洒落ています。優れた演奏だと思うのですが、なぜかあまり求心力がありません。続けて同じような演奏を聴いたからでしょうか。16分55秒。
旧盤と新盤のどちらかを選ぶとすれば、オケの魅力は旧盤ですが、新盤のほうがネゼ=セガンの指揮が徹底しているように思います。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1877年 第2稿 ノヴァーク版]
シュターツカペレ・ドレスデン
ジュゼッペ・シノーポリ(指揮)
1990年4月
ドレスデン,ルカ教会

シノーポリ&シュターツカペレ・ドレスデン(以下、SDと言う)によるブルックナーは、1987年録音の第4番に始まり、この第3番、第7番、第8番、第9番が録音され、1999年の第5番をもって終っています。シノーポリは2001年に亡くなっていますので、全集の完成には至りませんでしたが、主要な交響曲が録音されたのを幸いとするべきでしょう。なお、シノーポリは1992年からSDの常任指揮者の任にありました。
第1楽章は、やや遅めで開始、神経質と思えるくらい、細かい表情づけを行っている第1主題です。第2主題はほど良いテンポですが、やや控えめで雄大さはあまりありません。第3主題はSDの金管楽器が素晴らしい響きで演奏しています。展開部の頂点は、オケの分厚い響きが頼もしく、魅力的なブルックナー・サウンドを聴かせてくれます。細部まで疎かにせず、考えに考え抜かれたブルックナーであるように思うのと同時に、未消化の部分があるようにも感じました。曲が長く感じられてしまったのです。それでもコーダの迫力は凄まじく、なかなかのもでした。
第2楽章は、ちょうど良い速さで、厚みのある響きが好ましく思えます。ルカ教会でのSDの美しい響きに身を委ねるのがよろしく、それ以上のものを求めようとすると期待外れとなります。全体に淡々とした音楽運びです。暁と夕の歌。
第3楽章もSDの厚みのある美しい響きは素晴らしいと思いますが、それ以上のものが少ないように感じました。細部まで彫琢されているのに、録音がそれを捉え切れていないのかもしれません。金管が目立ち過ぎるのが難点です。第2稿ノヴァーク版なのでコーダ付きです。このコーダは迫力がありました。
第4楽章も同様です。ルカ教会の残響で、楽器の音がブレンドされてオルガンのように聴こえると言えば聞こえはよいのですが、もう少し弦楽器の音が強めにほしいとか、木管楽器が溶け込まずに分離されて聴こえるとよい、金管楽器が喧しい等、いろいろ不満が湧いてきます。でも、SDの金管の響き自体は好きなので、その心地良さに浸ろうと割り切って聴きました。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1889年 第3稿 ノヴァーク版]
ザールブリュッケン放送交響楽団
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(指揮)
1996年10月
Kongresshalle Saarbrucken, Germany

スクロヴァチェフスキというと、私はショパンのピアノ協奏曲の伴奏指揮者というイメージが先行してしまうのですが、なんと言っても1991年から2001年まで10年を要して録音したブルックナー交響曲全集が名盤として知られています。今はザールブリュッケン・カイザースラウテルン・ドイツ放送フィルという長い名前になった、ザールブリュッケン放送響(スクロヴァチェフスキは首席客演指揮者でした)の演奏も良かったです。
第1楽章は、速めのテンポで開始、個性豊かな第1主題の提示の後、これも快速テンポの第2主題へと続きますが、流動感があって聴いていてとても気持ちが良いです。第3主題もその流れで朗々と演奏されています。こんなに速い演奏だったかな。少々意外でした。展開部もすいすいと進んで行きますが、けして大味ではなく、密度の濃い演奏です、と言いたいところですが、やっぱりちょっと速すぎるかな。基本のテンポが速いとアッチェレランドが生きず、ところどころで慌ただしく加速するのは性急な感じがします。
第2楽章は、ほど良い速さで、瑞々しく静謐な美しさがあり、弦がとてもきれいで豊かな歌を聴かせてくれます。
第3楽章は、再び速めでキレの良いの演奏で、バランス重視のためか、盛大にオーケストラを鳴らすということはしません。スムーズに流れる中間部がとてもきれいです。トリオはぐっとテンポを落として優雅なワルツとなります。
第4楽章は、各主題及び各所のテンポ設定が巧みですし、スクロヴァチェフスキならではの管・弦のバランスの良さも相俟って、聴き応えのある演奏に仕上がっています。第1楽章の主題が吹奏される場面などなかなか感動的です。
【お薦め】にしたいところですが、第1楽章が私の理想ではなかったので無印としました。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[第3稿 ノヴァーク版]
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ(指揮)
2014年3月14日(ライヴ)
ロンドン,ロイヤル・フェスティヴァル・ホール

第1楽章冒頭は、ザールブリュッケン放送響との録音(以下、旧録音)よりやや遅くなり、ちょうどよい速さとなりました。ただし、録音のせいだと思うのですが、この第1主題は、重量がなく底力を感じさせません。バランス重視ということなのでしょうか。経過句は気のせいか速くなっています。第2主題は弦のバックに聴こえるホルンが効果的です。展開部は、心地良いテンポで進行しますが、性急なアッチェレランドは変わらず、少しがっかりします。クライマックスも速過ぎます。ここはど~んとやって欲しいところ。ブルックナーらしい重厚さに欠ける嫌いがあります。いや、フットワークの軽さを狙ったのかもしれませんね。再現部はやっぱり速いですが、コーダに向けての盛り上がりはなかなかのものです。
第2楽章は、旧録音も良かったですが、当録音はライヴゆえか、テンポの揺れが好ましく、素晴らしい演奏となっています。
第3楽章のリズムのキレの良さは旧録音を上回り、中間部の流動感も冴えています。トリオも同様で、ロンドン・フィルが歯切れの良いワルツを演奏しています。弦の厚みも申し分ありません。
第4楽章第1主題は、旧録音も良かったのですが、当盤のほうが躍動感があります。弦の音が大きめに収録されているからでしょうか。第2主題も愛らしく、茶目っ気がある感じです。第3主題もキレがよく、迫力が増しているように思います。その後もスクロヴァチェフスキの指揮の賜か、ロンドン・フィルの演奏が実に丁寧で、かつ、感興豊かであり、スケールの大きな名演を聴かせます。
でも、やっぱり第1楽章が違うと感じてしまったのです。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1877年 第2稿 ノヴァーク版]
シカゴ交響楽団
サー・ゲオルグ・ショルティ(指揮)
1992年11月
シカゴ,オーケストラ・ホール

ショルティは、シカゴ響とブルックナー交響曲全集を録音していますが、1979年に第6番を録音してから1995年に第0番を録音するまで、なんと16年もかかっています。ブルックナーに対してあまり熱心ではなかったのか、慎重に取り組んだのかはわかりません。ショルティ&シカゴ響は、ブルックナーの音楽とあまり相性がよくなさそうだという先入観が働いてしまいますが、交響曲第3番に関しては、そんなことはないのです。有名な交響曲では一番最後に録音されたので、円熟の境地に達しています。それと、第2稿ノヴァーク版を採用しているなんて、嬉しいではありませんか。
第1楽章冒頭はやや遅めですが、圧倒的な頂点を築きます。シカゴ響が誇るブラス・セクションは音色が明るめですが、威力があります。第2主題も厚化粧の演奏も多いのですが、この演奏は自然な美しさを保っています。第3主題は理想的で、今回聴いた中では最も優れた演奏のひとつと思います。ここでも金管陣が輝かしく鳴り響きます。提示部終わりから展開部始めにかけての寂寥感もはっとさせられるものがあります。さすがショルティです。頂点に向かっての加速も、スクロヴァチェフスキのようにアクセルをベタ踏みしません。繰り返しになりますが、音楽の流れが自然です。金管だけでなく木管も素晴らしいですし、弦楽器も柔らかい響きでブルックナーにふさわしいサウンドを奏でています(強音時に金管が煩いと感じないでもありませんが……)。
第2楽章を聴くと、ショルティは偉大な指揮者、シカゴ響はヴィルトゥオーゾ集団であったと実感します。ここはこうあって欲しいと思うところがそのとおりであり、それを実現してくれるオーケストラでした。「神秘的に」と書かれた楽想がそのように演奏されている例はあまり多くないのですが、きちんと「神秘的に」演奏されています。
第3楽章は、意外なことに速めの演奏。ffではシカゴ響全開で、金管楽器が賑やかですが、力づくという感じで、もう少し抑えたほうがバランスが良かったと思います。この楽章のバーバリアン的側面を表出したかったのでしょうか。トリオも速めでですが、主部とは対照的にすっきりと洗練された演奏になっています。ノヴァーク版なのでコーダ付き。
第4楽章は、僅かに速めで開始。第1主題・第2主題共に良いテンポです。第3主題はパワフルな金管のおかげで迫力があります。その後も極めて優秀なーケストラによる、多彩な表現を聴くことができます。


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ブルックナー:交響曲第3番ニ短調
[1890年 第3稿 改訂版]
クリーヴランド管弦楽団
ジョージ・セル(指揮)
1966年1月28・29日
クリーヴランド,セヴェランス・ホール
【お薦め】
セルのブルックナーは、セッションでは、この第3番と第8番(1969年録音)が残されているのみで、後はライヴしかないのですが、少ないですね。しかし、第3番はセルの愛奏曲であったという記述もあります。
第1楽章は、セル&クリーヴランド管らしく、一糸乱れぬアンサンブルを聴かせます。第1主題は管・弦のバランスが良く、意志の強さを感じさせ、強力で壮大です。第2主題もよく歌い、第3主題も大きく膨らんでいく演奏で、自信が満ち溢れています。伴奏の弦の刻みをきっちり弾かせており、一音符たりとも疎かにしないセルの指揮です。しかし、例えば展開部の頂点も、窮屈さはなく、良い具合に力が抜け、よく響きます。合奏の精度は非常に高いのですが、力みが無く大らかな音楽となっています。先のショルティ盤も良かったのですが、セル盤は「格が違う」と思わせるぐらいの素晴らしい演奏です。
第2楽章は、柔らかいけれど腰が強い弦楽合奏で始まります。ときおりさざ波が立つ静かな海のようですが、やがて大きなうねりを伴うようになります。美しい演奏でした。
第3楽章は、強く弾かれるピッツィカートから期待が高まります。ffでもショルティ&シカゴ響のように金管が強奏されることはなく、節度を感じます。それでいて不満は全くなく、正確に演奏されるオーケストラに感銘を受けました。中間部及びトリオでは、このコンビによるドヴォルザークのスラヴ舞曲の名盤を思い出させる、郷愁を呼び起こす演奏でした。
第4楽章第1主題は、忙しい弦の正確な伴奏がいかにもセル&クリーヴランド管らしいです。第2主題は前楽章のトリオと同じ感想を持ちました。第3主題も同オケの優秀な金管セクションにより迫力があるものです。その後も完璧と言ってよい演奏が繰り広げられ、充実した時を過ごすことができました。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1889年 第3稿 ノヴァーク版]
バイエルン放送交響楽団
クラウス・テンシュテット(指揮)
1976年11月4・5日(ライヴ)
ミュンヘン
【お薦め】
マーラー指揮者として有名だったテンシュテットですが、ブルックナーの録音は少ないです。この交響曲第3番は、HMV&BOOKSの2006年2月24日 (金) 連載 許光俊の言いたい放題 第49回 「テンシュテットのブルックナーは灼熱地獄で話題になったもので、ご興味がある方は読んでみてください。
さて、バイエルン放送響という強力なオーケストラを指揮しての交響曲第3番ライヴです。
第1楽章は冒頭からなにかを孕んだような出だしで、今にも豪雨がやって来そうな、そんな緊迫した雰囲気の演奏から凄まじいアッチェレランド&クレッシェンドにより強烈で圧倒的なクライマックスが何度も築かれます。第2主題は情念の塊のような不思議な演奏です。雄大さより感情の高まりを聴くようです。第3主題もエネルギッシュで、触ると火傷をしそうな熱を帯びています。提示部の終わりから展開部の始めにかけては、寂寥感というより、嵐の前の静けさを思わせます。ずんずん進んで行き、溢れんばかりの感情の高まりを見せ、頂点は凄まじく、熱いものが込み上げてくる音楽です。再現部も音符のひとつひとつに魂を宿して演奏しているかのようで、一瞬たりとも気が抜けません。とにかく熱い演奏なのです。コーダに向けての熱狂的な盛り上げも凄いです。
そんなテンシュテットのブルックナーですから、第2楽章は、静謐な世界というより、感情を押し殺している演奏に聴こえ、各主題や楽想が熱に浮かされているように演奏されています。ブルックナーをマーラーのように演奏しているとも言えます。クライマックスに向け、指揮者がオケを煽っている様子が目に浮かびます。そのようにして築かれた頂点は圧倒的です。
第3楽章は、少し速め、非常に情熱的でスケール感も十分です。中間部も含め低弦の強いピッツィカートが効果的です。トリオは一転して長閑な音楽となりますが、どこかに不安を抱えているようで、翳りを帯びた音楽となっています。圧倒的でした。
第4楽章は、速めのスタート、暗い情熱を湛えているように思えます。第2主題も本来は吹っ切れた明るさをもつ音楽なのですが、やはり不安気で、手放しで喜べないような演奏です。第3主題は空騒ぎのようにも聴こえますし、ざわざわとしています。その後も熱狂的な演奏が続き、バイエルン放送響が夢中になって弾いているように聴こえます。
繰り返し聴くのはつらい演奏ですが、とにかく凄い演奏でした。


ブルックナー 交響曲第3番 の名盤 Ti~Zw

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第6回にして最終回です。意外に長くかかってしまいました。多く取り上げるつもりなかったのですが、食わず嫌いで隠れ名盤を逃さないようにと思うと、どうしても数が増えてしまいます。でも、交響曲第3番はこれでおしまいです。名残惜しい気持ちもありますが、新しい曲に挑戦できるのは嬉しいことでもあります。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[ノヴァーク校訂 1873年 第1稿]
ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団
ゲオルク・ティントナー(指揮)
1998年8月27・28日
グラスゴー,ヘンリーウッドホール
【お薦め】
ゲオルク・ティントナーという指揮者を、Naxos のブルックナー交響曲全集で初めて知った方も多いと思います。私もその一人です。それで、この感想を書く前に、Wikipedia でティントナーについて調べたのですが、この交響曲第3番の録音がティントナーの遺作となったのだそうです。ティントナーが亡くならなければ、ブルックナーの交響曲の全ての版を録音する経過句があったそうで、その死が惜しまれます。
HMV&BOOKS のレビューを見ると、この演奏を支持されている方が多いということがわかります。そのようなことを知ってしまうと、客観的に感想を書くのが難しくなります。いや、そうでなくてもこの演奏について書くのは難しいです。最後の記事を2回に分けた理由のひとつです。
Wikipedia によると、交響曲第3番の演奏時間は「初稿が約70分、第2稿が約60分、第3稿が約55分(各21分、14分、7分、13分)」とされていますが、このティントナー盤は、第1楽章:30分40秒、第2楽章:20分40秒、第3楽章:6分50秒、第4楽章:19分22秒で、合計タイムは約77分30秒という80分近い演奏時間です。
今回の聴き比べでこれまでに最も遅かったのはレミ・バロー【お薦め】盤で、あれは第1楽章:32分36秒、第2楽章:23分40秒、第3楽章:7分54秒、第4楽章:24分56秒で、合計タイムは約89分で破格の遅さでしたが、ティントナー盤の第1楽章は、バロー盤に匹敵するほど遅く感じられます。
第1楽章は、やはり遅いです。トランペットのソロの後の木管が間延び(第1稿は倍の音価ですが)して聴こえます。第1主題の最初のffはこれでもかというぐらいの最強奏で響きます。経過句も同様ですが、クライマックスに向けての息の長いクレッシェンドが効果的です。第2主題は少し遅いくらいで、その雄大さは、アルプスを越えて宇宙を感じさせます。第3主題も同様で、そのスケールの大きさに唖然とさせられます。
展開部も遅く、頂点までの道のりが遠いのですが、ブルックナーを聴く醍醐味とはそのようなものです。この演奏にはワクワク感がありますので耐えられます。そして訪れたクライマックスはとてつもなく巨大です。展開部終わりの静かで美しい部分は第1稿ならではの神々しい時間があります。これを聴くと、そろそろ終わりという気分になるのですが、まだ20分17秒で、再現部が10分29秒も残ってします。第1主題による頂点は今度も凄まじいものでした。第2主題は宇宙を漂っているような、浮遊感があり、これスケール雄大に終ります。その流れで最初から壮大な第3主題の頂はどこまでも高く、コーダへと流れ込みます。
第2楽章になってくると、遅いとか速いとかいう判断が出来なくなってきます。朝日が差し込む教会というイメージでしょうか、静かな佇まいです。淡々と進んで行きますが、単調ではなく、深い味わいをもっています。豊穣な時間が流れていきます。(でも、ちょっと長く感じてしまうのも正直なところです。)
第3楽章は、普通のテンポ。金管楽器のバランスが非常によく考えられていると見受けます。余計な表情は一切付けず、楽譜に書いてあることを、ありのままに演奏しているようです。とにかく立派なのです。トリオは速めですっきりしています。
第4楽章も、他盤に比べて特に遅いということはありません。この楽章の金管楽器を鳴らし切った第1主題も立派です。第2主題もスケルツォに同じく、すっきりしていますが、愛らしいというより綺麗な演奏で、あの手この手を尽くしている第1稿(第2稿以降はつまらない音楽になってしまった)に由来しているところが大きいです。ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管の弦が美しいです。第3主題も普通のテンポですが、提示部の終わりでは止まりそうなぐらい遅くなります。
再び第1主題に戻り、第1稿ならではの念の入った盛り上がりを聴かせます。第2主題と第3主題が交互に現れる転換も見事。再び金管強奏の第1主題、おっとりとして伸びやかな第2主題、トリッキーな第3主題、そして第1主題に戻り、第1楽章第2主題、第2楽章第1主題、第3楽章の冒頭を思い出した後、第3主題が演奏され、やがて第1主題による、アルプスを思わせる雄大なコーダが高らかに吹奏され、力強く全曲の幕を閉じます。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[第3稿 1888/1889年 ノヴァーク版]
ケルン放送交響楽団
ギュンター・ヴァント(指揮)
1981年1月5-17日
ケルン,シュトルベルガー・シュトラーセ・シュトゥディオ
【お薦め】
 ヴァント唯一のブルックナー交響曲全集(ドイツ・レコード賞受賞)は、1974~1981年に録音されました。放送用として第5番と第9番が録音されたのですが、素晴らしい演奏であったため、レコード化され、最終的に全曲が録音されて全集となったものです。
 余談ですが、私、「全集」という言葉を度々使用していますけれど、ブルックナー交響曲全集には、交響曲第1番から第9番までの9曲の場合と、これに第00番、第0番を追加して11曲を収録している場合があります。ヴァント&ケルン放送響の全集は前者に当たり、第00番と第0番は含まれていませんし、第1番と第2番もその後の録音はありませんので、ヴァント唯一のブルックナー交響曲全集なのです。なお、ヴァントは第5番と第9番をブルックナーの最高傑作としていましたが、ヴァントが第5番を初めて指揮したのは1974年なのです。
 第1楽章は、やや遅めで始まり、音量を上げて凄まじいffとなります。2度目のffはさらにすごい音量です。経過句も同様で、金管の強奏は容赦がないです。第2主題は歌心に溢れ、流動感も申し分ありません。楽器のバランスがよく考えられていますが、第3主題でのトランペットが気になります。音程が変? 展開部はケルン放送響が気持ちのよい合奏を聴かせます。第1主題によるクライマックスは、やはり強烈で金管の強奏が印象的です。再現部の頂点も同様。金管を鳴らしまくりますが、ブルックナーを満喫できる演奏であることは確かです。
 第2楽章は、ほど良いテンポ。低弦が大きめで響きに厚みがあります。第2主題をヴィオラが奏でるとき、ヴァイオリンはもう少し小さい音にすればよいのにと思いますが、各主題や楽想はよく歌われており、過不足はありません。この録音当時、ヴァントは69歳でしたが、音楽づくりが若々しく、盛り上がる場所は盛大にオーケストラを鳴らします。ダイナミックスの巾が非常に大きいのです。
 第3楽章もちょうど良いテンポです。叩きつけるような主部の迫力もさることながら、中間部が絶品ですね。意外だったのはトリオが速いことです。普段聴こえない木管楽器が聞こえたりと、再発見がありました。
 第4楽章もテンポが良いのです。ヴァントがブルックナー指揮者として早くから認められていた(というか、この録音で世界に認められ、日本では1990年以降に人気が出たのだけれど)のも、テンポの設定が人並み外れた感覚の持ち主だったため、普遍的な解釈が可能だったからでしょう。ただ、曲が進むにつれ、曲の長さが気になるようになってしまいました。それは飽きっぽい私に問題があるのでしょう。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1889年 第3稿 ノヴァーク版]
北ドイツ放送交響楽団
ギュンター・ヴァント(指揮)
1985年12月23日(ライヴ)
ハンブルク,ムジークハレ(現ライスハレ)

 Wikipedia によるとヴァントは「テンポに関して類稀な感覚を有しており、また『正しい』テンポの設定を常に模索し続けた」のだそうで、「作品に対するテンポイメージが寸分も狂わない」のだとか。今回は、1982年から1991年まで首席指揮者の地位にあった北ドイツ放送響とのライヴ録音です。
 第1楽章のテンポを調べたところ、前回は21分25秒、今回は21分08秒でほとんど変わらないと言ってよいでしょう。聴いた感じでも前回とほぼ同じに聴こえ、違うのはオーケストラと音の録り方のようです。前回は生々しさがあり、今回はソフト・フォーカスで柔らかい響きになっていますが、ブルックナーらしさは前回のほうに軍配を上げたいです。あと、第2主題がせかせかしているのも気になります。旧録音にはもう少し余裕があったと思います。
 第2楽章は、最初の一小節を聴いただけで名演と思いました。テンポを揺らしながら音楽は進み、前回よりもやや速めのテンポであるように聴こえます(実際に演奏時間は13分43秒から13分27秒へと短くなっています。ほんの少しの差ですけれどね。)。
 第3楽章は、旋律よりリズムが強調されているみたいです。短い間ですけれど、中間部の歌い方がチャーミングなのも、トリオが快速テンポなのも旧盤同様です。これで録音がもう少し冴えていてくれたら。
 第4楽章第1主題は、僅かに遅くなった感じがします。第2主題も相変わらずチャーミングな演奏で、第3主題も理想的です。
しかし、前回のケルン放送響との録音のほうが全体的に表現がこなれているように感じられてなりません。この北ドイツ放送響との録音はぎこちない感じが付きまとうのです。コーダに向けての迫力も前回のほうがありました。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1889年 第3稿 ノヴァーク版]
北ドイツ放送交響楽団
ギュンター・ヴァント(指揮)
1992年1月12-24日(ライヴ)
ハンブルク,ムジークハレ
【お薦め】
レコード芸術(音楽之友社)の名曲名盤500で、この曲の第1位に選定された、ヴァント/北ドイツ放送響の1992年ライヴです。ちなみに、第2位はベーム/ウィーン・フィル、第3位はカラヤン/ベルリン・フィルです。晩年のベルリン・フィルとの一連の録音がなくても、ヴァント/NDR-SOは第1位に選ばれたでしょうか。また、第3稿ノヴァーク版を採用しているのも気になります。版へのこだわりはなかったのでしょうか。ヴァントにとって重要なのは、第5番と第9番であって、第3番はまぁ聴いてみます。
第1楽章は落ち着いたテンポから第1主題の確定まで、スケールの大きな演奏を聴かせてくれます。第2主題も速くも遅くも濃くも薄くもない理想の演奏です。いや、ちょっと速めですかね。第3主題もテンポ以外は同様です。終わりのフルート・ソロが美しいです。展開部の頂点は、喩えて言うならばアルプスのマッターホルンを仰ぎ見るような壮大な光景を思い浮かばるものです。再現部も速めのテンポですっきり流している感じです。作為の跡が見えないのはブルックナー演奏にプラスと思います。コーダの金管の強奏も威力があります。
第2楽章は、やや速めのテンポですっきりしています。各主題や楽想は歌い込むという感じではなく、過度な思い入れを避け、曲本来の美しさをあるがままに演奏しているようです。この楽章の私心無く演奏されている希有な例かもしれません。
第3楽章は、理想的な名演です。まずテンポの設定が良いです。響きの厚みも申し分ありませんし、楽器のバランスも最善に保たれています。トリオは間を置かず、すぐに開始され、速めのテンポでこれもすっきり演奏されています。それでいて愉悦感は失われていません。最後の和音も強靱です。
第4楽章は、良い意味でお手本のような演奏となっています。第3稿なのであちこちカットされていますが、ヴァント指揮の演奏を聴いていると、そういうところもあまり気になりません。
演奏時間は、20分55秒、13分10秒、6分44秒、12分43秒でした。
ヴァントは3つの録音を取り上げましたが、細かいテンポ設定等は別にして、基本的にはこの3種はあまり変わらないと思います。つまり解釈にブレがないということですね。(作曲者49歳時の作品ですが)この曲にふさわしい若々しさ・力強さを感じるのは、1981年のセッションであり、ヴァントの円熟を重視するのであれば、この録音と思います。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1873年 第1稿][68:35]
ハンブルク・フィルハーモニー
シモーネ・ヤング(指揮)
2006年10月15,16日(ライヴ)
ハンブルク,ライスハレ
【お薦め】
ヤングもブルックナーの交響曲全集(第00番~第9番)を2006年から2015年にかけて完成しいますが、スコアへのこだわりがあり、例えば第3番は1873年第1稿、第4番は1874年第1稿、第8番は1887年第1稿を採用しています。では、交響曲第3番を聴いてみます。
第1楽章開始は、(私の)理想的な速度で始まり、誠に堂々たる(威丈高にならない)第1主題の確保です。その後も絶妙の間を取ったりと、ヤング女史はただ者ではありません。第2主題も良いテンポで、憧憬に満ちた演奏で幸せな気分になりますが、それを第3主題が砕きます。演奏が悪いのではなく、そういう音楽だということです。提示部を美しく閉めて、展開部はやや速めとなり、緩急も自在という感じで、曲が進んで行きます。オケの響きが厚いのもブルックナーらしくて良いですね。展開部の終わりも第1稿ならではの美しい音楽となっています。再現部もゆとりのある音楽づくりで、25分26秒かけて第1楽章を終えます。
第2楽章も心のこもった音楽となっています。ハンブルク・フィルは良いオーケストラですね。完成度が高い演奏だと思いますが、これで指揮に押し出しの強さみたいなものがあると、なお良かったんじゃないでしょうか。曲の長さを感じてしまいました。
第3楽章も妥当な速度ですが、演奏会場の残響が若干多めで分離が悪くなっている(隣の部屋で聴いている感じ)のが残念です。とは言うものの、主部の力強さ、中間部の素朴さは十分です。トリオも遅すぎない良いテンポで、可憐なワルツとなっています。
そして第4楽章は、やはり理想のテンポなのです。怒濤の第1主題の後、第2主題の歌わせ方が洒落ており、美しく、これは良いと思いました。第3主題は、ヤングが完璧に第1稿をどう演奏したらよいか理解していることを裏付ける演奏であると思います。展開部以降はブルックナーを聴く愉しさに溢れている見事な演奏であり、ハンブルク・フィルの熱演もそれに貢献しています。
第2楽章と第3楽章が今ひとつに思えたのですが、第1稿を採用していることを評価し、ちょっと甘いですけれど【お薦め】にしたいと思います。
今回の聴き比べで「第1稿」の演奏がこんなに多くなっていることに驚きました。今後も第1稿や第2稿の演奏は増えることでしょし、第3稿は減るのではないでしょうか。
あと「ライヴ録音」が非常に多いのですね。聴取がいたほうが集中力が出るのでしょうか。


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ブルックナー:交響曲第3番 ニ短調
[1877年 第2稿 ノヴァーク版]
オランダ放送フィルハーモニー管弦楽団
ヤープ・ファン・ズヴェーデン(指揮)
2011年12月21-23日
ヒルヴェスム,Studio MCO5
【お薦め】
最後の一枚です(聴く順番はランダムなので一番最後ではありません)。ズヴェーデンは、2006年から2013年にかけてブルックナー交響曲全集(第1番~第9番)を録音しています。オーケストラは、2005年から2012年まで首席指揮者の任にあったオランダ放送フィルです。
第1楽章は、ちょっとのんびりしたところがありますが、まずまずの出だし、第1主題を強烈に提示します。ズッシリとしており、なかなか迫力があります。経過句に入るときの一瞬の間、こういうところが上手いですね。第2主題提示も美しく良い出来です。第3主題も強く鋭く提示されます。展開部は秋の気配を感じさせる雰囲気。クライマックスに向けての盛り上げ方も堂に入ったもので、指揮者としてのズヴェーデンの豊かな資質を実感します。再現部も全体に良い出来です。オランダ放送フィルは明るめの音なので、長調に転じている時のほうが合っています。
以前にも書きましたが、後の時代の指揮者は先人達の名演を録音で聴くことができるので、ことテンポの設定に関しては似通ってくるのかもしれません。
第2楽章提示部も良い速度(お手本的スピード)でテンポに関しては特に不満はありませんが、途中からテンポが自然に動き始めます。この楽章は変化があったほうが聴き通し易いので大歓迎です。美しい演奏でした。
第3楽章も良いです。テンポがドンピシャで迫力も欠けていません。カッコイイ演奏です。トリオも僅かに速めですが、このぐらいの速度がちょうど良いと思います。見事に洗練され、彫琢されている楽章でした。コーダが付いています。
第4楽章も洗練されています。各主題は練りに練られた表現となっており、演奏に幅があります。展開部も再現部も文句なしです。
良い演奏でしたが、問題があるとすれば録音で、オーケストラの響きが不思議な音で録られています。あまり生々しい音ではなくて、加工されている感じです。狭い会場で録音しているような音で、すぐ飽和してしまうのですが、オルガン・サウンドになっているとも言えなくはないです。

これで ブルックナー 交響曲第3番 ニ短調 を終ります。
新譜が出たら追加していきたいと思います。

[END]


マーラー 交響曲第1番 の名盤 Ab~Bo

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久しぶりのコンサートなので、予習をします。対象はマーラーの交響曲第1番とブルックナーの同第9番。

ブラームスのピアノ協奏曲第2番とプロコフィエフの同第3番は予習しなくてもだいじょうぶ。ピアノはユジャ・ワンですが、久しぶりの新譜が発売される模様です(以下のCDとは別に、Blu-ray 及び DVD が今月発売されました)。

Deutsche Grammophon によると、
Recorded live in Berlin, @YujaWang stirs memories of legendary artists with interpretations of landmark works by Rachmaninov, Scriabin, Ligeti and Prokofiev on her new Deutsche Grammophon solo recital album. Stay tuned for more to come!

なのだそうで、ユジャ・ワン本人によれば、
My new album "The Berlin Recital" will be released by @DGclassics at the end of November. As a preview, the encores of this recital, with works by Kapustin, Schumann, Tchaikovsky & Prokofiev, are available on the streaming platform of your choice.
なのだとか。ふぅむ、なるほど!(←英語が苦手)

【CD】
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【Blu-ray】
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このディスク、原語は英語で、字幕は独仏韓日です。なぜ中国語がないのでしょう。
いや、別にいいんですけれどね。


さて、マーラーの「巨人」は、既出盤の(おそらく)全てをコレクションしているであろう、奇特な方がいらしゃるので、取り上げづらい曲ではあるのですが、軽いノリで書いてみたいと思います。

グスタフ・マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」

第1楽章 Langsam, Schleppend, wie ein Naturlaut - Im Anfang sehr gemächlich
 ゆるやかに、重々しく ニ長調 4/4拍子 序奏付きの自由なソナタ形式
第2楽章 Kräftig bewegt, doch nicht zu schnell
 力強く運動して イ長調 3/4拍子 複合三部形式
第3楽章 Feierlich und gemessen, ohne zu schleppen
 緩慢でなく、荘重に威厳をもって ニ短調 4/4拍子 複合三部形式
第4楽章 Stürmisch bewegt
 嵐のように運動して ヘ短調 - ニ長調 2/2拍子 自由なソナタ形式

この曲については、朝比奈隆先生の「あの交響曲の基調となるものは歌曲の旋律ですけれど、それがとても交響曲を形造っているなどとは思えないんです。スコアを見ても構成が脆弱で、楽器も数だけは多いんですが、必ずしも有効に使っているとは思えません。マーラー先生にはたいへん申し訳ないんですが、どうも自分の納得がゆかないものですから、やらないことにしています。」という言葉を思い出し、書くのを躊躇っていたのだけれど、増田良介氏の「マーラー青春時代の記念碑とも言うべきこの交響曲には、挑戦的でユニークな表現がこれでもかとばかり盛り込まれているのだ。過激な表現という点ではマーラーの交響曲のなかでもいちばんかもしれない。(究極のオーケストラ超名曲 徹底解剖66(音楽之友社))」を読み、心を動かされました。他人からの影響を受けやすい私です。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
シカゴ交響楽団
クラウディオ・アバド(指揮)
1981年2月
シカゴ,オーケストラ・ホール
【お薦め】
第1楽章は、冒頭のA音からして雰囲気が良いです。「朝の野原を歩けば」による第1主題も上々、シカゴ響は本当に巧いです。アバドの指揮も積極的で、活気があり、録音もダイナミックレンジが広く、当時のデジタル録音のメリットを最大限に活用しています。アバドはマーラーの音楽が心底好きだったのであろうなという感慨を改めて持ちました。
第2楽章も、音楽に覇気があります。シカゴ響の弦楽合奏が爽快ですし、金管には輝きがあります。中間部は、大らかな歌を聴かせ、木管が彩りを添えます。
第3楽章の主部の物憂い感じがよく出ています。中間部の「彼女の青い眼が」は、大好きな旋律なのですが、この演奏は絶妙で、ぞくっと感じさせるものがありました。
第4楽章第1主題はシカゴ響のパワフルなサウンドに魅了され、第2主題の物悲しくも優しい歌が美しいです。この楽章の構成は、よく理解していない(できない)のですが、この頃のアバドは非常にエネルギッシュで、全曲を締めくくるにふさわしい壮大なコーダを聴かせてくれます。
ところで、アバド/シカゴ響のマーラーは、どれもこのようなジャケットなのですが、これは何を表現しているのでしょう?


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
クラウディオ・アバド(指揮)
1989年12月(ライヴ)
【お薦め】
アバドは、1990年からベルリン・フィルの芸術監督の任にあったわけですが、この録音はその前年、ベルリン・フィルの第5代首席指揮者に決定した、その月の頃の演奏会です。ジャケット画像が若々しく元気そう。
第1楽章は弦の持続音の上で動き回る木管楽器がさすがです。フルートはアンドレアス・ブラウでしょうか。ホルンも良いです。早朝、太陽が昇る前の夏の朝という感じでしょうか。シカゴ響に比べると、弦が艶やかでしっとりしており、クライマックスもベルリン・フィルの合奏力の高さを再認識させられました。
第2楽章は、基本的な解釈はシカゴ響版と変わらず、前楽章同様若々しいうえに洗練された表現です。この頃のアバドはまだ元気でした。重量感と厚みのある弦が好ましいです。中間部は、淡々としているようで、呼吸が大きな音楽を聴かせます。
第3楽章も、冒頭こそ暗いですが、終始活動的で、穏やかな場面でも隙を見せません。最後は寒々とした荒涼な世界です。
第4楽章は、シカゴ響ほどの押しの強さ・色彩的はありませんが、そこは何と言っても世界最強のベルリン・フィルですし、今回の聴き比べで、このオケは後はハイティンク盤にしか登場しかないという貴重な演奏でもあります。シカゴ響の「巨人」録音は多いのですが、ベルリン・フィルはなぜか少ないのです。その演奏は外面的な効果を狙わず、内面を深く掘り下げていくかのよう。もちろん、クライマックスの迫力は言うに及ばずです。
ライヴ録音なので、お客さんの咳が曲間に入りますし、曲中でもたまに聴こえますが、これは編集して欲しかったです。アバドにとって記念すべき時の録音であるだけに、継ぎ接ぎはしたくなかったということなのでしょうか。
演奏が終った瞬間、ブラボーと盛大な拍手があります。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ルツェルン祝祭管弦楽団
クラウディオ・アバド(指揮)
2009年8月12日(ライヴ)
ルツェルン,カルチャー&コンヴェンション・センター内コンサート・ホール
【お薦め】
1990年からベルリン・フィルの芸術監督となり、(マゼールは認めなかっただろうけれど)誰もが認める当時最高の指揮者となったアバドですが、2000年に胃癌で倒れ、ベルリン・フィル辞任後は、ルツェルン祝祭管弦楽団、マーラー室内管弦楽団、モーツァルト管弦楽団との演奏に活動の中心が移ります。
Blu-ray Disc なので、映像付きで鑑賞しました。最初は緊張気味のアバドも、「Ging heut' morgens übers Feld」のメロディの頃にはにこやかな表情となり、最後まで楽しそうに指揮をしていました。この交響曲が心底好きなのでしょう。演奏が終ると同時にブラボーと拍手、そして聴衆全員によるスタンディング・オベーションを受け、幸せいっぱいのアバドでした。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
カレル・アンチェル(指揮)
1966年

新しいモノ好きの私でも、チェコの名指揮者というと、未だにヴァーツラフ・ターリヒ(1883-1961)とカレル・アンチェル(1908-1973)が真っ先に思い浮かびます。幸いアンチェルはいろいろな曲をステレオ録音で聴くことができるのですが、いずれも見事な演奏です。
第1楽章序奏は、木管の音量を抑えているのが好ましく、奥ゆかしさを感じますが、(大した問題ではありませんが)遠くで鳴っているトランペットのファンファーレは人工的かも。ホルンのハーモニーもきれいです。「Ging heut' morgens übers Feld」も滑らかで美しく演奏され、少し地味な印象もありますが、高貴な魂が宿っているようにも思われます。クライマックスはダイナミックレンジが狭い録音にも責任があり、やや盛り上がりに欠けますが、引き締まったアンサンブルです。
第2楽章の主部も同様ですが、中間部は弦のポルタメントが懐かしさを誘います。
第3楽章は、歩みの重さとおどけたような木管のアンバランスさが面白く、テンポや音量の変化が絶妙です。また「Die zwei blauen Augen」の色彩感も素晴らしく、終わりの寂寥感にはぐっとくるものを感じます。
第4楽章は、まず複雑なスコアがきちんと整頓されて演奏されています。あまりにも冷静なのでもう少し熱気がほしいと思いますが、無い物ねだりかもしれません。フットワークは軽いけれど、やや軽量級です、と思ったのですが、コーダは聴かせるものがあり、音量を上げて聴けばなかなかの迫力でした。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
(第4楽章の後に「花の章」付き)
シドニー交響楽団
ヴラディーミル・アシュケナージ(指揮)
2010年2月10-13日(セッション&ライヴ)
シドニー,オペラ・ハウス、コンサート・ホール

アシュケナージ指揮の「復活」はなかなか良かったので、「巨人」も聴いてみることにしました。
まず、録音が良いですね。気持ちの良い音です。第1楽章序奏は、丁寧であまり神経質にならず、健康的な明るさで、エネルギーを感じます。
第2楽章も明るいです。楽しくて仕方が無いという感じで、オーケストラがよく鳴っています。中間部はしっとりと長閑な雰囲気の中、旋律をよく歌わせています。主部に戻ってからはさらに色彩的で活発です。
第3楽章は、ニ短調で暗く厭世的になりますが、中間部の「Die zwei blauen Augen」はやや速めでメルヘンチックです。主部への回帰からは生き生きとしています。
第4楽章は、スペクタクルな曲に適性を示すアシュケナージの真骨頂と言えるでしょう。静まってからの情感もたっぷりあります。
と、褒め続け、実際に佳い演奏ではあるのですが、それではこれがお薦めかというと、これを選ばなければならない理由もないように思います。
「花の章」(カットされた元第2楽章)を演奏している録音も多くなりましたので、特に珍しくないです。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ニューヨーク・フィルハーモニック
レナード・バーンスタイン
1966年10月4日
ニューヨーク,フィルハーモニック・ホール
【お薦め】
1961年録音のワルター指揮「巨人」を聴いて感動したバーンスタインが自身のマーラー交響曲全集録音を放棄したという話がありますが、実際には1960年2月録音の第4番を皮切りに、1966年12月の第9番(ただし第10番アダージョは1975年4月)で全集を完結させています。
第1楽章はテンポの変化が大きく、この時代としては現代的な演奏で、あれよあれよという間に曲が進行していくように聴こえます。1967年にラッツ校訂による楽譜がマーラー協会から出版されたのですが、それをいち早く(前年に)採用していることからも対抗意識がうかがえるというものです。それに、コロンビア交響楽団に比べれば、伝統と歴史を誇るニューヨーク・フィルは巧さが全然違います。
第2楽章もユニークな表現と、表情にメリハリがあり、鮮烈でダイナミックな演奏は聴き応えがあります。中間部は一転してテンポをぐっと落とし、濃厚な歌を聴かせてくれます。
第3楽章もやや速めで、荘重に進行する中、オーボエのおどけたような旋律に味があります。その後の俗っぽい部分はさに速めで、緩急自在と言ったところでしょうか。「Die zwei blauen Augen」のメロディも夢見るような美しさです。主部はさらに緊迫感と重厚さを増します。
第4楽章冒頭は開始が強烈で、第3楽長の中間部同様に第2主題が美しく演奏されます。その後は現代オーケストラの精髄を聴かされような面持ちで聴きました。
バーンスタインは、1987年にコンセルトヘボウ管と再録音しており、そちらが決定盤の一枚として有名ですが、この演奏にも捨て難い魅力があります。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
指揮:レナード・バーンスタイン
1987年10月(ライヴ)
アムステルダム,コンセルトヘボウ大ホール
【お薦め】
この曲の代表的な名盤です。
第1楽章序奏は自然です。遅めのテンポ設定なのでしょうけれど、作為めいたところがなく、自然とこうなったという感じです。「Ging heut' morgens übers Feld(今朝、野を行くと)」による主題は、どこか悲しげで重たさがあります。歌曲では最後に「Mir nimmer blühen kann!(決して花開くことがない!)」で終りますので、ふさわしい表現と言えますが、そこまで考えたうえでの演奏だとしたら、大したものだと言えます。うまく書けませんが焦燥感のようなものを感じるのです。クライマックス以降はさすがに勢いと迫力があり、凄まじい気迫を聴かせます。16分30秒。
第2楽章は、やや尖ったところがあった旧盤をマイルドにした演奏です。しっかり弾かせているので、重さが増しています。暑苦しいくらい。中間部のレントラー風の主題も濃厚な歌を聴かせます。9分01秒
第3楽章は、ティンパニが心臓の鼓動のように聴こえます。オーボエもおどけたようには聴こえず、終始深刻な音楽となっています。「Die zwei blauen Augen(二つの青い眼)」ももの悲しいです。これも「Nun hab'ich ewig Leid und Grämen.(いま私にあるのは、永遠の苦しみと嘆きだ。)といった趣で厭世観が漂います。10分27秒
第4楽章冒頭は凄まじい迫力で、思いのたけをぶつけているようです。静まってからの第2主題も美しく、そして、もの悲しく歌われます。展開部とコーダの頂点は圧倒的な迫力をもって演奏されます。20分12秒
バーンスタインには映像によるマーラー交響曲全集もあるのですが、交響曲第1番「巨人」は1974年10月の収録で、オーケストラもウィーン・フィルです。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
シカゴ交響楽団
ピエール・ブーレーズ(指揮)
1998年5月
シカゴ,オーケストラ・ホール

シカゴ交響楽団による録音が多い曲です。
第1楽章の序奏は緻密です。一分の隙も無い感じですが、機械的な冷徹さではなく、第1主題にも親しみを込めて演奏されています。ただ、歌い込んでいるという感じではなく、楽譜が要求している音を忠実に演奏しているだけなのかもしれません。それにしても大太鼓の重低音がすごい録音です。低音大好きなのでこういう音を聞かせてくれると評価が上がります。クライマックスはさすがシカゴ響だけあって凄い音量です。
第2楽章は、量感たっぷりの低弦によるリズムが心地良く、歯切れが良く、主部のおどけた感じがよく出ています。中間部のレントラーはやや速めですが、とても雰囲気が良く上品です。
第3楽章は、打って変わって深刻な様相を呈しています。オーボエも丁寧で、続く諸楽器もしっとりと演奏されています。ブーレーズ、真面目、いや、真摯な姿勢で取り組んでいます。もちろん、それはプラスに働いており、中間部など室内楽的な美しさです。
第4楽章もヴィルトゥオーゾ・オーケストラであるシカゴ響が本領を発揮している演奏で、特に強力な金管陣が活躍しています。コーダなど、これを聴くために今まで耐えてきたのだ(?)と言いたいぐらいの壮麗さです。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
サー・エードリアン・ボールト(指揮)
1958年8月10-13日
ロンドン,ウォルサムストウ・アッセンブリー・ホール

これはCD交換会で入手したのですが、当日欠席したG氏(「巨人」マニア)に後日奪われてしまったものです。HDDにコピーしておいたので、PCオーディオで聴くことができるからだいじょうぶ。こうして感想が書けます。
今となっては新しくもないブーレーズ盤の、さらに40年前の録音ですよ。今から数えれば60年前です。エベレスト レーベルは、3チャンネルの35mm磁気フィルム記録装置で録音していたので、ヒスノイズが無ければ新しい録音といっても通じる高音質(いや、それは褒め過ぎ!)で、例えば大太鼓の重低音など、とても臨場感豊かに響きます。
第1楽章は、一言で申すなら地味でしょうか。提示部に入ってからはハープの音が大きめに録られているのが興味深いです。このハープのおかげで、モノクロ写真がカラーになったような、音色の変化があります。そして、頂点への作り込みが周到で、最大の効果を狙い、見事に発揮しています。
第2楽章は、低弦のゴリゴリした音が良い感じです。この速めのテンポが心地良く、ロンドン・フィルが弾き切れていないのではないかと思うぐらいに、とにかく速いのです。中間部も速く、この楽章の新しい美しさを再発見したように思います。主部の最後は凄い迫力で終ります。
第3楽章冒頭のコントラバス独奏は、意図したのかどうか、うらぶれた感じがよく出ています。この楽章も速いですね。中間部などブーレーズのスタイルとは異なり、指揮者の思いが込められているので全編に哀愁が漂います。テンポの伸縮が巧みで飽きさせません。
第4楽章のシンバルも鋭く、これまた凄い迫力で始まります。しかし、第2主題はぐっとテンポを落とし、しっかりと歌います。再び激しくなるときのパーカッションの凄まじさは録音による恩恵。谷と山を繰り返し、楽曲はフィナーレへと進みますが、いろいろと面白かったものの、演奏としては【お薦め】には達していないように思います。


ところで、全然関係のない話なのですが、先日食品スーパーでお金を払おうとしたら、財布の中に変な50円硬貨があったのです。普通の50円玉より大きくて、もしかして偽硬貨?と思い、家に帰って調べてみたら「五十円ニッケル貨(有孔)」というお金でした。今でも極めて細々と流通しているのですね。


マーラー 交響曲第1番 の名盤 Ch~Ha

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Mahler: Symphony No. 1
Rattle · Berliner Philharmoniker

Gustav Mahler: Symphony No. 1
Lucerne Festival Orchestra, Abbado

Mahler: Symphony No. 1 "The Titan"
Bernstein · Vienna Philharmonic Orchestra


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
リッカルド・シャイー(指揮)
1995年5月19・20日
アムステルダム,コンセルトヘボウ

レコード芸術2018年10月号の新譜月評「ビデオ・ディスク」にシャイー指揮「巨人」の批評(特選盤でた)が載っており、あれっ?と思ったのですが、そちらは2015年1月の収録で、オーケストラはゲヴァントハウス管であり、このCDとは違う音源でした。以前も書きましたが、シャイーは好きな指揮者ですので心して聴きました。
第1楽章序奏は聴く者を神妙にさせる丁寧な演奏です。主題(いったいこの交響曲の第1主題ってどこからなんだ?)提示部もふるいつきたくなるようなというほどではありませんが、悪くなく、自然な足取りで無理を感じさせないものです。録音に負うところが多いと思いますが、なかなか瑞々しい音楽です。いつも誇らしげに響くホルンの旋律がすごく小さな音であったりして、意外性もあります。全体的にちょうど良いテンポで、違和感を感じる部分はありません。クライマックスとなる部分も鮮烈な印象を与えてくれます。
第2楽章は、オーケストラ、そしてホールが良い響きで、色彩感も十分です。中間部はゆったりとしたテンポを採りますが、少し慎重になりすぎたか、間延びした感じがあります。
第3楽章は、前2楽章よりも出来が良いと感じました。この曲のうらぶれた感じがよく表出されていると思います。
第4楽章も、超がつく優秀なオーケストラによる優れた演奏とは思うのですが、どこか優等生的で、若々しさが不足しているように感じます。テンポが遅い部分など、とても美しく、うっとりするような瞬間がところどころにあるのですが、全体として無難にまとめたようにも思われます。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ソウル・フィルハーモニー管弦楽団
(ソウル市立交響楽団)
ミョンフン・チョン(指揮)
2010年11月(ライヴ)
ソウル・アーツ・センター

2005年から2015年までチョンが音楽監督の任に就いていたソウル・フィルは、2009年からDeutsche Grammophonと専属契約を交わしています。その代表的な録音だそうです。
第1楽章序奏は、だからどうだということはないのですが、なぜかこの演奏を聴いて初めてベートーヴェンの交響曲第4番(他の演奏では第9番)第1楽章の序奏を思い出しました。主題は表情豊かに歌われ、しっくり来るものを感じます。録音のせいか、音色にざらざらしたものを感じますが、演奏を損なうほどのものではありません。ソウル・フィルは、アンサンブルに洗練を感じませんが、世界各地でオーディションを行って優秀な奏者を集めたそうですから、技術的にも高度なオーケストラなのでしょう。楽章全体としては特に嫌と思う箇所はなく、安心して音楽に身を委ねられる演奏です。クライマックスやコーダはチョンらしく上手に盛り上げます。
第2楽章もコントラバスを豊かに(ごりごり)鳴らして開始、弦を(荒っぽく感じるほど)強く弾かせているのは爽快です。中間部もとにかく歌います、歌いまくります。こうした演奏にはテンポが速いだの遅いだのということはありません。聴く者を喜ばす、聴かせ上手な演奏です。
第3楽章も、良い意味で面白い演奏です。マーラーの旋律を「らしく」演奏しています。つまり、遠慮無く俗っぽく演奏しているのです。これほど第3楽章がはっきりと
この曲をヘッドホンで聴きながら、うとうとしているとき、第4楽章冒頭のシンバルの一閃で目が覚めます。チョンの指揮は旋律の歌わせ方に特長があり、こぶしが効いていて演歌のようですが、大変わかりやすいとも言えます。静まってからの、息の長い旋律も実に表情豊かです。その後も大変情熱的な演奏が続き、オーケストラには洗練された響きを求めたくなる場面もありますが、これだけ聴かせてくれれば十分でしょう。
演奏終了後は盛大なブラボーと拍手でした。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ロサンジェルス・フィルハーモニック
グスターボ・ドゥダメル(指揮)
2009年10月8日(ライヴ)
ロサンジェルス,ウォルト・ディズニー・コンサート・ホール

サロネンの後任として、2009年にロサンゼルス・フィルの音楽監督に就いたドゥダメル(当時28歳)の就任コンサートです。映像作品としても発売されています。
第1楽章の序奏は、静謐な音楽で、まだ若かったドゥダメルの若き巨匠ぶりを示しています。Ging heut' morgens übers Feld の旋律は意外に遅く丁寧で、序奏の延長上にあります。もちろんアッチェレランドはしますが、あまり盛り上がらず、すぐに落ち着いた音楽運びとなります。それにしてもなんて長閑なのでしょう。エネルギッシュな演奏を予想していたのに、見事に期待は裏切られます。オケがやや遠めのソフトな録音と思いきや、突然大太鼓がものすごい重低音で響いたりしてびっくりします。この大太鼓に支配されているようなサウンドで、あまり盛り上がらずに終ってしまったような……。
第2楽章もやや遅めですが、旋律の歌わせ方に個性があります。中間部も遅めでかなり濃厚な表現です。若いのに老成した音楽づくりと書こうと思ったら、回帰した主部は今度は普通のテンポで工夫が見られました。
第3楽章もじっくりと聴かせる音楽になっており、もの悲しい行進曲ですが、テンポの伸縮に気遣いが感じられます。 Die zwei blauen Augen の旋律も弱音が美しく繊細な音楽となっています。そして、すごい量感の大太鼓の重低音……。この楽章も、主部に戻ってからはテンポの変化の妙で聴かせます。
第4楽章は、ようやくドゥダメルの本領発揮といった感じですが、遠雷のような大太鼓の存在感が強すぎ、それのためにオケのダイナミック・レンジが狭くなってしまっているようです。はっと驚くような美しさもあり、なかなか捨てがたいところもあるのですが。
振り返れば、録音のせいでもあるのですが、全体的に叙情的な「巨人」であったように思います。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ベルリン・ドイツ交響楽団
クリストフ・エッシェンバッハ(指揮)
2008年11月22-26日
ハウス・デス・ルントフンクス,グロサー・ザール

これは感想を書くのが難しい演奏です。再生装置によって印象が180度変わりました。エッシェンバッハ/ウィーン・フィルでブルックナーの実演を聴いたことがありますが、その時の思い出がよみがえりました。あれは良い演奏だったなぁと。
第1楽章序奏は、ppにこだわらずに木管楽器をはっきり演奏させているのには好感が持てます(途中までスコアを見ながら聴いていましが、実況感想が書けなくなるので中止)。各主題は若々しく瑞々しくしなやかに歌い込まれています。良い感じです。管弦楽の響きが美しく、録音が優秀なのもありがたいです。そして盛り上げるべきところはきっちりとクライマックスを形づくっています。アクセルを踏みすぎて速すぎる場面もありますが、この楽章は安全運転では面白くありません。
第2楽章も鮮明な録音が、鮮烈な印象を与えます。エッシェンバッハの指揮も細かい強弱設定を実行しています。しかし、この楽章は中間部が素晴らしいと言えます。程良く彫琢された気品のある表現に魅了されました。
第3楽章も同様です。Auf der Straße steht ein Lindenbaumの旋律の美しいこと。
第4楽章冒頭は、この優秀録音でも収まりきれないほどの迫力があります。一段落ついてからの第2主題が繊細でこれまた美しいのです。以下、盛り上がる部分は盛大に、落ち着いた場面は美しくといった感じで、それらが格調高く演奏されます。満足しました。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
デュッセルドルフ交響楽団
アダム・フィッシャー(指揮)
2017年2月10-12日
デュッセルドルフ・トーンハレ

フィッシャーは主にドイツ語圏に見られる姓なのだそうで、音楽家では、
アダム・フィッシャー(ハンガリーの指揮者。イヴァン・フィッシャーの兄)
イヴァン・フィッシャー(ハンガリーの指揮者。アダム・フィッシャーの弟)
エトヴィン・フィッシャー(スイス出身のピアニスト、指揮者)
ユリア・フィッシャー(ドイツのヴァイオリニスト)
といったところでしょうか。混乱することがあるので、ちょっと頭の整理をしました。
アダム・フィッシャーは、デュッセルドルフ交響楽団と、マーラー交響曲全曲録音を行っているところで、どこまで進行したのかわからないのですが、交響曲第7番からスタートして、第4番、第1番「巨人」、第5番、第3番を録音しています。
それで、第1番「巨人」ですが、第1楽章序奏は、静謐であり、木管楽器が愛らしい音色です。トランペットのファンファーレがすごく遠いですが、どこで吹いているのでしょう。主題は夢見るようにソフトで叙情的で、力みがなく、美しく演奏されます。「巨人」の第1楽章の最も美しい演奏ではないかと思ったほどです。
第2楽章も軽やかで小気味良い遠藤ですが、第1楽章ともども、時には力強さ、押しの強さを聴かせてくれたらなお良かったかもしれません。中間部も品が良く、優雅です。
第3楽章も、コントラバスのソロが上品です。この楽章も重厚さは聴くことができず、軽妙ですが、不思議とあまり不満を感じません。洗練された美しさがあり、旋律の歌わせ方が上手いのですね。だから飽きが来ないのでしょう。
第4楽章も、録音のせいもあるのでしょう、どかーんという感じでは始まりません。クールな演奏というわけでもなく、情熱は感じますが、ハイドンやモーツァルトの延長線上にあるような演奏です。けして悪い演奏ではないのですが、積極的にお薦めするものではありません。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ロンドン交響楽団
ワレリー・ゲルギエフ(指揮)
2008年1月13日(ライヴ)
ロンドン,バービカンホール

ゲルギエフ/ロンドン響は、2007年から2011年にかけてマーラーの交響曲全集を録音しており、2017年には第4番をミュンヘン・フィルと再録音しています。
第1楽章序奏は、速めのテンポで始まります。このテンポだとカッコーの木管の受け渡しが面白いです。速いテンポゆえに序奏の長さを逆に感じてしまいます。しかし、主題は心持ち速いぐらいの普通のテンポで、これはすっきりしています。木管の伴奏が面白いですし、ティンパニも効いています。総じて緩急自在で、都会的でクールな第1楽章でした。
第2楽章は、少し遅めでゆったりしており、色数を多く感じる楽しい演奏です。中間部もおっとりとしています。
1992年のヴィルケンスによるマーラー協会版を採用しているのか、第3楽章のコントラバスはソロではなく、パート・ソロになっています。これは否定される方が多いようですが、そんなに悪くありません。その後も、蝶のように舞い蜂のように刺す(軽やかなフットワーク)演奏です。Auf der Straße steht ein Lindenbaumの主題はどきっとするような最弱音で奏でられ、大変美しいと感じました。
第4楽章は、打楽器が炸裂しまくり、ロンドン響渾身の演奏となっているようです。ゲルギエフに期待する演奏というのはこのような演奏なのでしょう。全体に音響が鮮やかで、迫力も十二分にあります。
ただ、交響曲第1番全体を通しての印象は、ゲルギエフの才気走ったところで気になり、もっとオーソドックスな演奏が聴きたいと思ってしまいました。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
南西ドイツ放送交響楽団
ミヒャエル・ギーレン(指揮)
2002年6月11-13日
フライブルク,コンツェルトハウス
【お薦め】
ギーレンも、マーラー演奏で名前が知られるようになった指揮者だと思うのですが、私だけでしょうか。1989年の第10番第1楽章アダージョに始まり、2003年の第9番までずいぶん時間をかけて交響曲全集を完成させていたます。
深い呼吸で第1楽章が始まります。強弱記号にこだわらず、必要な音はそれにふさわしい音量で演奏させています。早くも名演の予感がします。音楽に身を任せているうちに自然に主題の提示となり、展開部、再現部となり、あれよあれよという間に終ってしまいますが、過不足のない理想的な演奏です。
第2楽章もやや速めのテンポですが、元気が良く鮮烈で、一音一音に意味をもたせ、楽譜に書かれていることは全て再現しようという積極的な演奏と思います。中間部など絶妙なテンポ設定と豊かな表情付けにより、
第3楽章も良いテンポで、旋律をよく歌わせており、これも文句のつけようがない演奏です。中間部の「さすらう若人の歌」第4曲「彼女の青い眼が」から採られた歌も、抒情性豊かで、ちょっと他のことを考えていると、置いてきぼりをくらうといった感じの、よく流れる演奏です。
第4楽章もこの曲のお手本のような演奏です。この演奏が理想的なもうひとつの理由は、録音のせいもあると思います。個人的には残響が少ないデッドなものが好みですが、適度に残響を取り入れ、ホールの良い席で聴いているような録音であるからでしょう。気持ちよく聴けるのです。大音量時に飽和してしまうのですが、欠点と言うほどのことはありません。
万人向けの演奏と思いましたので【お薦め】にしましたが、個人的には求心力が低いようにも感じられました。立派な演奏には違いありませんが。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ベルナルド・ハイティンク(指揮)
1962年9月
アムステルダム,コンセルトヘボウ
【お薦め】
ハイティンクは、1961年から1988年までオランダの名門、コンセルトヘボウ管の首席指揮者であったのですが、1962年から1971年までかけてマーラー交響曲全集を完成させています。その第1段となったのが、第1番「巨人」でした。意気込みが伝わる名演です。
1962年録音ですからヒスノイズがありますね。でも、第1楽章序奏はフラジオレットのA音持続なので気にならないというか、わかりません。弦で変な音を出している人がいます。夏の日の早朝のイメージで、主題が清々しく演奏されます。盛り上がるところも十分な迫力があります。奇をてらったところが全くなく、自然なのが良いです。
第2楽章も、弦楽器などをしっかり弾かせていて、ほど良い力感があります。金管楽器も輝かしいです。中間部も美しい木管楽器と弦楽合奏で、耳にご馳走です。主部の再現は聴き終えるのが惜しいと思えるほど。
第3楽章は、頼りないコントラバス・ソロに悲哀を感じます。管楽器の表情も面白く、コンセルトヘボウ管は誠に優秀なオーケストラですね。「街道のそばに、一本の菩提樹が立っている」の旋律も懐かしさを感じさせる歌となっています。
第4楽章は、オーケストラがバリバリ演奏していますが、その迫力もさることながらヴァイオリンの忙しい動きがよく聴き取れる興味深い演奏となっています。第2主題も過不足のない、良い意味での中庸な表現です。その後も、もう少し食い下がってほしいという箇所もありますが、それは無い物ねだりでしょう。最後まで立派な演奏でした。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ベルナルド・ハイティンク(指揮)
1987年4月
ベルリン,フィルハーモニー
【お薦め】
前回の録音から25年ぶりで、まだカラヤンが芸術監督・終身指揮者だった頃のベルリン・フィルをハイティンクが指揮した演奏です。
第1楽章序奏からしてオーケストラに重みと厚みを感じます。さすがベルリン・フィルです。ホルンを始めとする金管楽器がとてもきれい。木管も突出せず、管弦楽の中に溶け込んでいます。主題も自然に導き出され、理想の提示部となりました。演奏に余裕があるので、気持ちよく聴くことができます。クライマックスも強靱で引き締まっているのと同時に、色彩感もよく出ています。
第2楽章は、冒頭の盤石な低弦の響きに魅了されます。弦が精密さと厚みを併せ持っており、聴いていてとても気持ちが良いです。中間部も、こんなに美しい音楽だったかと改めて思ったくらい。
第3楽章は、ティンパニ、独唱コントラバス、管楽器のバランスが絶妙であり、テンポの伸縮も実に自然です。Auf der Straße steht ein Lindenbaum~ の旋律がこれほど精妙に歌われた例はないでしょう。素晴らしい演奏です。
第4楽章は、シンバルの一閃後の、オーケストラの咆哮が凄まじいです。目が覚めました。全てのパートが巧いので、どれの何を褒めたらいいのかわかりませんが、とりわけ金管セクションは他のどのオケよりも強靱です。静まってからのヴァイオリンの第2主題も筆舌に尽くしがたい美しさです。展開部は再びベルリン・フィルの凄さを感じさせます。ここでも金管楽器の逞しさは他のどのオケを凌駕しているように思われます。再び第2主題が聞き手を静謐の世界に導きますが、その後はこの演奏で最高の、圧倒的なクライマックスを築き上げ、怒濤のコーに流れ込みます。
【決定盤】と言ってもよいのでは?


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
シカゴ交響楽団
ベルナルト・ハイティンク(指揮)
2008年5月1-3日(ライヴ)
シカゴ,シンフォニーセンター,オーケストラ・ホール
【お薦め】
さらに前回から21年後にハイティンクがシカゴ響を指揮して録音した「巨人」です。ハイティンクはオーケストラに恵まれていますが、ベルリン・フィル盤を上回ることができるでしょうか。
第1楽章序奏は良い響きです。シカゴ響も巧いですね。ファンファーレが遠すぎますが、弦のピッツィカートは鮮やかですし、ホルンや木管も美しいです。主題の提示は、伸びやかさがやや欠けているように感じられます。重厚さが重々しさになってしまいました。ここは流動感のあるベルリン・フィル盤がよかったです。しかし、シカゴ響も堂々たるクライマックス、コーダで、強力な合奏力を聴かせてくれます。
第2楽章は、低弦の量感が好ましく、分厚い響きで、やや遅めのテンポを採用。ただ、なぜかすんなり曲に没入できず、よそよそしさを感じてしまうのです。ベルリン・フィル盤は指揮者とオケに一体感があったのですが、シカゴ響盤はハイティンクの姿が見えません。年老いて手綱がさばけなくなったということなのでしょうか。
第3楽章、ティンパニがいい音を出しています。コントラバスは独奏ではなくパート・ソロなので、ヴィルケンスによる新しい校訂版を採用しているのでしょうか。慣れの問題かもしれませんが、ここは独奏のほうが断然よいですね(なぜそれがわからない、ハイティンク!)まさに「カロ風の葬送行進曲」のように厳かに曲は進行します。中間部、Auf der Straße steht ein Lindenbaum~ の旋律は非常に繊細で美しいです。普段は聴けない細かい音までよく拾っている録音です。
第4楽章冒頭は凄まじく、このような音楽はさすがシカゴ響ならではの音響です。切々と歌われる第2主題も良い感じです。展開部は再び音の洪水で、打楽器が効いていますし、疲れを知らない金管はすごい迫力です。第1楽章の序奏が戻ってくる場面も美しいです。第1楽章のファンファーレが現れ、予告された場面とあり、クライマックスが訪れますが、これらも凄い迫力で、圧倒的なコーダとなります。
なんだかんだと文句を書いても、やっぱりハイティンク指揮の「巨人」は欲求を満たしてくれる素晴らしい演奏なので【お薦め】をつけますが、総じてベルリン・フィル盤のほうが魅力度が高かったように思うのです。


マーラー 交響曲第1番 の名盤 He~Lu

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以下の2つの演奏は前回入れなかったので、取り急ぎここに追加しました。
一定期間経過後、本来の記事に移動します。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
クリーヴランド管弦楽団
クリストフ・フォン・ドホナーニ(指揮)
1989年3月
クリーヴランド,マソニック・オーディトリアム
【お薦め】
前回取り上げていなかったため、GM氏からクレームがありました。追加します。
ドホナーニはクリーヴランド管を指揮して、ブルックナーの第3~9番、マーラーの第1番・第4~6番・第9番を録音していますよね。
第1楽章序奏は、深呼吸をするようにして始まります。この指揮者とオーケストラらしい、弦・管の一糸乱れぬアンサンブル、厳かな表現で、聴く側も緊張を迫られます。主題は控えめに提示されますが、表現に過不足はなく、聴いていて気持ちが良いです。展開部の精密機械のように演奏されますが、冷徹なものではなく、適度な親しみやすさがあります。頂点にむけて一歩一歩踏みしめるように音楽は進み、圧倒的なクライマックスを築きます。コーダでのティンパニの強打も胸がすく思いがします。
第2楽章も良いテンポで適度に活気があり、品格の高さを感じます。クリーヴランド管の名技を聴き取ることが出来る録音も優れています。中間部も洗練されておあり、すいすい進みます。主部に戻ってからは熱気を帯び、鮮烈な印象を与えて終ります。
第3楽章は、主部のカノンが絶妙なタイミングで、オーケストラの技術の高さを再認識させられます。全体に高雅な雰囲気を醸し出しており、俗っぽさは微塵もありません。また、中間部の歌曲旋律が息をのむほどに美しいです。
第4楽章は、前3楽章の精緻な表現はそのままなので、もう少し荒々しさ、狂おしさがほしいところですが、迫力は十分にあります。美しく奏でられた第2主題を経て展開部に到りますが、もう少し速いテンポによる熱狂的なものを求めたくなります。相変わらず管・弦のバランスは最適に整えられていますが、第2主題は絶妙な美しさで再現されています。クライマックスからコーダにかけては録音の効果もあり、音による壮大な伽藍を構築しています。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
チャイコフスキー交響楽団
(旧モスクワ放送交響楽団)
ウラディミール・フェドセーエフ(指揮)
2000年6月,2001年1月

フェドセーエフ指揮の「巨人」は、1990年の録音もあるのですが、未CD化らしいので、この演奏だけを取り上げます。
第1楽章序奏のフラジオレットは金属的に響きます。楽章全体を重厚な響きが覆っています。録音会場の残響時間が多めで響きがブレンドされるというより混濁気味なのが気になりますが、夢を見ているような美しさもあります。弦で主題が流暢に歌われるのを好ましく思います。それにしても主題提示からのハープの音がすごく大きいですね。他の楽器がやや遠く感じるだけに目立ちます。コーダに向けての盛り上がりも上手です。
第2楽章も、輝かしく立体的な弦楽合奏が効果的です。中間部はやや遅めテンポを採用、長閑な気分となります。あまり加速せずに重厚に楽章を締めます。
第3楽章はやや速めのテンポで荒涼とした雰囲気が漂う演奏です。この楽章も、響きがライヴなのが気になり、もどかしい思いがしますが、中間部の「彼女の青い眼が」の旋律は美しかったです。
第4楽章は、主役が弦と言いたいほどにしっかりと弾いており、ロシアのオーケストラとは思えないくあり金管が控えめです。一段落着いた後、第2主題はロシア民謡のようにたっぷりと濃いめの味付けで歌われます。展開部はやはり弦が主役のように聴こえますが、録音会場の響きがこの楽章では残響少なめなのが不思議。それでもトランペットのファンファーレは常に遠く、総じて金管楽器は控えめで、ロシアのオーケストラということをあまり意識させません。少々物足りないかも。

以上、前回の記事の追加分でした。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
[1893年ハンブルク稿]
北ドイツ放送交響楽団
トーマス・ヘンゲルブロック(指揮)
2013年5月29-31日,2014年1月20-23日
リューベック,ムジーク・ウント・コングレスハレ

第1部「青春の日々より~花・果実・茨」
 第1楽章:春、そして終わることなく
 第2楽章:花の章(←通常はカットされる楽章を挿入)
 第3楽章:順風満帆(←通常は第2楽章)
第2部「人間喜劇」
 第4楽章:難破!~カロ風の葬送行進曲(←通常は第3楽章)
 第5楽章:地獄から(←通常は第4楽章)
「ハンブルク稿」というのは、「マーラーが1889年のブダペストでの初演の失敗後、1893年のハンブルクでの再演に際して改訂を施した形態を復元したもので、現行の4楽章制・4管編成に対し、『花の章』を第2楽章に加えた5楽章制・3管編成で、オーケストレーションの細部の異動も数多くみられます。今回はヘンゲルブロック自身も編集に携わった新全集版による世界初録音となります(HMV)」とのこと。真実を知る術を持たないので、そうなのでしょう。つまり、これは「交響曲様式による音詩」である第2稿ということでしょうか。Wikipediaによると「各楽章について、第3稿との主な違いは次のとおり。第1楽章の序奏部分で最初のファンファーレが、ホルンに出る(第3稿はクラリネット)、スケルツォ開始部のオスティナート・リズムにティンパニが加えられている(第3稿は低弦のみ)、葬送風楽章の主題は、チェロ・ソロとコントラバス・ソロで弱音器は無し(第3稿は弱音器を付けたコントラバス・ソロ)、フィナーレでは小節の扱いの変更(ただし聴感上は大きな変化はない)など」だそうですが、このヘンゲルブロック指揮による演奏が1983年ハンブルク稿であるということにについてはいろいろ異論もあるみたい。
第1楽章は、そのような珍しい「稿」でなかったとしても、当盤は【お薦め】に値すると思います。主題の提示は実に爽やかで鮮やか。タイトルどおり「春」を感じさせる音楽になっています。テンポの変化が大きいのも特長のひとつです。クライマックスも鮮やかで楽しく、コーダも大変賑やかで、盛り上がって終ります。
第2楽章に「花の章」を復活させた演奏ですが、個人的には「花の章」は他の四つの楽章に比べて音楽的に劣る感じがするし、オーケストレーションが色彩的であるとか、そういうことがあまり無くて面白味に欠けると思っています。だからこそカットされちゃったのでしょうけれどね。でも、たまに聴く分には新鮮味があってよいかもしれません。
第3楽章(通常は第2楽章)は、速いテンポで威勢がよいです。普段聴いている演奏とは、オーケストレーションなど明らかに違います。う~ん、この方が好きかもしれません。面白いですよ、こちらの方が。それに比べると現行の第2楽章はずいぶん普通の音楽になってしまったように思います。
第4楽章(通常は第3楽章)は、淡々と始まります。異国情緒のようなものが漂っていたりします。細部は従来版を異なる部分が多いのでしょうけれど、そのようなところがいちいち新鮮です。「恋人の青い瞳」からの旋律も、すっきりしていてずいぶん異なる印象があります。
第5楽章(通常は第4楽章)は、管楽器の編成が一回り小さいせいか、弦楽器、特にヴァイオリンが目立っており、野趣に富んでいて興味深い演奏です。第2主題も過不足のない、好ましく思える表現です。ただ、クライマックスは3管編成なので、4管編成に比べると若干聴き劣りします。
しかし、最後まで変化に富んでいて、飽きることがなく聴き通すことができました。とても面白かったです。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
エリアフ・インバル指揮
フランクフルト放送交響楽団
1985年2月28日,3月1日
フランクフルト,アルテ・オーパー
【決定盤】
インバル/フランクフルト放送交響楽団が1985~86年(92年に第10番クック全曲版を追加録音)にマーラー交響曲全集をデジタル録音し、その演奏と録音の素晴らしさから、世界中で高い評価を受けたことは以前の記事にも記したとおりです。この全集は番号順に行われており、第1番「巨人」が最も古い録音ということになります。この「巨人」は私が一番好きな演奏だったのですが、改めて聴いています。
第1楽章序奏は静謐そのもので、これ以上を求めるものがない、お手本的な名演です。「さすらう若人の歌」からの歌曲主題も理想的な提示です。そう、このように歌ってほしいのです。清新の気風といったらよいでしょうか、生き生きとしており、新鮮な音楽を聴かせてくれます。盛り上がったときの金管楽器の素晴らしさ、弦とのバランスの良さ、自然なテンポ設定、この演奏が私の基準となっています。このマーラーやブルックナーを聴き、インバル時代のフランクフルト放送響って本当に素晴らしいオーケストラと思ったのを思い出しました。
第2楽章も、私にとってこの曲はこうあってほしいという要求を満たしてくれる演奏ですが、元々この演奏が私の基準になっているので、当たり前でした。そうなると、何を褒めたらよいのかわからず、感想が書けないです。まずフランクフルト放送響の弦の歯切れがよく、主題が明確に提示されます。リズムを若干強調しているようですが、それもさりげない処置です。打楽器の入れ方、金管の出入りも全て適切にコントロールされています。デュナーミクも理想的です。中間部のレントラー主題はこんなに思い入れたっぷりだったかな。歌うべきところは本当にきっちり歌っている演奏で、上品な甘さと、品格があります。
第3楽章は、他の演奏もこうあってほしいというコントラバス独奏です。木管楽器のチャーミングなこと。弦と木管によりしめやかに葬送行進曲が歌われていきます。「さすらう若人の歌」からの主題も、沈殿せず、すっきりしているのにコクがある、洗練された演奏です。終わりは何と寂しい音楽でしょう。主部に戻ってからはエネルギーは抑え気味で、抑圧された感じがします。
第4楽章は、フランクフルト放送響が解放されたようにダイナミックな演奏で始まります。重厚な響きを維持していますが、キレがよいのでもたれません。第2主題は思い入れたっぷりに若干粘りますが、音楽の進行を妨げるほどではありません。向かうべき方向に迷いがない演奏です。その後もテンポはけして急がず、中庸を保ちつつ、前半のクライマックスを壮大に構築していきます。静まってからは秋の気配、涼しい風が吹いています。ヴィオラの警告的動機の後、再びクライマックスに向かって音楽は進み、やがて壮絶な音の伽藍を築き上げます。フランクフルト放送響の金管が全開で咆哮していますが、けしてバランスを崩ず、インバルのコンセプトを逸脱していないところが素晴らしいです。
レコード芸術推薦、1987年度ディアパゾン・ドール(仏)大賞、1988年度ドイツ・レコード大賞(全集)受賞の名盤です。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
エリアフ・インバル(指揮)
2011年11月3-4日(ライヴ)
Rudolfinum Dvorakova sin, Pragu

Spotifyで第2楽章と第3楽章(なぜ全曲じゃやい?)を聴くことができましたので、参考までに感想を書きたいと思います。
第2楽章は、弦の国のチェコ・フィルが誇る弦楽合奏がたっぷりした響きで美しいです。フランクフルト放送響盤より重厚で押しの強さがありますが、精密さはフランクフルト放送響の方に軍配を上げたくなります。中間部も以心伝心のフランクフルト放送響の方に指揮者の思い入れが強く感じられます。
第3楽章も重々しく暗い響きですが、テンポの伸縮があり、表情にメリハリが付いています。中間部の歌曲旋律も速めにすっきり流していのは旧盤同様です。回帰した主部の重苦しさは変わらず、陰鬱な気分が支配しています。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
東京都交響楽団
エリアフ・インバル(指揮)
2012年9月15・16日
東京芸術劇場,横浜みなとみらいホール
【お薦め】
これもSpotifyで第2楽章と第3楽章(全曲聴きたいのに……)を聴くことができましたので、感想を記します。
第2楽章は、チェコ・フィル盤よりは軽快ですが、それでも重さがあります。都響のアンサンブルはチェコ・フィルより緊密で、管・弦・打楽器のどのセクションにも不満はありません。不満どころか素晴らしい演奏です。中間部はおっとりしていて、雅やかさがあります。
第3楽章、重いティンパニの伴奏でコントラバス独奏を始めとして旋律が悲愴な雰囲気で演奏されていきます。もはや円熟の共同である(唸り声が大きく聴こえる)インバルはますます色濃い表現を行うようになりました。中間部の歌曲旋律も前2回の録音がさらっとしていたのに対し、感情の起伏が大きいように思います。
これは入手しなければいけないCD(SACD)でした!



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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団
マリス・ヤンソンス(指揮)
2006年8月28日,11月17日(ライヴ)
アムステルダム,コンセルトへボウ

ヤンソンスには1999年録音のオスロ・フィル盤もあるのですが、音源を入手できなかったので、コンセルトヘボウ管とバイエルン放送響による2つの録音を取り上げます。
第1楽章序奏は朝靄の中から音楽が立ち上がるよう。提示部に入ってもそれは変わりません。万事落ち着いた雰囲気なのでボリュームを上げたくなります。提示部の頂点は実に鮮烈な響きで気持ちのよい演奏を聴かせます。展開部は再び静謐となり、その後も可愛らしいメルヘンチックな演奏が続きますが、自然に盛り上がって壮麗な頂点を築きます。コーダではそれまでなりを潜めていたティンパニが活躍します。
第2楽章は、僅かに遅めのテンポを採り、コンセルトヘボウ管の弦の美しい弦をたっぷり響かせ、管とのバランスも良い感じに進行します。表情たっぷりの中間部も、変な言い方ですが、いかにもマーラーといった諧謔のある演奏です。
第3楽章は、前楽章をより一層徹底しており、ヤンソンスがこんなに豊かな感情を表現する指揮者とは思っていなかったので意外でした。中間部も美しく歌われており、また、最後の打楽器は慟哭のように意味深く聴こえます。主部の繰り返しも緩急自在にテンポを操り、色濃い表現です。
第4楽章は、節度があり煩くならず、あくまでも冷静でバランス重視のようです、とはいえ、粘るところは粘ります。静かになってからの第2主題もたっぷりと歌い込んでおり、ロシアの交響曲のようです。第1主題が戻ってくるところは、さすがに熱が入ってきて、壮麗な演奏を聴かせ、迫力は申し分ありません。第1楽章が戻ってくるところは再び静謐そのものといった音楽から息の長い盛り上がりです。ホルンが若干控えめなのが惜しいですが、圧倒的なクライマックスとなります。
ライヴということを意識させない録音でしたが、最後には聴衆の熱狂的なブラボーと拍手が起こります。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
バイエルン放送交響楽団
マリス・ヤンソンス(指揮)
2007年3月1-2日(ライヴ)
ミュンヘン,ヘルクレスザール
【お薦め】
なんと、前回(2006年録音)から1年も経たないうちに再録音しているのですが、それぞれのオーケストラの自主レーベルなので、問題ないということなのでしょうか。
第1楽章序奏は、今回のほうがオーケストラが近くにいる感じ、コンセルトヘボウ管が客席で聴く感じなのに対し、指揮台の上で聴く感じでしょうか。もちろん私はこちらの録音のほうが好みです。木管楽器のメカニックがカチャカチャしている音まで聴こえます。ヤンソンスの解釈が半年で変わるはずもなく、表現自体は変わりませんが、録音から受ける印象はずいぶん異なり、こちらのほうが明快です。主題提示は陽気に進み、弾力性のあるオーケストラの響きが素晴らしく、もぎたての果実のように新鮮です。コンセルトヘボウ管は冷静な演奏でしたが、バイエルン放送響は適度に熱っぽく、奏者の感興が伝わってきます。(演奏中、または楽章間では聴衆の咳が入ります。)
第2楽章は、低弦の豊かな響き、そして弦楽合奏、大らかに奏でる木管・金管楽器が魅力的です。中間部も微妙なニュアンスに留意した大変デリケート、かつしなやかでしっとりとしています。戻ってからの主部はいっそう活気づいていて元気がよいです。
第3楽章は、しずしずと始まり、管楽器も情の豊かさでは弦に負けていません。緩急の差を大きく取っているのも特長のひとつです。この演奏も中間部が息をのむような素晴らしさで、恍惚として聴き入ってしまいます。主部に戻ってからは、いっそう活発になり、変化に富んだ音楽づくりとなっています。
第4楽章は、コンセルトヘボウ管がどこか取り澄ましていたように感じられたのに対し、録音のせいか、このバイエルン放送響は熱気が感じられます。第2主題もいっそう表情が豊かで好ましく感じられます。ライヴであってもどこか冷静なヤンソンスの指揮ですが、展開部も整理整頓はされているものの、演奏者が夢中になって弾いているように聴こえます。第1楽章に再帰するところは神妙な面持ちですが、その後の再現部は再び活動的になり、輝かしいコーダとなって全曲に幕を下ろします。
この録音もブラボーと拍手入りです。
なお、カップリングはCD1枚目の残りと、さらに3枚を要した音楽ドラマ「世界と夢」は、いきなりナレーションが入るので驚きますが、これは聴き通すのがつらいと思います。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
(第4楽章の後に「花の章」)
フロリダ・フィルハーモニー管弦楽団
ジェームズ・ジャッド(指揮)
1993年9月15,17日
【お薦め】
指揮のジャッド(1949年- )は、イギリスの指揮者で、1971年にトリニティ音楽院を卒業後、クリーブランド管弦楽団アシスタント指揮者に就任し、ロリン・マゼールに師事。ECユース管弦楽団(現在のEUユース管弦楽団)音楽副監督に就任し、クラウディオ・アバドに師事。マゼール、アバドの下で助手を務め、ベルリン・フィル、イスラエル・フィル、ウィーン響、ゲヴァントハウス管、プラハ響、フランス国立管、スイス・ロマンド管、N響、ソウル・フィルほかとの共演多数とWikipediaに書かれています。1987年から2001年までは、フロリダ・フィル(2003年に解散)の音楽監督を務めており、このマーラー「巨人」は絶賛され、グスタフ・マーラー協会がその年の最高のマーラー録音に選定したほどです。
第1楽章序奏は、夏の日の朝を思わせる清々しく、これから万物の活動が始まることを示唆しているように感じられます。良い具合に力の抜けた主題提示を好ましく思います。速めのテンポですっきりしていますが、バランス感覚が優れており、安心して身を任すことができます。盛り上がるべきところは自然に加速し音量も大きくなり、作為めいたところがありません。良い曲だと思わせてくれる演奏です。素晴らしい。
第2楽章も瑞々しく活動的で、こちらは夏の日の午前中でしょうか。音楽が瑞々し、自然な感興に基づいての表現なので、すっと音楽が心の中に入ってくる、そんな調子でしょうか。
第3楽章は、この曲の特長であるペーソスを十二分に聴かせてくれる演奏です。中間部の例の旋律は、しんみりとせず、泣きそうな顔で笑顔を浮かべている、そんな感じです。主部も中間部深刻ぶらないところが良いのです。ただ、オーケストラにもう少しアンサンブルの精度が高く、洗練された美しさがあったらなおよかったのにとも思ってしまいました。
第4楽章も、第1主題・第2主題共に爽快であると同時に素朴な美しさをもっています。展開部もオケに底力があったらと思いますが、なかなかの迫力で、再現部からコーダにかけても同様の感想を持ちましたが、これはフロリダ・フィルにとっても会心の出来だったのではないでしょうか。
第4楽章の後には「花の章」が収められいますが、これも佳演でした。CD時代では、交響曲第1番だと余白が残りますので、こうした試みが多くなっています。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
(第1楽章の後に「花の章」)
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ヴラディーミル・ユロフスキー(指揮)
2010年12月4日(ライヴ)
ロンドン、サウスバンク・センター、ロイヤル・フェスティヴァル・ホール
【お薦め】
HMV&BOOKSでユロフスキーを検索すると77件ヒットします。最も多いのがチャイコフスキーで10点、次いでベートーヴェンが6点、ブラームスが6点、マーラーが5点、プロコフィエフ、R.シュトラウス、ワーグナー、ストラヴィンスキーといったところでしょうか。スペクタクル名曲を得意としているイメージがあります。
ロンドン・フィルのマーラーと言えば、テンシュテットの全集及びライヴ録音を思い出しますが、このユロフスキー盤はどうでしょう。
第1楽章序奏は、弦のハーモニクスの上で木管楽器が明滅しています。提示部への移行もスムーズで、主題は瑞々しく、若々しく、活動的で、聴いていて大変気持ちが良いです。少しも奇をてらったところがなく、自然な感興に任せて音楽が流れていきます。再現部も同様で音楽に自信が漲っており、説得力があります。加速したコーダの迫力も申し分ありません。
第2楽章の位置に「花の章」を入れています。あまり聴かない曲が入るので新鮮味がありますが、前にも書きましたように、この楽章はそれほど優れているとは思えないのです。
間髪入れずに(本来の)第2楽章が始まります。この楽章の演奏の出来は良いです。オーケストラの響きに厚みもあり鮮度も上々、テンポも理想的で、中間部もちょうどよい速さですっきりまとめられているのが好ましいと思いました。
(本来の)第3楽章は、ティンパニがリズムを刻む中、コントラバスは独奏ではなく、パート・ソロ(ヴィルケンス校訂版?)? しかし、これも良い演奏です。テンポの変化、音量の変化が理想的ですし、メロディの歌わせ方が絶妙なのですよ。録音による効果でしょうけれど、後半はソロ楽器を明瞭に聴き取れるのがありがたいです。
(本来の)第4楽章、このような音楽はユロフスキーが得意とするところではないでしょうか、管・弦のバランスがとてもよいです。音楽が静まりかえった場面での叙情性の表出もさることながら、激しくなったところのほうがユロフスキーの持ち味が出ています。つまり盛り上げ方が上手いということで、コーダがこれでもかというぐらいに圧倒的な迫力をもって演奏されているのです。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルベルト・ケーゲル(指揮)
1979年11月5-8日
ドレスデン,ルカ教会

ケーゲルには、ライプツィヒ放送交響楽団を指揮した1978年5月9日、ドレスデン・フィルを指揮した1981年2月の各ライヴ録音もあるのですが、入手できたこのセッションについて感想を書きます。「巨人」はケーゲルが得意とした曲なのだそうですね。
第1楽章は、テンポを揺らしながら進めていく端正な演奏です。少し性急過ぎるところや無造作な箇所もありますが、生き生きとした演奏ではあります。また、緩徐な部分は清涼な雰囲気に包まれますが、それも楽曲に対する共感、そして感興により成されているのでしょう。コーダの猛烈な加速にびっくりです。
第2楽章は引き摺るような序奏の歌わせ方が面白いですが、楽譜では16分休符があるので、楽譜に忠実とも言えます。独特の雰囲気がある演奏です。この楽章でもテンポの変化を極端に取っています。中間部も同様で八分休符を意識している歌い方です。なんだか別の曲のようにも聴こえる濃厚な表現。主部に戻ってからは快速テンポで、変化をつけています。
第3楽章はティンパニが絶妙な音ですが、旋律を担う楽器はどれもお爺ちゃんのようで、枯れた表現です。この楽章もテンポの変化が大きいです。勢いよく進んだと思ったら、急に立ち止まったりと、このような演奏は他では聴けません。中間部は夢の中のような美しい演奏で、終わりは絶妙な寂寥感を演出しています。全体的にロマンティックな表現で、なかなかユニークな演奏です。
第4楽章は、予想していたとはいえ、炸裂するシンバルの音に驚かされます。録音がハイ上がり気味であり、各楽器が刺激的に聴こえるのと、軽量級なのが残念です。濃厚な表現であってもどこか爽やかな感じがするのは、そのせいでしょう。とにかく思い入れたっぷりな演奏で、ライヴ録音はきっともっと凄いのかもしれません。従来の「巨人」のイメージを覆す演奏でした。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
バイエルン放送交響楽団
ラファエル・クーベリック(指揮)
1967年10月
ミュンヘン,ヘルクレスザール

クーベリックには、ウィーン・フィルが初めて「巨人」を演奏した1957年6月24日の録音もあるのですが、そちらは省略してこのバイエルン放送響とのステレオ録音から聴いていきます。
第1楽章は、最も速い部類であろう、快速テンポで素っ気ない感じの序奏ですが、提示部に入ると、急に色彩を増し、広がりと奥行き、輝かしさがあります。これは他の演奏でもそうなのですが、クーベリックの指揮では特に強く感じられます。加速するときは極端にテンポが速くなります。メリハリがあるとも言えますが、そんなに急がなくてもいいのにと思うくらいの速さ。しかし、そこはさすがバイエルン放送響で、オーケストラの魅力で聴かせます。本当に素晴らしいオーケストラ。
第2楽章は名演。高音が持ち上げらている録音で、弦の高い音などがきつく聴こえます。逆にそのようなこともあって爽やかなサウンドに仕上がっているのですが、やはり何と言ってもオケの音色が素晴らしく、クーベリックがシンフォニックな響きをバイエルン放送響から引き出しています。中間部も格調の高い、品格のある演奏です。
第3楽章も、飄々とした感じが良く出ていて、また、中間部の旋律も美しく歌われています。
第4楽章は、やや速めのテンポで開始、管と低弦で第1主題が提示されるときの、ヴァイオリンの上下する音型がきちんと聴き取れる録音です。静まってからのヴァイオリンによる第2主題も明るく美しい演奏です。展開部もオーケストラの技術の高さを誇りつつ、頂点に達します。その後もバイエルン放送響は、静かな箇所では繊細かつ美しく、盛り上がる箇所では重戦車のような怒濤の演奏を繰り広げます。
第2楽章以降は良かったのですが、第1楽章に疑問があるので無印とさせてくだい。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
バイエルン放送交響楽団
ラファエル・クーベリック(指揮)
1979年11月(ライヴ)
ミュンヘン,ヘルクレスザール

先のセッションから12年後のライヴです。セッションでは非常に速かく、またテンポを揺らした第1楽章だったのですが、このライヴでは普遍的(標準的)なテンポとなっています。セッションと比べるとすごく落ち着いて抒情的になりました。録音もセッションがハイ上がりだったのに対し、自然な感じになっています。
第2楽章は、セッションのほうが積極性があって良かったですが、このライヴも普遍的な名演ではあります。
第3楽章はセッションが飄々としていたのに対し、こちらは深刻なムードで、まさに葬送行進曲のようです。中間部の歌曲主題もしっとりと豊かに歌われます。この楽章はライヴのほうが良いですね。
第4楽章は、落ち着いたテンポで開始され、第2主題もしめやかに歌われ、クーベリックの円熟を感じます。しかし、けして悪くない録音なのですが、臨場感はセッションのほうがあったと思います。このライヴのほうが好ましい演奏と思うのですが、なぜか集中できません。クーベリックはセッションよりライヴのほうが良いと言われることがありますが、第2楽章以降はセッションのほうが良かったです。全体的にはこちらのライヴのほうが普遍的な名演になっているので、こちらを【お薦め】にしたいところですが、直接的にハートに響いてくるものが少ないように思われるのです。不思議です。
それでも第4楽章のコーダはなかなか感動的でした。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
(第4楽章の後に「花の章」)
ヨウコ・ハルヤンネ(トランペット・ソロ:花の章)
フィンランド放送交響楽団
ハンヌ・リントゥ(指揮)
2014年5月,2014年12月(花の章)
フィンランド,ヘルシンキ・ミュージック・センター

フィンランドの指揮者、ハンヌ・リントゥは2013年からフィンランド放送響の首席指揮者の任に就いていますが、得意のシベリウスではなくマーラーを聴きます。
第1楽章序奏は、録音の優秀さもあり、奥行きがある感じでなかなか良いです。主題提示も盛り上がるところは加速して自然な感興を聴かせます。展開部も最初は深い呼吸で雰囲気の良い演奏ですが、クライマックスもちゃんと盛り上げています。あっという間に再現部が過ぎてコーダに到ります。
第2楽章もよいテンポで、良い意味で指揮者もオーケストラも真面目な演奏です。なんかきちんとしているんですよ。中間部もきれいに演奏しています。歌うべきところはよく歌い、盛り上げるべきところはきちんと盛り上げる、そんな演奏です。
第3楽章は、うらぶれた感じ、重厚感のある演奏です。例の歌曲主題が提示されるところなど、とても美しいです。
アタッカの第4楽章の開始はなかなか迫力があります。落ち着いてからの第2主題もチャイコフスキーの交響曲か何かのように歌われています。その後もしっかりとした足取りで曲は進みます。第1楽章が戻ってきたときも雰囲気も良いですね。コーダに入ってからの迫力は少し物足りないかも、です。
佳演でしたが、全体にそつの無い演奏で、フィンランド放送響の限界かな、という気がしないでもありませんでした。
なお、「花の章」でソロを吹いているトランペッターのヨウコ・ハルヤンネは、日本人女性ではありません。念のため。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ウィーン交響楽団
ファビオ・ルイージ(指揮)
2012年5月30・31日
ウィーン,ORF ラディオクルトゥーアハウス

2005年から2013年まで首席指揮者の任にあった、ウィーン交響楽団とのマーラーです。ルイージとウィーン響は相性が良いと思っていたのですが、短かったのですね。なお、シュターツカペレ・ドレスデンを指揮した「巨人」の2008年ライヴDVDは、観ておりません。
第1楽章序奏は良いです。落ち着いたテンポによる田園的情緒が漂っています。ファンファーレも、いかにも遠くで吹いているような録音がありますが、この演奏は堂々と演奏しています。「さすらう若人の歌」第2曲の主題も濃くも薄くもなく、速すぎす遅すぎずの程良い加減です。全体に平穏な気分の中で曲が進行していきますが、クライマックスはテンポを上げ、しっかり盛り上げます。
第2楽章も、理想的です。指揮者のリズム感覚が冴えているので、聴いていて気持ちが良いですし、ウィーン響もしっかりと応えています。中間部のレントラー舞曲は、遅めのテンポで美しく演奏されています。これがなんとも言えない芳しい演奏となっています。こんな表現は初めて聴きました。
第3楽章も遅めのテンポを採用(コントラバスは独奏ではありません)。ほのかに明るいながら、ペーソスを感じさせる不思議な演奏です。遅めかと思ったら、いきなりアクセルを踏み、また遅くと、テンポの伸縮が大きいのが特長です。「さすらう若人」第4曲による主題も絶妙なバランス感覚を聴かせます。
第4楽章は、これまで抑えていたものが吹き出したような迫力で開始されます。落ち着いてからは、前楽章同様、テンポの伸縮が大きな歌が続きます。ただ、この演奏、意欲的である反面、どこか冷静なのです。最初に引いておいた一線を越えようとしないような。そこが好き嫌いの分かれ目かもしれません。とはいえ、最後のクライマックスは十分迫力がありますし、私は好きですね。
一度目に聴いたときは【お薦め】当確だったのですが、二度目はそれほどとは思えなかったので無印としました。


マーラー 交響曲第1番 の名盤 Ma~No

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またしてもGM氏からオーダーが入りましたので、前回の記事から落ちていた以下の
CDを「復活」することにしました。コンドラシンは元々取り上げる予定だったのですが、忘れていました。
また、パウル・クレツキ指揮の録音は、音源を入手することができませんでした。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ロンドン交響楽団
ヤッシャ・ホーレンシュタイン(指揮)
1969年9月29・30日
Barking Assembly Hall, London 
【お薦め】
このブログでホーレンシュタインのCDを取り上げるのは初めてだと思います。Wikipediaによれば「ヤッシャ・ホーレンシュタイン(Jascha Horenstein, 1898年5月6日 - 1973年4月2日)は、ウクライナ出身のアメリカ合衆国で活躍したユダヤ系指揮者」ということになります。「現代音楽の擁護者であり、また、ブルックナーやマーラーの作品を熱心に支持した」とも。
第1楽章は、序奏でこれだけ感情が籠もっているのは珍しく、テンポはオーケストレーションを活かす最適の速度となっています。さすがですね。提示部は、速度遅めで例の歌曲主題をゆったりとしたテンポで歌わせています。バックの木管楽器の(あと、トライアングルやハープも)目立たせ方が絶妙です。全体的に「巨人」というより「田園」といった感じでしょうか。壮大なクライマックスにより楽章を閉じます。
第2楽章もゆったりとしたテンポに変わりは無く、若いマーラーの卓越したオーケストレーションが味わえる演奏となっています。また、単に効果的なだけではなく、音楽に品格が宿っているのも特筆すべき点と言えます。中間部も同様で、やや遅めのテンポでじっくりと歌わせています。
前2楽章がどちらかと言えば遅めのテンポ設定だったのに対し、第3楽章はやや速めですっきりしていますが、よく歌うということに関しては共通です。中間部の歌曲主題もなんとも言えない表情で魅せます。この辺り、ウクライナ出身が影響しているのでしょうか。
続けて演奏される第4楽章は、落雷かと思うくらい凄い迫力で豪快な演奏です。第3楽章にボリュームを合わせているとびっくりします。静まってからの第2主題提示も良いのですが、再び激しくなるところから真骨頂発揮で、ロンドン響もイイ味を出しています。音楽は再び静まりますが、大河のように滔々と流れていきます。そしてヴィオラの警告からクライマックスに向け、「巨人」の名にふさわしい怒濤の響きを聴かせてくれます。ただ、ここはもう少し速いテンポのほうが効果的だったかもしれません。
全曲通しての感想はロマンティックな演奏ということです。古いタイプの演奏と思いましたが、ありそうでなさそうなタイプということで【お薦め】を付けます。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
アムステルダム・フィルハーモニー管弦楽団
アルパド・ヨー(指揮)
1984年6月
アムステルダム,コンセルトヘボウ
【お薦め】
アルパド・ヨーについては知らない人も多いと思いますが、私も知らないです。なんでも1948年ブダペスト生まれの指揮者で最初(10代の頃)はピアニストとして活躍していたようで、20代になってから指揮を始めたようです。あまり期待しないで聴いてみます。
第1楽章序奏は、まずまずの出だしですが、序奏が悪い演奏ってそんなに無いです。トランペットのファンファーレやホルンの重奏を聴く限り、アムステルダム・フィル、なかなかやるじゃんという感じ。提示部の歌曲主題は、なかなか詩的で素敵な演奏です。また、音楽が若々しくフレッシュです。先入観を持たずに聴かなければなりませんでした。そしてクライマックスの迫力が凄いのです。この部分だけでも聴く価値はありました。コーダのちょっとした演出も意気に感じました。常套手段ですが、これを堂々とやる人はなかなかいません。
第2楽章も、良い感じで始まります。弦と木管・金管が絶妙のさじ加減となっており、活発で元気が良いのも嬉しいです。中間部はしっとりとしめやかに演奏されおり、指揮者の表現の幅の広さがうかがえます。楽章最後はこれでもか!というぐらいに盛り上げて終ります。楽しい演奏だなぁ。
第3楽章は、一転して陰鬱な音楽となりますが、木管や金管が喜怒哀楽を上手く表現しており、ほのかに明るさを感じます。歌曲主題がなんとも言えない懐かしさを伴って歌われます。最後は不安を残しながら、
以上から予想がつくことですが、第4楽章冒頭はグランカッサの強打のせいもあり、ものすごい迫力で開始されます。静まってからの第2主題はバックの金管の絶妙なサポートのもと、豊かに歌われます。第1主題の再現はこれまた激しく、怒濤のように突き進み、聴く者の心を鷲掴みにし、揺さぶります。ここで終れば冗長感が生じずに済んだのに、音楽はさらに続きます。ヴィオラの警告から音楽は再びクライマックスへと動き始め、圧巻のコーダで終ります。大満足です。
ダイナミック・レンジの広い録音も優秀です。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
北ドイツ放送交響楽団
キリル・コンドラシン(指揮)
1981年3月7日(ライヴ)
アムステルダム
【お薦め】
コンドラシンの、最後の演奏会のライヴという非常に貴重な録音です。クラウス・テンシュテット/北ドイツ放送交響楽団のアムステルダム公演は、テンシュテット急病の(←オケとの関係がうまくいかず辞めたかった?)ため、過密なスケジュールをやりくりしてコンドラシンが指揮することになりましたが、リハーサルはほとんど時間が取れず、一発勝負の演奏となっています。コンサート終了後、コンドラシンは疲労困憊となっていましたが、それでも別の演奏会のリハーサルをこなし、全てが終了した後、ホテルの部屋で心臓発作(過労死?)を起こし、翌朝に亡くなっているところを発見されたのでした。
考えてみたら、テンシュテットによってリハーサルが行われていたでしょうから、それなりに仕上がっていたのだと思いますし、コンドラシンもやりづらかったでしょう。
第1楽章序奏は緊迫した雰囲気の中で演奏しているように聴こえますが、緊密なアンサンブルです。大事に大事に演奏しているようです。それでも歌曲主題は伸びやかに歌われ、適度に抑制がかかって良い感じです。北ドイツ放送響の響きが美しいですし、録音も良いです(それにしても咳がうるさいですね)。途中、指揮者とオーケストラのテンポが合っていないように思われる箇所もありますが、大した問題ではありません。クライマックスは迫力がありました。
第2楽章は、白熱している演奏のように聴こえます。この楽章も乱れはあるのですが、それでも北ドイツ放送響のアンサンブルは傑出しているように思われます。まだこの頃はヴァントが首席指揮者になっていませんが、元々優秀なオーケストラだったのでしょう。中間部は不思議な浮遊感があり、流麗ではなく少しごつごつしていますが、ドイツのオーケストラらしいとも言えます。
第3楽章は重々しい演奏ですが、指揮者のテンポの伸縮に、オーケストラが追従できていないなどの乱れも聴かれるものの、感情表現の豊かな演奏になっているのはさすがです。
間髪入れず始まる第4楽章は、ドイツのオーケストラということを思い出させる重厚な演奏で、マイクが弦楽器に近いのか、弦主体の演奏にも聴こえます。もちろん、それは好ましい結果を生んでおり、金管、特に打楽器も存在感を訴えています。第2主題も質実剛健な美しさです。展開部は演奏に勢いと感興(ノリ)による盛り上がりがあり、緊迫した中で頂点に達します。この辺りは圧巻ですが、ロシアの交響曲のようにも聴こえるのは、コンドラシンの個性が出ているということなのでしょうか。音楽は再び活発に動き始め、圧巻のフィナーレを迎えます。ライヴ録音ですが、ブラボー・拍手はカットされています。
コンドラシンのことを思ったら【お薦め】にせざるを得ないですよね。もちろん名演ですが。コンドラシンが亡くなったという知らせを聞いたとき、無理を押し通して指揮を依頼した北ドイツ放送響の面々は衝撃を受けたことでしょう。

ここまでが前回の記事の補足です。

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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ロリン・マゼール(指揮)
1985年10月3-4日
ウィーン,ムジークフェラインザール
【お薦め】
マゼール/ウィーン・フィルのマーラー「復活」は素晴らしかった、期待して聴きました。そして期待どおりの演奏でした。マゼールはマーラー指揮者と言っても過言ではないでしょう。
第1楽章序奏は、大自然を感じさ、歌曲主題も細心の注意を払って、それにふさわしく演奏されます。すぐにこの演奏の虜になることを請け合います。起用されているのがウィーン・フィルであることも理由のひとつになるでしょう、弦も管も音楽にふさわしい音色です。マゼールというと作為を感じさせる指揮者であるという偏見もあるでしょうが、ここに聴くことができる演奏は全く自然な感興に基づくものです。安心して音楽に身を委ねることができます。
第2楽章も、オーケストラの鮮烈で多彩な響きに魅了されます。やや遅めのテンポでしっかりと歌い込んでいますし、この楽章ではマゼールならではのユニークな表現も顔を出します。それがけして大仰ではなく、必要なこととして演奏されているのが良いのです。中間部では一層それを強く感じます。ウィーン・フィルのチャーミングな音色と一糸乱れぬアンサンブルも素晴らしいです。
第3楽章の、精妙な表現も巧いです。マゼール節とでもいうのでしょうか、「こぶし」のようなものが絶妙なスパイスとして効いています。中間部の歌曲主題も囁くように歌われていて、これがまた素晴らしいのです。マゼールの個性が全てプラスとなって働いています。
第4楽章の第1主題は、ウィーン・フィルの鮮烈な響きに耳を奪われます。続く第2主題も弦の美しさ、ほのかな悲しさと明るさが魅惑的です。展開部は第1主題により盛り上がりますが、ここでもオーケストラの豊かな音色による色彩が美しく、また壮絶であります。ちょっとした間の取り方など、マゼールは管弦楽の扱いが非常に巧く、聴き惚れてしまいました。再現部も静かな場面は美しく、次のクライマックス及びコーダはひたすら輝かしく迫力も十分です。満足しました。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ニューヨーク・フィルハーモニック
ロリン・マゼール(指揮)
2006年5月25-27日(ライヴ)
ニューヨーク,エイヴリー・フィッシャー・ホール

マゼールは2002年から2009年までニューヨーク・フィルの音楽監督の任にありました。その時代の録音です。
マゼールの解釈自体は、ウィーン・フィル盤、ニューヨーク・フィル盤、次のフィルハーモニア管盤と、大きく変わっていないと思いますので、感想は簡単に記します。
録音のせいもあると思うのですが、3種類の中で、魅力の点で、これが最も劣るように思います。ウィーン・フィル盤は、オーケストラが懸命に演奏をしているように聴こえますが、ニューヨーク・フィルはどこか余裕があり、冷静な気がしてしまうのです。もちろん、これだけ聴いていれば十分名演だと思いますが、比較するとそう思ってしまうのです。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
フィルハーモニア管弦楽団
ロリン・マゼール(指揮)
2011年4月12日(ライヴ)
ロンドン,ロイヤル・フェスティヴァル・ホール

マゼールの3種類目です。録音は、ニューヨーク・フィル盤に比べると、私はこちらのフィルハーモニア管との演奏のほうが好きです。ただ、演奏から受ける印象では、感興というか、ノリの良さみたいなものは、やはりウィーン・フィル盤が上と思います。
マゼールはこれら以外にも「巨人」の録音があり、とても全部は聴いている時間がありません。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
プラハ交響楽団
ズデニェク・マーツァル(指揮)
2010年5月18日(ライヴ)
イフラヴァ国際マーラー音楽祭

チェコ・フィルとの録音だと思っていましたが、2007年に退任しているのためか、これはプラハ交響楽団との演奏なのですね(EXTONにチェコ・フィルとの録音がありますが、そちらは今回聴けませんでした)。実はあまり期待しないで聴いたのですが、これはなかなか良い演奏でした。
第1楽章は、第1主題の提示が良い感じです。超一流のオーケストラに比べれば管・弦共に聴き劣りがしますが、なんともいえない懐かしさと長閑な感じ、伸びやかさがこの曲にふさわしいと思います。その後の静まりかえって沈殿したときの抒情的な表現も良いです。クライマックスもあまり音量が出ていないのですが、まぁこんなものなのでしょう。なお、この演奏も両翼配置が効果的です。
第2楽章も雰囲気がよく、気持ちがよい演奏です。マーツァルはバランス感覚が優れた人なのでしょう、安心して音楽に身を任せることができます。中間部のレントラー風の主題も、このおっとりした感じがたまりません。主部に戻ってからも瑞々しい音楽が続きます。
第3楽章の愁いを帯びた主題もなかなか魅力的な演奏です。前2楽章と同じで、一見、古風とも感じられる歌わせ方が曲にマッチしており、演奏の精度としてはそれほど高くないものの、心惹かれるものを感じます。うらぶれた、とでも言うのでしょうか、そんな思いがする演奏です。
第4楽章冒頭も迫力不足は否めないのですが、音楽が鎮まってからの表情に、なんとも言えない味わい深さを覚えます。そして展開部からの最初の頂点に向けては、颯爽としており、なかなか聴かせる演奏となっています。そしてまた音楽が鎮まってからがこの演奏の真骨頂で、こういう箇所を魅惑的に聴かせることができるというのは大したものだと思います。したがって再現部も良く、クライマックスやコーダへのもって行き方も上手です。
録音、オーケストラ、どちらの限界なのかわかりませんが、荒っぽくてもよいから、もう少し迫力があれば【お薦め】にするところです。良い演奏でした。
ところで、このCDにはアルマ・マーラーの「七つの歌曲(管弦楽編曲:コリン&デイヴィッド・マシューズ)」が、バルボラ・ポラーシコヴァーのメゾ・ソプラノで収録されているのですが、これは名演です。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団
ズービン・メータ (指揮)
1974年12月
Binyanei Ha'ooma, Jerusalem, Israel
【お薦め】
メータが、1968年より音楽顧問、1977年より音楽監督、1981年より終身音楽監督の任に就いているイスラエル・フィルとのマーラー「巨人」です。
メータというと、今となっては3大テノールの伴奏指揮をするお祭り指揮者とか、スペクタクル名曲を巧みに演奏する指揮者というイメージが定着していますが、ポスト・カラヤン、次代の帝王と呼ばれた人だったのですよね。
第1楽章は、弦セクションに定評があったイスラエル・フィルを縦横無尽に操り、色彩感豊かな、大変聴き応えがある演奏です。神経質なところがなく、大らかな音楽づくりなので、マーラーが苦手な人にも取っつきやすいのではないでしょうか。とにかくこのような曲を指揮させるとメータは巧いです。繊細さには少々欠けますが、太い筆で豪快に描いていく感じが良いのです。
第2楽章は、分厚い弦楽合奏が魅力的で、ノリントン/シュトゥットガルト放送響の対極にある演奏です。この楽章も豪壮といっていいくらい、オーケストラを鳴らしまくった演奏で、爽快です。
第3楽章は、曲が曲ですので打って変わって(一見)内省的な演奏となっています。とはいえ、メータのことですから演奏効果を常に考えています。全体に流麗で、甘く切ない音楽になっています。今、このような演奏をすると、楽天的過ぎると詩的されそうです。
第4楽章の導入と第1主題の提示は、期待を裏切らない演奏です。一息ついて第2主題が提示された後、展開部は再び高カロリーの演奏となります。迫力だけの演奏というわけでもなく、静かな場面では夜想曲のような趣も感じられます。こんな演奏を聴かされたら、次代の帝王と思ってもおかしくはありません。
なお、メータ/イスラエル・フィルの「巨人」は、1997年5月21日の録音(EMI)もありますが、そちらは未聴です。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
(第1楽章の後に「花の章」付き)
オーストラリア・ワールド・オーケストラ
ズービン・メータ(指揮)
2013年10月(ライヴ)
【お薦め】
(以下、タワーレコードの商品説明よりよりコピペ)
オーストラリア・ワールド・オーケストラは、2011年に設立されたばかりのオケで、国際的に活躍するオーストラリア出身の音楽家と、オーストラリア以外の国々の音楽家半々で構成された110名規模のフル・オーケストラです。
 ベルリン・フィルやコンセルトヘボウ管弦楽団、シカゴ交響楽団、ロンドン交響楽団、BBC交響楽団、シアトル交響楽団、ミュンヘン・フィル、ロイヤル・フィル、、WDR交響楽団(ケルン放送響)、SWR交響楽団(南西ドイツ放送響)、マーラー・チェンバー・オーケストラ、ハノーヴァー・バンド、スコティッシュ室内管弦楽団、ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団、ドイツ・カンマーフィル、イスラエル・フィル、ゲヴァントハウス管弦楽団、ウィーン交響楽団、ロサンジェルス・フィル、メルボルン交響楽団、シドニー交響楽団等々、ルツェルン祝祭管弦楽団も顔負けの錚々たる楽団名が並びます。
2013年度のゲスト・コンダクターはズービン・メータということで、メータ得意の『春の祭典』とマーラーの交響曲第1番『巨人』の演奏が録音され、、CD化されることとなりました。
楽器配置は第2ヴァイオリン右側のいわゆる対向配置で、コントラバスは左側、若手中心のオーケストラを巨匠メータがまとめあげた演奏を楽しめる注目盤です。
(コピペ終わり)
そんなにすごいオーケストラとは知りませんでした。日本のサイトウ・キネン・オーケストラのような団体でしょうか。それでは「巨人」を聴いてみます。
第1楽章は序奏から熱気と興奮を感じさせます。歌曲主題は、メータらしく大らかに歌われます。各楽器がマイクに近く、鮮明に聴き取れるのあがたいです。こういう録音が好きなのです。展開部に入り、静かな場面も木管楽器が大きめにピックアップされています。再現部のクライマックス及びコーダも鮮明な録音で気持ちよく聴くころができおました。
「花の章」はトランペット・ソロが美しく、このソロを聴かせるために挿入したのではと思わせる出来です。トランペットだけではなく、木管楽器等その他のソロも巧いですこれぐらいの演奏だと「花の章」は存在意義があります。軽い曲ですけれどね。
第2楽章は、左側から聴こえるコントラバスに始まり、華やかなオーケストラの音色。メータの指揮はオーソドックスで特に目新しさはなく、オケの魅力と録音の良さで聴かせる演奏となっています。フルートとかすごく巧いですよ。
第3楽章は、コントラバス独奏ではなくパート・ソロです。これはこれでよいかな、と。各管楽器が素敵な演奏を繰り広げています。メータの指揮も適度なテンポの伸縮があり、短調にならないよう気を配っていて好感が持てます。中間部の歌曲主題も情感豊かな演奏で、これも素晴らしい演奏です。中間部の終わりのなんて寂しいこと。
第4楽章は、勢いに任せた演奏を予測していたのですが、変な表現ですが、オケの一生懸命さが伝わってくる、丁寧な演奏です。少し慎重になりすぎたかもしれません。ここぞというときの迫力にも欠けるように思います。好録音だと思っていましたが、打楽器が控えめなため、根源的な迫力がないのが残念です。
演奏後に熱狂的な聴衆の声援と拍手が入ります。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
フィラデルフィア管弦楽団
リッカルド・ムーティ(指揮)
1984年2月18-23日
フィラデルフィア,メモリアル・ホール
【お薦め】
ムーティが1980年から1992年まで音楽監督であったフィラデルフィア管とのマーラーです。これが完璧な演奏で、ケチの付けようがない演奏なのですが、感動的か?と問われると返事に困ります。あまりにも完璧すぎる?
第1楽章は、しっかりと弾かれるA音上に、極上の巧さで管楽器が次々と登場します。提示部も理想的です。こうだったらよいのにということが何も浮かびません。無理矢理言うならば、オーケストラの音色が明るすぎるとか、録音がもう少し生々しい感じがほしいとか、その程度です。こんなにすごい演奏なのに、不思議と後を引かないのです。クライマックスなんか本当にすごいのですよ。フィラデルフィア管の強力な金管セクションがバリバリ鳴っています。弦も素晴らしいです。点数を付けるなら120点でしょうか。
第2楽章は、やや速めのテンポで、フィラデルフィア・サウンドによる豪勢な演奏が繰り広げられます。この楽章は管もさることながら、特に弦が素晴らしいですね。いや、どのセクションも素晴らしいです。ヘ長調の中間部のレントラー風の主題も良いのですよ。どうしてこんなに上手く演奏できるのだろうと思います。こんな演奏を生で聴いたら、その後ではどんなコンサートでも感動できなくなってしまいそうです。
第3楽章は、しずしずと始まります。これも文句の付けようがないのです。各主題が哀愁を帯びて歌われます。堂に入った歌い方ですよね。中間部の歌曲主題の弱音が絶妙で、これまた美しいのです。ムーティ&フィラデルフィア管が、もっとブルックナーやマーラーを録音していてくれたらと思わざるを得ません。
期待に胸が膨らむ第4楽章ですが、期待を裏切ることなく、フィラデルフィア管の渾身の演奏を聴くことができます。第2主題などメロディーはたっぷり歌い込まれ、盛り上がるべきところはきっちりと壮盛大・壮絶に盛り上げています。
これで録音が指揮台で聴けるような音響であったらと言うことなしだった(やっぱり録音がよくない)のですが、ムーティの珍しいマーラーですので【お薦め】にしたいと思います。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
(第2楽章が「花の章」)
シュトゥットガルト放送交響楽団
サー・ロジャー・ノリントン(指揮)
2004年9月30日、10月1日(ライヴ)
シュトゥットガルト,リーダーハレ

第1楽章の開始は、編成が小さいのか、薄い響きで、テンポも意外に遅めです。提示部は速い速度と思いきや、これは普通のテンポ。弦の編成が小さいみたいで、あまり馬力が出ません。曲が進むにつれて速度は速くなりますが、弦の少なさ(ノン・ヴィブラート奏法由来?)ゆえか、根源的な迫力に乏しい嫌いがあります。すっきりし過ぎているのです。その代わり、木管楽器はよく聴き取れるというメリットはあります。
5楽章版なので、花の章が続きますが、4楽章版に慣れているので違和感があります。悪い曲ではないのですけれど、マーラーが惜しげも無くカットしてしまう程度の音楽なのかも。あっさりと終ります。
第3楽章(第2楽章)は面白い演奏です。バスの量感がちょうど良く、その上に乗っかって各楽器が愉悦感のある演奏をしています。初めてこのCDが好ましく思え、各楽器を聴き取ることができるので興味深く聴けました。色彩感豊かな演奏です。中間部は、テンポ・ルバートも自在に、洒落っ気のある演奏で、これがまた効果的で良い感じです。
第4楽章(第3楽章)第1主題は、淡々と進められ、主部の中間部はややテンポを速めますが、どちらも細かい表情づけがなされ、都会的なセンスのある演奏です。中間部は少しテンポを遅くらせ、さりげなく全体を悲哀に満ちた表現で統一しています。
第4楽章冒頭は、物足りない響きを予想しましたが、打楽器の強打が迫力を底上げしています。しかし、やっぱり弦が少ないのは寂しいです、とは言っても管・打楽器の人数まで減じているわけではないでしょうから、それなりの迫力はありますし、ヴァイオリンの両翼配置は効果的です。楽曲のテクスチュアが容易に聴き取れるのはありがたいことだと言わねばなりませんね。
終了後に声援と拍手が録音されています。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
バンベルク交響楽団
ジョナサン・ノット(指揮)
2005-2006年
バンベルク,ヨゼフ・カイルベルト・ザール
【お薦め】
ノットは1962年のイギリス生まれで、2000年から2016年までバンベルク交響楽団の首席指揮者でした。ノットは、現在活躍している指揮者の中で、私が最も高く評価している指揮者のひとりです。
第1楽章は、適度な厚みのサウンドの中で管楽器が囀るのですが、これがとても瑞々しいです。提示部は幾ばくかの誇張もなく自然に流れていきます。主旋律以外の楽器にも気を配り、それらが程良く聴こえ、ブレンドされているのが心地良いです。音楽が沈み込んでからの情緒も十分で、木管やホルンが美しく響きます。展開部のクライマックス、再現部、コーダの迫力も凄く、興奮させられます。いやぁ、大したものです。
第2楽章も開始早々鮮烈な印象があります。弦のしっかりとし、溌剌とした響き、管楽器の輝かしさ等々、魅せられます。中間部の伸びやかな歌も素晴らしいです。
第3楽章は少し速めで、弦の悲愴な響きが葬送行進曲にふさわしく、感情のこもった木管楽器が素敵です。中間部の歌曲主題も大げさではなく、必要にして十分な感情移入により、豊かに歌い上げています。必ずしも優れた実演を聴かせるとは限らないバンベルク交響楽団ですが、このSACDでは素晴らしい演奏を優秀な録音により満喫させてくれます。
シンバルの一閃とともに第4楽章が始まるのはどの演奏も同じですが、このノット/バンベルク響盤は、オーケストラの響きがとても充実しており、迫力があるのが嬉しいところ。第2主題も自然な美しさがあります。展開部に入ってからは打楽器も凄まじく、全ての楽器がバランスよく響き、興に乗ってオーケストラが懸命に演奏しており、なかなか情熱的な演奏です。ヴィオラが動機を示すと、クライマックスに向けて音楽が動き始めますが、その過程はなかなかドラマティックで、こんな演奏を実演で聴いてみたいと思わされます。


マーラー 交響曲第1番 の名盤 Oz~So

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帰宅してからの自由時間が短い
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一回の記事で取り上げる枚数も減少
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しおしおのぱー



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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
(第2楽章が「花の章」)
ボストン交響楽団
小澤征爾(指揮)
1977年3月,4月(花の章:1984年)
ボストン,シンフォニー・ホール
【お薦め】
小澤征爾/ボストン響がDeutsche Grammophonに残した方の「巨人」です。小澤征爾が42歳の時の録音です(「花の章」だけ追加録音したのですね。気がつきませんでした)。
第1楽章序奏は集中力の高い演奏で、早くも期待させられるものがあります。オーケストラの響きが美しいです。提示部はさらに美しく色彩的で自然に格調高く奏でられます。速度の加減もちょうど良い塩梅です。展開部の抒情も前半はしっとりと、後半は生き生きとしていてクライマックスにはエネルギーが満ちています。再現部・コーダも鮮やかです。
次に「花の章」が演奏されます。トランペットはチャーリー・シュレーター(1981年入団)なのでしょうか。
第2楽章は、鮮やかな演奏で、弦や管がきれい、オーケストラの響きがとても気持ちの良い録音です。リズムのキレの良さが、全盛期の小澤征爾を彷彿させます。中間部も洒落ています。
第3楽章は、少し遅めで開始、打って変わって重苦しい演奏となります。これだけ感情のこもったコントラバス・独奏もないでしょう。重苦しいと書きましたが、表情のことで、響きは明るめです。テンポは速めとなり、緩急の差を大きくつけており、また、室内楽的な精妙さもあります。中間部の歌曲主題は、夢見るように美しく、終わりの寂寥感も表情豊かです。
第4楽章第1主題は、ボストン響の鮮烈な音色が印象的です。第2主題はゆったりとしたテンポで情感豊かに、雄大に奏でられ、展開部は輝かしいクライマックスを築きます。その後、音楽が鎮まってしまうのは勢いを殺してしまったようで、作曲時のマーラーはこういうところがまだ上手ではないな、などといつも思ってしまうのですが、第1主題の再現から刻一刻と盛り上がっていく場面は見事ですし、頂点及びコーダの壮絶な音響も十分で、満足させられました。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ボストン交響楽団
小澤征爾(指揮)
1987年10月
ボストン,シンフォニー・ホール

これは、1980~1993年の録音で旧PHILIPSFでの全集の中の一枚です。
前回の録音(DG盤)と今回(旧PHILIPS盤)との一番の違いは録音でしょうか。どちらもシンフォニーホールでの録音ですが、DG盤は指揮台で聴く感じ、PHILIPS盤は客席のS席で聴く感じで、オーケストラが遠めであり、直接的な迫力よりも、間接音多めのブレンドされたソフトな響きになってます。すなわち、迫力にやや欠けますので、その辺で好き嫌いが分かれると思います。私はDG盤の方が好きです。なお、今回は「花の章」は無しです。
第1楽章序奏は、静謐そのもので、なかなか良い雰囲気があります。録音は先述のとおりですので、少し音量を上げて聴くことにします。提示部も安定感があり、夏の日の朝のように爽やかで美しいです。展開部となり、再び静かな音楽となりますが、次第に活発的になり、再現部も文句の付けようがない出来です。ボストン響の重厚なアンサンブルが光り、これだけ聴いていれば何の不満もありません。
第2楽章は、シャープでダイナミック、キレの良さもあって、鮮烈な印象を与えます。この楽章でもボストン響の合奏力が素晴らしいです。中間部のなんとも言えない、まさにマーラー特有の音楽です。
第3楽章も、コントラバス・ソロの音程がよく、カノン風の音楽を背景にオーボエが少しもの悲しい旋律を加えます。小澤の指揮の特徴でもある、バランスの良さを聴くことができます。中間部の歌曲主題のおっとりした歌も美しいです。ただ、主部に戻ってからは、やはりDG盤のほうが良かったと思ってしまいます。
第4楽章第1主題は、DG盤に比べると、録音のせいか、だいぶ大人しく(品がよく)冷静に感じられます。テンポも今回(前回(19分53秒)より遅め(20分03秒)に感じられますが、タイムはほとんど同じでした。あまりダイナミックスが強調されない録音ですので、頂点も大きくないです。けして悪い録音・演奏ではないのですが、もう少しガツンと来るものが欲しいです。
なお、小澤征爾には、サイトウ・キネン・オーケストラを指揮した2008年9月のライヴもあるのですが、それは未聴です。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
(第1楽章の前に「花の章」)
バーミンガム市交響楽団
サー・サイモン・ラトル(指揮)
1991年12月16-19日(ライヴ)
バーミンガム,シンフォニー・ホール

1980年に首席指揮者、1990年から1998年まで音楽監督であったバーミンガム市響を指揮しての「巨人」です。
いきなり「花の章」から始まります。「花の章」で締めくくるよりはよいでしょう。単調な曲ですが、ラトルの手にかかると優雅で繊細な音楽となります。
第1楽章の提示部は、柔らかい弱音で開始、淀みなく、清々しく流れ、音量が大きくなるにつれて色彩も増していきます。実に自然な呼吸をもった演奏です。展開部も最初は自然の内に沈んでいきますが、自然な盛り上げ方に好感が持てます。クライマックスは,派手にオーケストラを鳴らします。ベルリン・フィルやロンドン響とは比べるべくも無いと思ってしまうのですが、バーミンガム市響は健闘しています。一部、ソロに不満はあるとしても。
第2楽章は、まず弦楽合奏が気持ちよいです。管楽器も含め、とても充実した響きです。中間部も木管のおどけたような表情が、明るい中にも一抹の寂しさを演出しており、なかなか聴かせる演奏です。
第3楽章は、遅めのテンポで重々しく開始され、途中から引き摺るように歌わせているのが興味深いですね。中間部は最弱音で始まり、しめやかです。主部に戻ってからは、いろいろ変化を付けていて、あの手この手を繰り出してくる感じです。
第4楽章は、大変力のこもった第1主題の迫力に圧倒されます。対照的に第2主題は繊細さの限りを尽くしているようです。展開部は、再び第1主題に戻り、重量感もあり、変化に富んでいます。再現部での第1楽章序奏や同第1主題がデリケートな表情が耳をそばだてさせます。第2主題の後、第1主題が再現される頃にはエネルギーが戻ってきますが、かなりの熱にもかかわらず、圧倒的にならないのは録音のせいでしょうか。しかし、全楽章の中で最もラトルがエネルギーを注いだのはこの楽章でしょう。
演奏後に盛大な拍手があります。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団
フランソワ=グザヴィエ・ロト(指揮)
2011年10月29日,11月2,3日
フライブルク,コンツェルトハウス
【お薦め】
以前(今年の3月11日と17日)に「フランソワ=グザヴィエ・ロト(指揮)を聴く」という記事を書いたのですが、そのときにも取り上げた録音です。「『巨人』の演奏について語るとき、外してはならない名演でしょう。」と断言していました。本当にそうだったのか確認してみたいと思います。
第1楽章序奏は、ppの指示にこだわらず、管楽器(トランペット以外)をはっきり明確に演奏させています。清々しい演奏です。提示部に入ってからも同様で、瑞々しく生き生きとしています。録音もこの演奏にふさわしい出来で、これを聴いていると気分爽快です。展開部も美しく伸びやかで、色彩豊かであり、クライマックスも迫力は申し分ありません。これほど気持ちよく聴けるマーラーの交響曲第1番もあまりないでしょう。
第2楽章は、少し速めのテンポで、前楽章と同じように、晴れ渡った秋空のように爽快感があります。歯切れのよさに加えて力感もあり、弾力のあるリズムが心地良いです。中間部は一点して雅やかな気分となり、ちょっと澄ました感じで、品格があります。主部に戻り、さらに勢いが増しています。
第3楽章は、やや遅めのテンポで、明るかった前2楽章と一転し、重々しく、しかし淡々と進められていきます。そして中間部の「彼女の青い眼が」からの主題は、大切なものに触るかのように、丁寧に扱われています。デリケートな演奏ですが、活動的でもあります。
第4楽章は、第1主題の提示は、強音時でも響きが濁らず、透明感のある演奏です。第2主題も、同じく透明感があり、すっきりとした、端麗な美しさがあります。抑制の効いた展開部のクライマックス後は音楽静かになりますが、この曲の主人公は孤独で、カッコウしか友達がいないのだろうか、とそんなことを聴きながら考えてしまいました。コーダに向かっての高揚は、けして力むことはなく、バランス重視で、物足りないと思う人もいるかもしれません。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
バイエルン放送交響楽団
ヤニク・ネゼ=セガン(指揮)
2014年6月26・27日(ライヴ)
ミュンヘン,ヘルクレスザール

フィラデルフィア管弦楽団とメトロポリタン歌劇場の音楽監督を兼任する、今や飛ぶ鳥落とす勢いのネゼ=セガンは、ブルックナー(全集あり)やマーラーの指揮にも定評があるところです。
第1楽章提示部は、しなやかで自然であり肩の凝らない音楽となっていますが、バイエルン放送響のライヴにしては意外に盛り上がらないとうか、爽やか系の演奏です。表情も割とあっさりめですが、よく聴けば、強弱・伸縮のニュアンスに富んだ音楽となっていることがわかります。録音はグランカッサのずしんと響く重低音をよく捉えていますが、全体としては自然な感じです。
第2楽章は、良いです。リズムが冴えていますし、ダイナミックスの幅が広く、かつ色彩的です。中間部も歌い方がさりげなく凝っていて聴かせます。
第3楽章は、冒頭のティンパニが意味深げに鳴ります。薄味の第1楽章はなんだったのだろうというぐらい、第2楽章と第3楽章は上手な味付けです。中間部の歌曲主題なんて最高の演奏のひとつじゃないかと思います。このような指揮ができるのが、ネゼ=セガンなのでしょう。冴えたセンスが光ります。
第4楽章冒頭はもう少し迫力が欲しいところですが、録音のせいなのかもしれませんし、あるいは力に訴えず、技を追求しているのかもしれません。いや、もしかして弦の編成が小さいとか? すすり泣きのような第2主題も魅力的です。展開部も迫力不足ではありますが、マーラーのオーケストレーションの妙味が伝わる演奏ではあります。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ヘルマン・シェルヘン(指揮)
1954年9月

録音年からして当然モノラルなのですが、Westminster の優秀な録音により、さして不満は感じません。鮮明な音質です。
第1楽章は、全体に牧歌的で、のんびりとした雰囲気です。ハープやトライアングルの音がよく聴こえ、マイクの前で演奏しているみたいで、新鮮な気持ちがします。シェルヘンに期待する、アクの強さのようなものはあまり感じられません、と思ったら、突然大見得を切るような場面や、激しいアッチェレランドがあったりなど、面白い演奏です。
第2楽章は、かなり速いです。速すぎです。オーケストラ、大忙しです。面白いなぁ。楽しいです。中間部もテンポは速いですが、はがらりと雰囲気を変え、優雅な音楽を聴かせます。主部に戻って改めて猛烈な速度を再確認しました。打楽器陣も大活躍です。
第3楽章は、心臓の鼓動のようなティンパニに、乾いた音のコントラバスに始まります。前楽章に引き続きかなり濃い演奏で、その特徴をひとつひとつを上げていたらキリが無いです。中間部の歌曲主題も、なんだか不思議な音楽です。異国情緒が漂っています。主部に戻って押し殺したような響きの中、木管の悲痛な歌、いろいろな表情を聴かせながら、曲は次の楽章へと向かいます。
第4楽章冒頭は、響きに広がりがないというモノラル録音の限界がありますが、速めのテンポでぐんぐん進んで行く嵐のような第1主題に魅せられます。第2主題は一転してゆったりとした速度を採用し、テンポを揺らしながら情緒豊かに歌わせています。展開部からはテンポを戻して再び怒濤の進軍となります(トライアングルが目立つ!)。その後に音楽が鎮まってしまう部分は聴く方の緊張感も失われてしまうのですが、シェルヘン指揮は面白いので一瞬たりとも聴き逃せません。第1主題が再現するあたりから、テンポを伸縮させながら、巨大なクライマックスを築きます。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」 
フィルハーモニア管弦楽団
ジュゼッペ・シノーポリ(指揮)
1989年2月
ロンドン,オールセイント教会

シノーポリは、1985年~1994年(大地の歌は1996年)にフィルハーモニア管とマーラー交響曲全集を録音しています。その中の1曲です。某通販サイトのレビューで酷評されていましたが、シノーポリの音楽性とマーラーは合っているように思いますので、興味津々で聴いてみました。
第1楽章序奏は丁寧な仕上がりです。提示部も自然で優しい歌を聴かせます。春の日差しのように穏やかな演奏です。展開部も朝靄の中から次第に音楽が浮かび上がってくるような清々しい音楽。クライマックス&コーダもフィルハーモニア管の優秀な金管セクションが秀逸、なかなか良い演奏です。
第2楽章は、各楽器をクローズアップしている録音のせいもあり、他の演奏では聴けない響きを楽しむことができます。中間部もしなやかで伸びやかな歌が耳に心地良く、楽しめる演奏です。主部に戻ってからは元気溌剌といった感があります。
第3楽章は、コントラバスの独奏がいつもより遠くから聴こえ、雰囲気が良いです。旋律を滑らかにじっくり歌わせているのが特徴で、しとやかな佇まいがなんとも言えない美しさを醸し出しています。中間部の主題も非常に美しさです。主部に戻ってからもゆったりとした深い呼吸で音楽が進められていきます。
第4楽章は、教会での録音のせいか、残響が他より幾分多めで、多少騒々しくもありますが、その分、オーケストラの音は艶やかです。第2主題もしっとりと美しい演奏です。展開部となり、第1主題が戻って音楽は盛り上がっていきますが、フィルハーモニア管がシノーポリの意図をよく汲んで、共感をもって演奏しているのがよくわかります。クライマックスやコーダは、シノーポリの変化にオケがついていけないような場面もありますが、ここは感興の豊かさを称えるべきでしょう。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ロンドン交響楽団
サー・ゲオルグ・ショルティ(指揮)
1964年1月17,18日,2月3,5日
ロンドン,キングズウェイ・ホール

ショルティの旧盤、ロンドン響との「巨人」です。
第1楽章序奏は、悠揚迫らぬ足取りです。主題の提示は、実に爽やか。この歌曲主題をうまく演奏するのは難しいと思うのですが、ショルティ/ロンドン響はさすがです。自然な抑揚を好ましく思います。この当時のDECCAの録音もとても優秀で、臨場感豊か、ステレオ効果抜群です。演奏もとても瑞々しく、ダイナミックです。この曲の代表的な名盤ではないかと思うのですが、不思議と聴く側の集中力が保たないのは、オーソドックス過ぎるからなのかもしれません。
第2楽章も鮮烈に切り込んできます。この楽章も非の打ち所のない演奏で、ロンドン響の優秀さを思い知らされます。中間部もノーブルな表現で、立派な演奏です。このサウンドにいつまでも浸っていたいという気持ちと、先を急ぎたくなる気持ちが同居する不思議な演奏。
第3楽章も良い演奏なのですよ。ただ、その特徴を挙げるとなると、「端正」とかそのような言葉しか浮かびません。中間部もとても美しく演奏しています。これだけ美しく演奏するのは大変なことだと思いますが、もう少し、例えばテンポの伸縮とか、何かあってもよいと思うのです。
第4楽章の開始など、ショルティの本領発揮という気がします。頂点に到った時の、ロンドン響の金管陣の壮麗さなど見事がなものですが、どこか常套であるとも思います。録音が良くて演奏が見事で、それだけでも十分なのですが、もっと何か、熱いものが欲しいです。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
シカゴ交響楽団
サー・ゲオルグ・ショルティ(指揮)
1983年10月10,11日
シカゴ,オーケストラ・ホール
【お薦め】
ショルティは1969年にシカゴ響の音楽監督に就任し、以来1991年までショルティ/シカゴ響という、カラヤン/ベルリン・フィルに匹敵するような、ひとつのブランドを築きました。マーラー指揮者であったショルティは、1970・71年に第5,6,7,8番、1980~83年に第1,2,3,4,9番をシカゴ響と録音しています。一気に録音しなかったのは、ショルティの慎重さが理由かも。
第1楽章序奏から優秀なオーケストラの音がしています。提示部も格調高く主題が歌われます。早くもこの演奏が第1番「巨人」のスタンダードな名演という予感がしてきます。展開部も間延びすることなく、集中力の高さがあります。主題の展開は伸びやかであり、青春の息吹のようなものが伝わってきます。良いですね、この演奏。クライマックスはシカゴ響らしく壮麗で迫力があります。特に金管、トランペットはさすがです。再現部も聴いていてウキウキするもので、コーダもビシッと決めています。
第2主題は、シカゴ響の明るい音色で、かつ厚みのある弦楽器が魅力的です。中間部も、この曲のお手本みたいな名演です。奇をてらったところなど全くなく、これぞ正当派という感じで音楽に説得力があります。主部に戻ってからはシカゴ響の完璧な演奏により、豪放なサウンドを披露しています。
第3楽章主部は、いささか特徴を述べるのに乏しいところもありますが、実直で良い演奏ではあります。基本的にショルティは真面目な指揮者ですので、ややユーモアに欠けるところもあるのです。ただ、シカゴ響はやはり巧く、それだけでも十分な気もします。「Auf der Straße steht ein Lindenbaum~」の旋律も丁寧に歌われています。
第4楽章は僅かに遅めのテンポを採り、シカゴ響の抜群な合奏力によりまず第1主題が提示され、弦の美しい第2楽章を経て、最初のクライマックスとなりますが、ここはもう少し、シカゴ響ならではの迫力が欲しかったかも。その後、第1楽章のファンファーレの辺りから再びクライマックスが訪れますが、ここでもシカゴ響の金管セクションの素晴らしい演奏が印象的でした。これ以上を望むのは贅沢というものでしょう。
安心して聴けるという点では、この演奏が第一選択肢かもしれませんね。


マーラー 交響曲第1番 の名盤 Te~Zi

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2018年12月1日の、ゲルギエフ/ミュンヘン・フィルの公演は、プログラムBでして、ブラームスのピアノ協奏曲第2番(ピアノはユジャ・ワン)と、マーラーの交響曲第1番「巨人」であり、それに向けての予習ということで、マーラーの「巨人」を集中的に聴いてきました。
なお、私は12月2日の公演(いずれもサントリーホール)も押さえており、そちらはプログラムCなので、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番(ユジャ・ワン)と、ブルックナーの交響曲第9番なのです。
したがって、次に取り上げるべき曲は「ブルックナーの第9番」であり、既に予習を開始していますが、これが難しいっ! いったい何を基準に名演(お薦め)にすればよいのかよくわかりません。どれも名演に思えてしまいます。大曲過ぎて手に負えません。特に第3楽章が鬼門です。この曲はどう扱えばよいのか……。
しかし、挑戦してみようと思うのは、このブログに至る検索キーワードに「ブルックナー 交響曲第9番 名盤」というのが多いので、そろそろ新しい記事を起こそうという考えがあるからです。ここでまさか?という疑問が湧き、Googleで検索してみたところ、このブログは第2位じゃないですか。この検索結果では、名だたるブログやサイトがヒットしますので、私もそれなりのしっかりした記事を書かねば!と思う今日この頃なのです。
さて、何はともあれ、マーラーの交響曲第1番 ニ長調「巨人」の最終回です。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
クラウス・テンシュテット(指揮)
1977年10月4,5日
ロンドン,アビー・ロード第1スタジオ
【お薦め(決定盤)】
このCD(LP)には思い出があるのです。故H先生に、マーラーの交響曲第1番「巨人」を聴いておけ!と言われ、私の家に集まって聴いたのが、テンシュテット指揮の演奏だったのです。当時はオーソドックスな演奏という認識でいましたが、さてどうでしょう。
第1楽章序奏は、なかなかの雰囲気です、というか、唯一LPで所有していたのがこれだったので、私の肌に染みついているのかもしれませんが、弦と木管・金管のバランスが大変良い感じで、理想的です。当時はこれが当たり前と思って聴いていました。提示部は気品を感じます。なんだかすごく良い演奏に思えて来ました。よく歌っているし、テンポの伸縮やダイナミックスも良い加減です。いや、ホント、懐かしい……。展開部も同様です。大太鼓がすごい量感で入ってきて驚きます。その後も、弦や木管の歌がとてもしなやかで美しいです。再現部~コーダも気宇壮大です。
第2楽章も活気があり、瑞々しく、地に足がついている、実にしっかりとした音楽です。ロンドン・フィルがテンシュテットに全幅の信頼を置いて演奏しているのでしょう、音楽に大変説得力があります。優れている演奏は、あっという間に終ってしまいます。
第3楽章は、少し遠めのティンパニに、少々神経質そうなコントラバス独奏。管楽器の歌がドンピシャといった具合に嵌っています。デュナーミクとアゴーギクも、少なくともこれを聴いている間は、これ以上は考えられないです。マーラーの皮相的な側面をよく表現した演奏です。中間部の主題は意外に速めでスッキリしており、主部とのバランスはこの方がよいかもしれません。主部に戻って適度な重みと悲しさ、寂しさがあり、この楽章も感心して聴きました。終楽章へと続く結尾も緊張感が最高です。
第4楽章第1主題提示部はLPで聴いていたよりも、CDはもっと迫力があります。音の厚みとエネルギー感、キレの良さといったところ。トランペットがこんなに大きな音を出していたのですね。なかなか壮絶です。第2主題提示部も表現の点においては抜群です。第1主題に戻ってからも雄弁に進行し、頂点を迎えます。ヴィオラによる特徴的な動機はひとつの目印なのですが、以降も演奏は充実しており、第1楽章のファンファーレが再登場する箇所のなんと輝かしいことでしょう。久しぶりに聴いて感動しました。
なお、Wikipediaはこの演奏について次のように記しています。
テンシュテット時代(1983年 - 1987年)
東ドイツから西ドイツに亡命し、キールを本拠に活動を始めたばかりだった指揮者クラウス・テンシュテットがロンドン・フィルとマーラーの交響曲第1番を録音したのは1977年のことだった。
EMIから発売されたこの録音を聴いたカラヤンがその演奏を激賞し、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台へ招いたというエピソードがあるが、テンシュテットの能力と才能に驚いたのはロンドン・フィルも同じだった。彼らの距離は次第に縮まり、1983年には首席指揮者に招かれる。
引用終わり。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
クラウス・テンシュテット(指揮)
1985年2月12日(ライヴ)
ロンドン,ロイヤル・フェスティヴァル・ホール

第1楽章序奏は、やや掠れ気味のフラジオレットが気にならないでもありませんが、彫りの深い演奏であることはわかります。しかし、客席ノイズが目立ちます。提示部はセッションの方が完成度が上と思いますが、加速していくところなど、オーケストラ(木管)が不揃い(以降も弦と木管が合っていない箇所が気になります)ですし、響きが薄いのも気になります。それでもライヴ由縁の求心力があり、音楽が鎮まってからの緊張感もセッションでは得難いものです。トランペットのファンファーレからのクライマックスはなかなか迫力がありますし、感興も豊かです。コーダもこれ以上は速くできないくらいのスピードです。
第2楽章は、セッションとほぼ同様の感想を持ちましたので、繰り返しは避けますが、過不足のない理想的な表現、良い演奏です。ただ、ちょっともたつく感じもありますね。セッションの方がリズムにキレがありました。
第3楽章も、基本的なスタイルは1977年録音と同じです。中間部の歌曲主題のデリケートな扱いはセッションを上回るでしょう。主部に戻ってからのテンポの伸縮も大きく採っています。
第4楽章も、仕上がりの点ではセッションに及ばないものの、それなりに盛り上がる第1主題の提示部、バスドラムの打撃も効いています。第2主題のすすり泣くような表現にもはっとさせられるものがあります。しかし、第1主題に戻ってからの迫力は作曲のせいで長く続きませんが、提示部の頂点など凄まじいものがありました。音楽は再現部に入って消沈してしまうのですが、静かになった部分にこの演奏の真価があるのかもしれません。生み出された音楽が自然であり、包容力のあるものだからです。次のフィナーレに向かっても、ゾクゾクするものがあり、コーダも圧倒的です。聴衆の歓声と拍手も頷けます。
なお、一生懸命褒めていますが、1977年のセッション録音があれば、これは要らないかな、とも思いました。
また、シカゴ交響楽団との1990年5月31日-6月4日ライヴは未聴です。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
サンフランシスコ交響楽団
マイケル・ティルソン・トーマス(指揮)
2001年9月19-23日(ライヴ)
サンフランシスコ,デイヴィス・シンフォニー・ホール
【決定盤】
2001年から2008年にかけて録音された交響曲全集の中の1曲で、管弦楽伴奏付きの歌曲(1996年~2009年録音)も手がけています。この全集はSACDにしては安価であるという理由で拙ブログでもご紹介しましたっけ。それでは久しぶりに聴いてみます。
第1楽章序奏は、サンフランシスコ交響楽団響(長いので以下SFSという)の管セクションの巧さが光ります。もちろん流線的な弦も美しいです。提示部の弦楽にはうっとりさせられるものがあります。もちろんマイケル・ティルソン・トーマス(長いので以下MTTという)の指揮あってのことですが、メロディの歌わせ方が理想的なのです。展開部も始めは適度にほの暗く、その後の展開も申し分なく、上々な仕上がりです。美しいだけでなく、力感にも欠けていません。クライマックス~コーダも輝かしく劇的です。
第2楽章は、MTTの指揮に見事な弦楽合奏でSFSが応えます。中間部のレントラー風の主題も優雅で表現の過不足がなく、主部に戻ってからは躍動的な演奏に胸が高鳴ります。
第3楽章も雰囲気がよく、途中から、これまでのオーソドックスな表現からは意外な緩急の変化が聴かれますが、洒落ているというか、とにかくとても魅力的なのです。中間部の歌曲主題も心がこもった歌を聴かせます。ここまでの3つの楽章の中では、この楽章が白眉かもしれません。
第4楽章第1主題の提示は十分な迫力があります。弦・管だけでなく打楽器陣もしっかり活躍しています。第2主題も真に感情がこもった、緊張感があるもので、聴く側も思わず背筋を伸ばして聴き入ってしまいました。第1主題が戻ってからは、圧巻の連続です。ちょっとした間の取り方ひとつ取っても本当にMTTは聴かせ上手です。再現部になると再び迫力が増し、第1楽章のファンファーレの後は、圧倒的なクライマックスとコーダで終ります。もうこの一枚があれば他は要らないと思うほど完成度が高いです。
録音も自然な美しさと迫力を両立させた、超がつく優秀録音ではないかと思います。
なお、ライヴ録音ですが拍手は入りません。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
(1893年ハンブルク稿)
ネザーランド交響楽団
(ヘット・オーステン管弦楽団)
ヤン・ヴィレム・デ・フリエンド(指揮)
2009年5月27-29日

オランダの指揮者であるフリエンド(1963年-)が2066年から首席指揮者を務めるネザーランド響を指揮しての「巨人」です。フリエンドは当ブログに登場するのは確か2回目で、前回は「水上の音楽」(管弦楽はコンバッティメント・コンソート・アムステルダム)ですので、「巨人」は少々意外な選曲という気もしますが、聴いてみます。「1893年ハンブルク稿」だそうです。以下「」はHMV&BOOKSからの引用です。
第1楽章序奏は「クラリネットのファンファーレは、ホルン」であり、「遠くからのトランペットのファンファーレは、ホルンとの掛け合」になっています。そういう違いはあるものの、実に清々しい音楽を聴かせます。提示部も奥ゆかしさを感じ、その牧歌的な風情は薫り高いものです。残響が多いため、オーケストラの響きが艶やかで美しいです。「フィナーレに入るクレッシェンドは大太鼓」が打ち鳴らされますが、やはり後のオーケストレーションの方が旋律が明確に聴き取れるなど洗練されています。
第2楽章は「花の章」です。とても美しい演奏でした。
第3楽章(第2楽章)は「冒頭でティンパニが弦楽とリズムを刻」でいるのが響きの点で目新しく、なかなか躍動感のある演奏です。もう少し残響がない方が私の好みの録音なのですが、楽器の音は生々しく録れています。中間部など夢見るような美しさがあります。
第4楽章(第3楽章)「冒頭は弱音器付きのチェロと弱音器なしのコントラバスとのデュオで奏で」られています。理想的なテンポの設定で、この楽章の魅力を余すところなく演奏していると思います。中間部の主題もデリケートに扱われ、これも美しいのです。「ハンブルク稿」を使用していなかったとしても注目に値する演奏でしょう。
第5楽章冒頭・第1主題の提示はなかなかの迫力です。しかし、繰り返しになりますが、残響の多さがネックで、実際は多彩であるのに音楽の進行が単調に感じられます。再現部から音楽は再びクライマックスに向けて盛り上がっていきますが、この辺りの落ち着いた、入念な進行は素晴らしいと思います。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ミネソタ管弦楽団
エド・デ・ワールト(指揮)
1989年4月
ミネアポリス,オーケストラホール
【お薦め】
オーケストラ・ビルダーとし名高い、ワールトの指揮による「巨人」です。1986年から1995年まで首席指揮者を務めたミネソタ管との演奏です。
第1楽章序奏及び提示部は、輪郭のはっきりした演奏となっており、ppの指示であってもそれにこだわることなく演奏されていきます。活動的な部分は音楽が生き生きとし、静かな場面でもしっかりとした歩みを聴かせます。もう少し深みやコクといったものが欲しいような気もしますが、明快な音楽ではあります。クライマックスもそれなに盛り上がる演奏です。全体に明るく、溌剌とした音楽でした。
第2楽章は、弦を鳴らし切り、やや速めにぐいぐい進んで行くのが、鮮やかで爽快な印象を与えます。中間部も良いテンポです。
ここまで何の不満もなく、完成度が高い「巨人」です。第3楽章も模範的(優等生的ではない)な演奏で、他の演奏もこうであったらどんどん【お薦め】を付けるのにと思うほどに。第3楽想も感情が移入された思い入れたっぷりの演奏で、いやぁ良い演奏だなぁと心から思います。中間部の歌曲主題の歌い方も丁寧でしっとりとしています。録音が優秀なのもポイントが高いです。
第4楽章第1主題の提示は、予想どおり、期待したとおりの迫力があります。管・弦のバランスも最高です。第2主題への橋渡しも理想的で、うっとりと聴き惚れるばかりです。何かこう、筋が一本通っている感じで、目指す方向、一点に向かって音楽が進行していくかのように思われます。展開部も凄い迫力が高度なアンサンブルにより実現されています。いわゆる(内容を伴った)カッコイイ演奏なのです。第1主題の再現からの盛り上がりも最高です。いくら褒めても褒め足りません。
なお、ワールト/ロイヤル・フランダース・フィルハーモニー管による、2012年6月25-27日の録音は未聴です。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
ニューヨーク・フィルハーモニック
ブルーノ・ワルター(指揮)
1954年1月25日

名盤とされる1961年のステレオではなく、1954年のモノラルですが、スタジオ録音であるためか、聴き易い音質です。
第1楽章序奏から提示部は、自然な音楽の流れが好ましく、優しい先生が懇切丁寧に指導してくれるといった趣で、ここはこう演奏するんだよ、と教えられているみたいです。さすが、マーラーの良き理解者といったところでしょうか。オケがニューヨーク・フィルであるためか、コーダなど力強いです。
第2楽章は、線の太い、豪壮な演奏ですが、中間部はワルターらしく豊麗な歌を聴かせてくれます。
第3楽章始めのティンパニは重く、しっかりとした足取り、カノン風に演奏される各楽器は各悲痛な表情で、まさに葬送行進曲のようです。中間部の主題も豊かな歌となっています。全体に重苦しい雰囲気が支配する楽章でした。
第4楽章も重厚です。これがステレオ録音であったらという思いを捨て切れません。第2主題もじっくりと歌われますが、第1主題に戻ると再び重々しい雰囲気となり、最初のクライマックスが堂々と築かれます。その後もオーケストラの重厚な響きを聴かせながら、圧倒的なクライマックス、コーダに至ります。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
コロンビア交響楽団
ブルーノ・ワルター(指揮)
1961年1月14,21日,2月4,6日
ハリウッド,リージョンホール
【決定盤】
いやぁ、やっぱりステレオ録音はいいですね。第1楽章の序奏が始まった瞬間からホッとしますし、提示部の主題の歌わせ方は最高です。これこそマーラーの「巨人」でしょう。音楽が瑞々しく息づいています。コロンビア交響楽団については、自主的団体であるグレンデール交響楽団であるとか、ロサンゼルス・フィルであるとか、諸説ありますが、ワルターの指揮に心服し、その音楽性を100%(以上)表現しているように思われます。実に清々しい音楽。
第2楽章も冒頭から爽快です。管・弦のバランスが整っているので聴いていて気持ちが良いです。しかし、あまりにも名演過ぎて演奏を表現する言葉が浮かんできません。中間部も歌に溢れ、木管楽器など、他のどのオーケストラよりも歌っているように聴こえます。ワルターはコロンビア交響楽団を高く評価していたそうですが、技倆で劣ることはあっても、演奏に対する熱意は負けていないように思われます。オーケストラに伝統という色がついていない分、ワルターの芸術を反映しやすいのでしょう。
第3楽章も言葉を失いますが、一言で表すならやはり「歌」でしょうか。中間部など、これ以上の演奏はあっただろうかと思うほど歌に溢れています。また、録音が良いのですよね。今となっては57年前の録音ですが、この時代としてはかなりの名録音と言ってよいのでは。細部まで明快で、演奏の雰囲気をよく伝えてくれます。
第4楽章は、コロンビア交響楽団は弦の編成が少なめなのだそうですが、その分見通しが良く、第1主題はなかなかの迫力です。第2主題も理想のテンポで美しく歌い上げています。再び第1主題に戻ってからも力感のある演奏が続きます。最初のクライマックスなど、やや遅めで風格のある音楽を造り上げています。音楽がいったん鎮まってからも、普通の演奏だと中だるみしてしまうのですが、この演奏には、程良い緊張感と叙情性があります。フィナーレも立派です。


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マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」
(第4楽章の後に「花の章」)
チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
デイヴィッド・ジンマン(指揮)
2006年2月27,28日
チューリヒ,トーンハレ

1995年から2014年まで音楽監督を務めたトーンハレ管とのマーラー交響曲全集の中の1曲です。録音が優れているというのは、ありがたいものです。この録音はダイナミックレンジを大きく取っており、トゥッティ時の音量的迫力があります。
第1楽章は良いですね。こんなに良い演奏だったかなと思うくらい。提示部は何ら奇をてらったところがない自然体な演奏で、それが実に気品に満ちたもので、音楽の魅力が素直に伝わってきます。細部にまで気配りが行き届いており、例えばハープは常に最適な音量で演奏されています。木管楽器が大きめに録音されているのも、新鮮な感じがします。弦楽器も両翼配置なのも効果的です。
第2楽章も鮮やかな演奏で洗練されており、オーケストラが伸び伸びと演奏しているのが、聴いていて実に心地良いです。中間部は一層その感が強くなります。
第3楽章は、この曲のペーソスを良く表現しており、中間部の主題も丁寧に歌われています。これ以上、何を求めるのか、というくらいの完成度です。
第4楽章序奏と第1主題の提示は、しっかりと迫力が確保され、堂々たる演奏であり、両翼配置のステレオ効果も楽しく、第2楽章はしっとりとしめやかに美しく歌い上げられています。再び第1主題に戻りますが、緊張感や迫力はあるものの、どこかのんびりした感じもあり、微妙なところです。第2主題再現の繊細さは素晴らしいものがあり、第1主題の再現の後、第1楽章のファンファーレ、予告されたクライマックスなど完璧と言っていい演奏ですが、それが当たり前のように演奏されるので、なんだか少し飽きてしまいました。贅沢な話ですね。
「花の章」は、美しい演奏です。


秋休みの簡単な工作(コサギ2)

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9月は3連休が2回あって楽でした。でも、仕事が忙しいときは、連休があると仕事をする時間が短くなって、かえってつらくなることもあります。

今、仕事が忙しくて、土、日曜日も事務所で仕事をしています。したがって音楽を聴く時間を確保できませんので、新しい記事が書けません。

ちょうど、聴き比べの曲が変わる時期ですので、一日の短い自由時間に演奏のリストづくりに励み、移動時間中に予習をしています。大曲ですから、準備に時間をかけています。

話を戻します。9月に簡単な工作をしました。

BearHorn(ベアホーン)」というブランドでバックロードホーン・エンクロージャーを販売している吉本キャビネット株式会社さんから商品が届きました。
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箱を開けると中はこんな感じ。
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中身を取り出してみました。部品数が多い!!
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順番に組み立てていきます。これは「首」の部分。
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「頭」の部分です。
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「胴」の部分です。
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複雑な「音道」です。
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側板を閉じます。
うまくはまらないので、端金(クランプ)で強制圧着しました。
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「頭」の部分に「ターミナル」を取り付けたところ。
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「胴」に補強板を取り付けています。
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なお、塗装はワトコオイル(ホワイト)を使用しています。

スピーカーは「これ」です。
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雑誌の付録のスピーカーなのです。
ペア10,000円のユニットと変わらないクオリティなのだとか。

マークオーディオ OM-MF5 は、こんな感じで収まっています。
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振動板はマグネシウム・アルミハイブリッドコーン(口径8cm)です。
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オーディオの師匠の言葉を思い出します。
「紙なんて時代遅れだよ」
「紙なんて時代遅れだよ」
「紙なんて時代遅れだよ」
「紙なんて時代遅れだよ」
「紙なんて時代遅れだよ」
「時代遅れなんだよ!!」

いや、紙は基本ですッ!

バッフル板に取り付けました。
この作業が一番気をつかいます。
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「頭」と「首」と「胴」を合体させました。
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「鳥形バックロードホーン」炭山アキラモデル「コサギ」の完成です。
でも、これは「コサギ2」です。どこが違うのだろう?
「コサギ」というより「家庭用焼却炉」です。

これも使いました。
信濃川流域の「川砂」です。
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これを背後のデッドスペースに詰めます。
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ホチキスで封をしました。川砂が大量に余りました。
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中高音がキンキン鳴ると言ったら、
オーディオの師匠が「吸音材」を入れろと指示するので、
ウールを入れました。
良い意味で「普通の音」になりました。
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エージング中です。
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オーディオ・マニア必携の、このCDを使いました。
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定位・音場感はバツグンですが、低音が物足りない……。
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そこで、YAMAHAの NS-2000を反転させ、壁を作りました。
低音が出るようになりました! 私って頭がいいな!!
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ユニットを FOSTEX FE88-Solに換装することにしました。
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マグネットが非常に強力なので、ドライバーが引っ張られます。
取り付け完了。
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試聴中です。
高いユニットなので、良い音が出ている気がします。
オーディオは「気分」がとても大切なのです。
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NS-2000を壁代わりにしたのが非常に効果的だったので、
今は週替わりで小型スピーカーを取り替えて楽しんでいます。
強固な箱は下手な壁より優れた音響効果をもたらすのですね。


ブルックナー 交響曲第9番 の名盤 AbーBa

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以前にも書きましたが、来月ブルックナーの交響曲第9番を聴きに行きますので、予習をすることにしました。驚いたのは「ブルックナー 交響曲第9番」をGoogleで検索すると、このブログが6番目にヒットしてしまうのです。故吉田秀和先生の文章の引用を除いて、大した記事ではなく、CDもたった5枚しか取り上げていません(当時は1週間に1曲だったので、この長い交響曲をいろいろ聴く時間は無かったのです)。こんなブログが上位にあるほど人気がないのか、ブルックナーの交響曲第9番!
そんなこともあって、書き直そうと決意した次第です。

アントン・ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
第1楽章 Feierlich, misterioso(荘重に、神秘的に)
第2楽章 Scherzo. Bewegt, lebhaft - Trio. Schnell(スケルツォ。軽く、快活に - トリオ、急速に)
第3楽章 Adagio. Langsam, feierlich(アダージョ。遅く、荘重に)
第4楽章(未完成)

この交響曲の作曲経緯については、今さら書くまでもないと思いますが、とにかく長い時間がかかっています。1887年に開始して1896年になっても終りませんでした。結局、第4楽章は未完成で、補筆完成版もいろいろあるのですが、今回の聴き比べでは省略します。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 
[1894年初稿 ノヴァーク版]
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
クラウディオ・アバド (指揮)
1996年3月(ライヴ)
ウィーン,ムジークフェラインザール

1996年に、アバドがウィーン・フィルを指揮してブルックナーの第9番を演奏したのは、11月の1-3日と5日という記録がありますが、これは3月のライヴです。まぁ演奏には影響はないことなのですが、ちょっと気になりました。
とにかく1番バッターはABC順ではアバドということになります。
第1楽章は丁寧に演奏されています。アッチェレランドが速くてせわしない印象があり、最初の頂点も肩に力が入り過ぎている感じで、もう少し余裕がほしいところです。第2主題はアバドらしくよく歌う表現で良いと思います。第3主題はウィーン・フィルの木管が美しいですが、その後はやや平坦で、展開部は劇性に欠けるように思います。再び激しいあっチェランドが聴かれますが、その後の第7動機が3回繰り返されるところも、録音のせいか、オーケストラがあまり鳴りません。再現部も含めてアバドとしては抒情的な表現を重視したというところでしょうか。
第2楽章は速めのテンポ、第1楽章とは打って変わって目が覚めるような鮮やかさです。トリオも速めですが、ウィーン・フィルの弦が美しいです。
第3楽章、これが問題だ。私が17小節からのフォルティッシモが無機的な響きに感じられて苦手。45小節から第2主題が始まるとほっとします。その後も優美さだけではなく、意外な力強さデモーニッシュな表現も飛び出し、この演奏が一筋縄ではいかないことを示していますが。最後は抒情的にまとめた演奏でした。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 
ルツェルン祝祭管弦楽団
クラウディオ・アバド(指揮)
2013年8月21-26日(ライヴ)
ルツェルン文化会議センター
【お薦め】
このような聴き比べは、再生装置による影響もさることながら、そのときの精神状態・隊長に左右されるところが大きいです。この演奏を聴いたときは、仕事で疲れ切っていたので、それを前提とした感想になります(疲れているのだから早く休めばよいのに)。
第1楽章第1主題による頂点は、偉丈夫ではなく、どちらかと言えばたおやかなです。そう、しなやかな感じです。第2主題が素晴らしく、とても優しく奏でられます。クラウディオ・アバドは2014年1月に無くなりましたが、このブルックナー第9番の録音が。彼の最後のコンサートの記録であったのを思い出しました。これはアバドの白鳥の歌と言うべき演奏なのでしょう。そのような演奏について、感想を書くのは憚られますが、でも書きます。第3主題も悟りきったような美しさで、絶妙なニュアンスを込めて歌われていき、頂点は抑えられ、慰め、労りの音楽となっています。展開部の怒濤の3回繰り返しも、激しさはなく、柔和な印象です。再現部もしずしずと、切々と語られ、昔日を懐かしむかのような音楽。コーダも倒れそうになりながら不屈の闘志で立ち続けている様を見るかのようです。
第2楽章スケルツォも出だしから好調で、このような曲はアバドの独壇場でしょう。この楽章の軽妙さをよく表現しており、トゥッティも重くならず、切れ味がよく、それでいて厚めの響きを確保しているのが素晴らしいです(やや腰高ではありますが)。トリオもトリオも繊細で優雅で可憐で夢見るような美しさです。
第3楽章アダージョは、ルツェルン祝祭管の弦が美しく、全体の雰囲気は夕映えの音楽のようで、名手達が細心の注意をもって紡ぎ出す音楽が見事です。この楽章の最も美しい演奏のひとつでしょう。どこまでも優しく、暖かい演奏。
どちらかと言えば、マーラー指揮者であったアバドが最後にブルックナーの最後の交響曲を(結果的に)選んだということについて、いろいろ考えさせられた演奏でした。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 
[A. オーレルによる第1次全集版]
NHK交響楽団
朝比奈隆(指揮)
2000年5月25・26日(ライヴ)
NHKホール

朝比奈隆のブルックナー第9番のディスクが何種類発売されているかを教えてくれるサイトがありました。それによると、なんと8種類で、このN響とのライヴは7番目の録音に当たるそうです。8種類もあるのに、この録音だけしか取り上げないのは気が引けますが、この記事に間に合わなかった(努力しなかった)のでお許しください。
第1楽章第1主題は、はNHKホールの音響のせいもあると思いますが、外国のオーケストラに比べると響きは地味ですし、あまり上手じゃなくて悲しくなってしまいます。しかし、質実剛健という言葉が似合う演奏で、第2主題は色彩感が増し、心がこもった歌を聴かせます。第3楽章も同様ですが、メリハリがあり、音楽の骨格がしっかりしている感じ。展開部はテンポをやや速めに取り、音楽に推進力が加わります。この辺りの変化には絶妙なものがあります。例の3回繰り返しも金管の協奏が壮絶です。N響にはもう少し洗練された響きを求めたいと思うところもありますが、無骨なブルックナーという点では似つかわしくもあり、純粋に音楽に浸ることができるとも言えます。
第2楽章は良いテンポで開始、これ以上速くても遅くてもだめで、理想の速度です。N響のアンサンブルの乱れが玉に瑕ですが、小さなことです。スケール感豊かな演奏。トリオも豊かな弦の響きを湛えつつ、哀愁に満ちた音楽を繰り広げます。
第3楽章は、楽曲を慈しんで演奏しているかのようですが、録音(ホール?)のせいで響きが平板でハイ上がりで若干聴きづらい感じがするのと、情報量が少ない感じがするのが惜しまれます。内容は無骨、愚直とも思え、他の演奏のようなスマートさに欠け、洗練されていませんが、そのひたむきさ、一途さが感動を生んでいるようです。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
ザンクトフローリアン・アルトモンテ管弦楽団
レミ・バロー(指揮)
2015年8月21日(ライヴ)
オーストリア,聖フローリアン大聖堂

交響曲第3番では、その遅いテンポが斬新で【お薦め】をつけたバロー指揮の演奏です。今回も標準タイムで57~65分(第3楽章まで)の第9番を、計75分、32:12/14:19/28:30で演奏しています。
第1楽章が始まってすぐはそれほど遅さを感じさせませんが。第7動機に向かってあまり加速しないので、頂点がゆるやかで雄大なものとなります。第8動機の後の第2主題もゆったりとしており、さすがにこれはこんなに遅いテンポで演奏する必要があるのかと思わざるを得ませんが、第3主題は遅さを感じさせず、雄大です。不思議な演奏。展開部はアルプスを思わせ、悠揚迫らぬ、威容を誇る音楽となっています。録音がダイナミックレンジの広いものであったら、さらに迫力を増したでしょう。第7動機で迎える頂点も展開部を構成するひとつのパーツでしかないという感じです。このような演奏は演奏者も大変でしょうが、聴く方も集中力を強いられ、再現部・コーダはなかなか終らないという印象を持ちます。疲れます。
第2楽章も他の演奏の1.5倍くらいの遅いテンポで、弦や木管の細かい音型が容易に聴き取れるのが面白いのですが、この速度がこの楽章にふさわしいかは疑問です。トゥッティも重く引き摺る演奏で、イメージと違います。しかし、そのような既成概念を捨て、この曲はこういうものだと自分に言い聞かせて聴けば、これままさしくブルックナーの音楽です。この楽章の特徴はブルックナーとして異例の速さのトリオですが、さすがにここは僅かに速いくらい。哀愁の表出が際立ちます。
第3楽章は、優しい弦に始まり、途中で金管が雰囲気を少し壊すものの、最初のフォルティシモには品格があります。第2主題は普通より少しというほどで、際立った遅さではありませんが、たっぷりとしたテンポで連綿と歌い継がれていきます。全休符が長い……。この楽章は、レミ・バローとしては特徴に乏しいかもしれません。このようなアプローチは他にもある、というか、オーソドックスに徹しているからです。
演奏が終ってばらくしてから、拍手が起こります。結構長く収録されています。
終演後は品のよい拍手が収められています。
この演奏を聴き通すには覚悟が必要ですね。疲れました。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 
[原典版]
シカゴ交響楽団
ダニエル・バレンボイム(指揮)
1975年5月

バレンボイム最初の全集の1枚。
バレンボイムはブルックナー交響曲全集を3度も録音していますが、最初の全集だからといってこの演奏の価値が低いわけではありません。むしろ、この演奏からはバレンボイムが虚心坦懐に楽曲に接している印象があり、シカゴ響も意欲的な演奏を聴かせます。
第1楽章第1主題の頂点はシカゴ響ならではの圧倒的なもので、Deutsche Grammophonの録音のおかげもあり、次のベルリン・フィルとのものより凄まじいです。第2楽章もシカゴ響の弦を思い切りよく響かせ、続く第3主題ともども溢れんばかりの音の洪水・ドラマを聴かせます。派手と言い換えてもよいですが、管弦楽曲が好きな人には抗し難い魔力があると思います。展開部も夢中になって指揮しているバレンボイムが目に浮かぶようで、その若々しい表現が実に魅力的です。バレンボイムの個性が強めに出ていますが、それが厭味になりません。コーダも壮大です。
そのような演奏ですから、当然第2楽章の出来が良いです。オーケストラの弾きが分厚くなり過ぎず、ブルックナーの指定どおり適度な軽さを持っています、とは言え、シカゴ響の金管はやっぱりパワフル。トリオは語り口が上手く、蝶が舞い蜂が刺すがごとくです。
第3楽章第1主題はポルタメントが少し気になります。ロマンティックな演奏に仕立てようという魂胆が見え隠れします。録音もハイ上がりで高弦がキンキンしており、フォルティシモの金管も喧しく、外面的な演奏に聴こえます。とは言うものの、わかりやすい演奏であるのも事実で、けして嫌いなタイプではありません。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 
 [ノヴァーク版]
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ダニエル・バレンボイム(指揮)
1990年10月(ライヴ)
ベルリン,フィルハーモニー

バレンボイム2度目の全集の1枚。
オーケストラの響きがブルックナーにふさわしく、バレンボイムの指揮も手慣れたもので、第1楽章第1主題は気宇壮大です。第2主題はベルリン・フィルの弦が官能的に美しいです。第3主題も剛柔自在で安定感があります。展開部はやや速めに変わり、頂点は輝かしく、ベルリン・フィルの金管全開ですが、弱音時の叙情性も欠けていません。再現部はやはり美しく、うっとりと聴き惚れるばかりです。コーダも壮麗です。
第2楽章も木管楽器の彩りが美しく、しっかりとしたピッツィカートを聴かせ、その後は重戦車のような響きとなります。切れ味もよく、ベルリン・フィルの表現力は誠に素晴らしいものがあります。トリオもこのオーケストラらしい厚みのある響きと精妙さを併せ持つものです。また、意思の強さを感じさせるバレンボイムの指揮でした。
何度も同じ言葉を使いますが、この演奏は本当に美しく、第3楽章最初の頂点のフォルティシモは分厚い音を聴かせます。第2主題は絹の肌触りを連想させる弦に艶やかな木管、ふっくらとした金管により奏でられます。展開部もバレンボイムはたっぷりと旋律を歌わせ、痒いところに手が届く指揮ぶりで、クライマックスへの息の長い持って行き方。コーダのまとめ方が上手です。
このCDの余白には、テ・デウム ハ長調 ではなく、詩篇第150番 ハ長調 が収められています。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 
[原典版]
シュターツカペレ・ベルリン
ダニエル・バレンボイム(指揮)
2010年6月(ライヴ)
ベルリン,フィルハーモニー

バレンボイム3度目(!)の全集から。オーケストラは1992年から音楽監督の任にあるシュターツカペレ・ベルリンです。
第1楽章冒頭は最弱音に始まり、劇性への傾倒は変わらずで、第7動機による頂点は壮大です。第2主題も連綿と歌われていきますが、不思議とあっさりしています。管楽器のソロが美しい。展開部はいささか性急な感じもあり、頂点はもう少したっぷり演奏してほしいと思います。再現部は弦楽器が美しいのですが、先を急いでいるようで落ち着きません。コーダも録音のせいなのか、意外に盛り上がらないような。
第2楽章はやや速め、バレンボイムがあの手この手を使っており、トゥッティの烈しい響きがこの楽章らしくて良いです。トリオも変化に富んでいて聴き応えがあります。
第3楽章は、美麗な弦に艶やかな木管による演奏で、(他の指揮者もそうだろうけれど)バレンボイムはこの楽章に重点を置いて全体を設計していることがわかります。管・弦のバランスがバッチリで、丁寧に繊細に音を紡いでいきます。速めのテンポを設定している箇所もあり、頂点に向け、メリハリを設けているようです。第1・2楽章の出来が今ひとつなだけに、第3楽章はとても美しい演奏でした。
演奏終了後、間を置いて拍手が入ります。
このライブは映像収録もされており、そちらも観てみたいものです。
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ブルックナー 交響曲第9番 の名盤 BeーDe

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Bruckner - Symphony No. 9, 1st Mov. 1/2, Karajan (1978)

Bruckner - Symphony No. 9, 1st Mov. 2/2, Karajan (1978)

Bruckner - Symphony No. 9, 2nd Mov. Karajan (1978)

Bruckner - Symphony No. 9, 3rd Mov. 1/2, Karajan (1978)

Bruckner - Symphony No. 9, 3rd Mov. 2/2, Karajan (1978)


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 
[ノヴァーク版]
ニューヨーク・フィルハーモニック
レナード・バーンスタイン(指揮)
1969年2月4日
ニューヨーク,フィルハーモニック・ホール

バーンスタインのブルックナーは珍しいですよね。録音(映像も)で残っているのは、ブルックナーの交響曲第9番だけだそうです。後年のウィーン・フィルとの録音はまだしも、ニューヨーク・フィルと録音していたというところがポイントで、それも音楽監督であった最後の年です。
第1楽章冒頭から威容に満ちた音楽で、第7同期による頂点も立派です。第2主題はしんみりとした、切々とした歌が繰り広げられます。ヴァイオリンに対するチェロという構図が興味深く、他では聴けない響きです。その後も緩急の差を大きめに取り、展開部の第7動機の頂点は速めのテンポで意外にあっさりとしており、続く行進曲も速めで割り切りのよさを感じ、刹那的な展開を聴かせます。再現部は提示部同様、対旋律の強調など、響きを楽しむことができますが、コーダにかけて多少荒っぽいところもあります。
第2楽章は、楽曲がオーケストラの日常的レパートリーでないのか、気持ちが少し空回りしているようにも聴こえますが、ルーチンワークとしていないゆえの新鮮さもあります。暴力的なのでブルックナーらしくないのですが、他では聴けない響きや表現もあり、発見も少なくありません。長めの休止から始まる、生き生きとしたトリオ優れた演奏に感じました。
第3楽章冒頭は良い滑り出しです。軋みながら進行する第1主題部はなかなかのものです。第2主題も、この交響曲に聴くことができるブルックナーの進化を改めて確認することができます。バーンスタインがブルックナーの音楽に任せてありのままに語らせているのがよいのでしょう。音が強すぎ、雄渾なので緩徐楽章らしくない面もあるのですが、説得力はあります。バーンスタイン&ニューヨーク・フィルの奏でる音楽は強烈です。それにしても第3楽章は集中して聴くと疲れます。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
レナード・バーンスタイン(指揮)
1990年2月,3月(ライヴ)
ウィーン,ムジークフェラインザール
【お薦め】
ドラマティックで血の気の多いブルックナーです。しかし、それがちっとも嫌ではなく、第1楽章の最初の頂点が力感を込めて演奏するあたり、こうでなくてはと思います。第2主題も超がつくほどロマンティックで、感情が奔流し、これ以上は歌えないというくらい歌いまくりです。第3主題になるとテンポは速まり、標準的な速度となりますが、この変化の加減が好ましく思えます。展開部はさらに勢いを増し、スケール感雄大、壮絶な頂点を築き、ブルックナーを聴いているという実感が味わえますし、それらと対比的な葬送コラールは痛切な音楽となっています。再現部は、大河のようです。バーンスタインの棒に共感してウィーン・フィルが最大の熱意をもって応えているように聴こえます。コーダもエネルギーに充ち満ちた演奏で、最後の一音まで感情がこもっています。
遅めのテンポで始まる重めの第2楽章はトゥッティが重厚で暴力的です。ティンパニの強打と金管の音圧が効いており、嵐の音楽。トリオはそれと対照的に軽妙かつ精妙で、彫琢著しく、バーンスタインの棒の魔力にとらわれます。この楽章の普通の姿からは遠いですが、ここまで徹底的にやられると圧倒されるものがあります。
第3楽章も重く粘り、ロマンティックの極み。フォルティッシモは予想どおり、壮絶な頂点となります。ワーグナーチューバ-によるコラールも荘厳です。第2主題も重く、ねっとりと歌われ、ウィーン・フィルの底光りする弦がとても美しい。小音時の表現には畏怖を感じるほどで、そして頂点は壮絶。こんな濃い演奏を聴かされた後では、他はどれも薄味に思えてしまうのでは。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 
[1894年初稿・ノヴァーク版]
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団
ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)
1995年1月
ライプツィヒ,ゲヴァントハウス
【お薦め】
ブロムシュテットのブルックナーはゲヴァントハウス管を指揮した全集録音(2005~2012年)がありますが、これはそれらに先駆けたDECCAへのセッションです。
第1楽章は、録音が優秀なせいもあり、頂点の迫力に圧倒されます。また、第2主題、第3主題もオーケストラの重厚かつ美しい音色と、旋律をよく歌わせる指揮に魅了されます。展開部では再び第7動機の頂点やその後のクライマックスなど、ゲヴァントハウス感の金管が放つエネルギー感が心地良いです。煩く感じないのは、ブロムシュテットのバランス感覚が優れているからでしょう。抒情面も十分で再現部は聴かせる音楽となっています。
第2楽章も良いテンポで始まり、ピッツィカートが蠱惑的や木管で、トゥッティの響きの分厚さ、ティンパニの強打、頂点から頂点への間のチャーミングさ、その頂点の歯切れの良さと弾力性、トリオの夢見るような美しさ、小気味良さなど、いずれも秀逸です。
第3楽章も恰幅が良く、第17小節のフォルティシモの、なんと立派な響きでしょう。音が小さいときの、ほのかな明るさと愁いにも欠きません。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 
バーデン=バーデン&フライブルクSWR交響楽団
シルヴァン・カンブルラン(指揮)
2005年11月12-13日(ライヴ)
フライブルク,コンツェルトハウス

某誌の「最新盤 名曲名盤500」のベスト10(といっても選者は1人。票が分かれる曲)なので取り上げてみました。
第1楽章は少し遅めに開始、第1主題各動機はやや線の細さを感じますが、彫琢されており、頂点はバランスの良い響きです。第2主題も、もう少し気楽に流せばよいのにと思うほど歌い込まれています。第3主題もが、楽器のバランスに対する気配りは変わりません。録音(音量がかなり小さめ)のせいか、展開部もあまり盛り上がらない感じがします。400小節からの第7動機は、いきなり切々と歌われてどきっとしました。この演奏には時々そのようなことがあります。
第2楽章は、良いと思います。鮮烈な印象を与え、繊細さは申し分ないのですが、響きにもう少し重厚感があったらなお良かったでしょうけれど、これも録音のせいなのでしょう
。オーボエの主題も歌い回しが面白いです。他の演奏では聴けない響きもあり、やはりバランスに注意を払っているのでしょう。この楽章では速めのテンポで生き生きと、かつ精妙に描かれたトリオが素晴らしいです。
第3楽章は、感情のこもったヴァイオリンに始まります。フォルティッシモの頂点もうるさくないですが、迫力不足に感じる人もいるでしょう。それ以降も彫琢された表現が続き、美しくも神秘的な音楽となっています。パステルカラーのような暖かみのある色彩で満たされています。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調 
[1894年ノヴァーク版]
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
リッカルド・シャイー(指揮)
1996年6月
アムステルダム,コンセルトヘボウ

コンセルトヘボウ管とベルリン放送交響楽団を振り分けた、シャイー指揮のブルックナー交響曲全集の1枚、第9番はコンセルトヘボウ管です。
第1楽章、さすがコンセルトヘボウ管、音が美しいです。ただ、この演奏も最初の頂点が腰高な響きなのですよね。オケの分厚さよりも色彩感を重視した録音なのでしょうか。第2主題・第3主題も淀みなく流れますが、よく歌われています。展開部の頂点は鮮烈ではありますが、もう少し根源的な迫力があればなお良かったです。再現部はより雄大に旋律が奏でられ、ここでも弦・管の見事な演奏を聴くことができました。
第2楽章は、繊細かつ豪壮です。リズムのキレもよく、申し分のない演奏で、トリオでは一層その感が強いです。弦がとてもきれいで木管の艶っぽい音色が魅惑的。優秀なオーケストラによる演奏は聴き甲斐があります。
第3楽章もシャイーは細やかな表情づけを行い、オーケストラのバランスは最上に整えられ、美音を振りまきながら音楽は進行していきます。大変立派で見事な演奏なのだけれど、いざ感想を書こうと思っても他に言葉が浮かんできません。楽曲をありのままに味わうにはよいかもしれませんが、淡々とし過ぎていて特徴に乏しいようにも思いました。
なお、カップリングは、J.S.バッハの音楽の捧げものBWV1079から「リチェルカーレ」(ヴェーベルン編)
でした。第3楽章の次にこの曲がふさわしいかは別として、この編曲は割と好きなのです。


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ブルックナー:交響曲第9番ニ短調
ロンドン交響楽団
サー・コリン・デイヴィス(指揮)
2002年2月22,24日
ロンドン,バービカン・センター
【お薦め】
第1楽章は、ゆったりとしたテンポで的確に各動機が提示され、第7動機の頂点も(ダイナミックレンジがもう少し広い録音だとよかったのですが)演奏は申し分ありません。第2主題は優しく愛情を込めて提示され、対向配置が効いており、ヴァイオリンの掛け合いが耳に心地良いです。独奏管楽器が寂しげに演奏されるのが魅惑的。第3主題は少し情熱が増したようです。楽章全体を通して知と情のバランスが取れており、ロンドン響の演奏も万全で、で安心して音楽に浸ることができますが、この時75歳のコリン・デイヴィスの音楽は自然というか、枯淡の境地に達しているように思われます。展開部の頂点(第7動機3回繰り返し)も力づくではなく、自然にこうなったという感じで、最後は秋風が吹いています。再現部は暖かさを取り戻し、ほっとしますが、寂しげな表情に変わりは無く、その雰囲気はコーダまで続きます。
第2楽章は素晴らしい演奏です。プロポーションが完璧。トゥッティになってからの切れの良いリズムも魅力的です。この楽器はこのぐらいの音量で聴こえてほしいという、聴く側の欲求を満たしてくれる演奏です。トリオも見事ですが、オーソドックス一辺倒というわけでもないようです。
第3楽章の冒頭からしばらくは遅めのテンポでロマンティックに歌われ、フォルティッシモの頂点へも自然な感興により導かれます。第2主題も慈愛に満ちており、木管楽器は高原に咲く花のように可憐で、ホルンはアルプスを連想させます。そこまで音楽はどこか枯れた味わいがあったのですが、展開部は意志の強さ、決然たるものを感じさせ、力強い音楽となっており、時にテンポは速く、デイヴィスのうなり声も目立ちます。これはコリン・デイヴィスの白鳥の歌なのかもしれません。音響的には対向配置も功を奏しており、ヴァイオリンが常によく聴こえる録音であるため、新しい発見もあって嬉しいです。

ブルックナー 交響曲第9番 の名盤 DoーJa

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はじめに……。
ブルックナーの交響曲第9番の聴き比べというのは、私には無謀な試みであったようで、少し苦しんでいます。この曲を録音するからには、指揮者もそれなりの覚悟をもって取り組んでいるようで、ハズレの演奏が少ないのですが、演奏による差が大きく出て来ない曲でもあり、その違いについて書くのが難しいです。
あと、曲が長いです。第4楽章が未完成で、第3楽章で終っているのに、1時間もかかります。この曲を1日に何度も聴くのはしんどいです。故宇野巧芳氏も次のようにおっしゃっています。
「(略)その目のつんだ充実度は『第八』以上だが、あれほど気楽に聴けないのが難点といえばいえるだろう。(交響曲の名曲・名盤 講談社現代新書)」
「(略)ブルックナーの交響曲は、全曲が終るともう一度最初から聴き直したい気がするのだが、『第九』だけはだめだ。一度で満腹してしまう。(新版・クラシックの名曲・名盤 講談社現代新書)」
毎日聴いていると頭と心が消耗していくのを感じます。今日、マーラーの交響曲第6番をクルレンツィス指揮ムジカエテルナで聴いたのですが、ホッとしました。乾いた心に音楽が染み込んでくるような感じでした。
そのようなわけで、次回は気分転換に別の曲の記事を書くかもしれません。ブルックナーの交響曲第9番を聴き続けなければならないという義務から逃れたい、そんな心境です。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
クリーヴランド管弦楽団
クリストフ・フォン・ドホナーニ(指揮)
1988年10月
クリーヴランド,マソニック・オーディトリム

まず、クリーヴランド管ならではの精密な演奏に驚きます。第1楽章第1主題の頂点など凄まじいのですが、その前の性急なクレッシェンド&アッチェレランドが機械的なので少し白けてしまいます。しかし、第2主題になると、やはりこのオーケストラは素晴らしいと思いますし、ドホナーニの指揮にも感情がこもっており、楽曲の素晴らしさを私心無く伝えています。その後も、複雑な思いをして聴き続けましたが、演奏はすごいけれど、やはり感動的とは言い難いです。
第2楽章も、合奏力の高さは見事なのですが、機械的で、聴いているうちに飽きてしまいます。しかし、トリオは音楽とオケの美質が結びついて幸福な結果を生んでいました。
第3楽章は、超越的な音楽なので、どの演奏でもそれなりに聴けてしまい、あまり演奏による優劣を感じることはないのですが、演奏が巧いに超したことはなく、クリーヴランド管の演奏は見事の一言に尽きます。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
[ノヴァーク版]
フィルハーモニア管弦楽団
クリストフ・フォン・ドホナーニ(指揮)
2014年8月7日(ライヴ)
ザルツブルク,祝祭大劇場
【お薦め】
ドホナーニのザルツブルク・ライヴです。オーケストラはフィルハーモニア管に変わりました。録音は残響がほとんど無く乾いた響きですが、演奏の雰囲気をよく伝えているもので、悪くはありません。
第1楽章第1主題の頂点へは、クリーブランド管との演奏は機械的で白けてしまったのですが、この演奏ではあまりそれを感じず、自然です。第2主題もさっぱりとした感じですが、感興の赴くままに音楽しており、好感触。第3主題に至るまで、テンポの緩急が実に自然で、前回録音と全然違いますし、ドホナーニの円熟を聴く思いがします。展開部の頂点へも全く自然に流れ、前回はなんだったのかと思います。再現部も流動的ではないのですが、フィルハーモニア管からドイツのオーケストラのような響きを引き出しています。第1楽章全体としては地味な印象がありますが、内容は充実しています。
第2楽章も、まさにドイツの交響曲といった趣で、質実剛健な音楽です。もちろん以前のドホナーニが持っていたオーケストラ・コントロールの手腕は健在ですが、ここではそれよりも音楽の推進力、ブルックナーらしさを重視しているように感じられます。トリオは前回とよく似た表現です。
第3楽章も渋めの音色で始まります。意識して美しく聴かせようという意思がなく、楽譜に書かれていることが全てだと言わんばかりの、虚飾のないもので、その枯淡の境地は前回のコリン・デヴィス盤に共通するものがあります。以下、淡々・滔々と音楽は進んでいきます。
前録音とあまりにも違うドホナーニに驚きましたので、【お薦め】にしたいと思います。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
[原典版]
バーデンバーデン・フライブルク南西ドイツ放送交響楽団
ミヒャエル・ギーレン(指揮)
2013年12月20日(ライヴ)
フライブルク,コンツェルトハウス
【お薦め】
ギーレン指揮のブルックナー交響曲全集は、第2~7番はセッション、第1・(第1稿による)8・9番はライヴ録音となっています。また、録音会場もまちまちで一貫性がなく、最初から全集録音として企画されたものではないのかもしれません。
第1楽章冒頭は、すっきりと分析的に各動機が奏されます。木管楽器がよく聴こえるのが効果的、頂点への盛り上げも自然で、バス・チューバが効いており、厚みと迫力があるものです。第2主題はギーレンが得意とするマーラーの交響曲のように響き、重く粘り気味ですが、よく歌い込まれており、雄大さを感じさます。第3主題も同様。展開部は音楽に勢いが増し、最大のクライマックスはティンパニの強打と金管の咆哮による圧倒的なものです。その後も、ギーレンらしい、楽器のバランスがよく、充実した響きで、提示部の最後には第7動機が悲しく演奏されます。再現部では金管楽器が特徴的で新鮮です。コーダでも木管楽器を目立たせてみたりと、あの手この手の表現意欲に満ちた第1楽章でした。ドホナーニのライヴ盤とはえらい違いです。
楽章間の僅かなざわめきでこの録音がライヴであったということを思い出します。
第2楽章はピッツィカートの音も強く、音量が増すとなかなかの迫力で、低音金管、ティンパニが効果的に用いられています。全体に遅めで重厚な中、オーボエの主題が可憐に感じられます。この楽章のトリオはブルックナーがよくぞこのような音楽を書いたというものなのですが、リズムが重いものの、木管の扱いに長けた、色彩感がある演奏です。
第3楽章は、退廃的な雰囲気を漂わせる旋律と、ティンパニの強打と金管による輝かしい最初の頂点が申し分なく、濃いめの味付けです。その後のコラール風主題も、夕暮れの音楽のよう。第2主題がねっとり歌われるのは第1楽章と同じ。展開部も彫りが深く、幾分難解さが漂うこの曲をわかりやすく、聴き易く演奏しています。
枯淡の境地にある演奏も良いけれど、夏の陽が沈んでいくような、この演奏も聴き応えがあります。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
[ノヴァーク版]
シカゴ交響楽団
カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮)
1976年12月
シカゴ,メディナ・テンプル
【お薦め】
ジュリーニにとってブルックナーは大切なレパートリーであったけれど、全曲は録音していないですよね。第2番、第7番、第8番、第9番の4曲だけだったような気がしますが、他にもあったでしょうか。中でも第9番は(海賊盤も含めて)録音回数の多い曲でした。
第1楽章冒頭は、優秀なシカゴ響の響き、特に金管セクションの鳴りっぷりの良さ、そして頂点は今回聴いてきた中のどれよりも強烈です。第2主題・第3主題は、まるでリヒャルト・シュトラウスを聴いているようで、むせぶような弦の響きであり、木管楽器も艶やかで美しいです。ジュリーニは旋律をよく歌わせるという評価がありますが、それ以上に音楽の流れを大切にしているように思います。この自然な流動感が素晴らしいです。展開部はクライマックスへのもって行き方が巧みで、シカゴ響がまたしても圧倒的な頂点を築きます。しかし、けして野放図ではなく、ジュリーニらしい抑制の効いた演奏となっています。しかし、次の頂点では少しアクセルを踏みます。一本調子ではなく、このような変化を聴かせるのも、ジュリーニの巧さと言えるでしょう。最後までシカゴ響のパワフルな響きが印象的な第1楽章でした。
第2楽章も絶妙と言える演奏です。音の厚みの変化などほれぼれとする出来で、金管に負けず木管楽器も巧いです。これは大変見事な演奏で、まさにブルックナーの音楽です。トリオがこれまた素晴らしい演奏です。このような演奏を聴くと、オーケストラは巧いに超したことはないと改めて思ってしまいます。充実した第2楽章でした。
第3楽章は全体的に遅めのテンポを採用し、息の長い歌を聴かせてくれます。歌い過ぎないのがよいです。この頃のジュリーニの演奏には彫琢という言葉が似合いません。大変洗練されていますが、私には自然な歌に聴こえます。ただ、この楽章になると、時に金管がうるさく感じられることがあり、それが残念とも言えます。そのように作曲されているのかもしれませんし、うちの再生装置にもよるのかもしれません。ただ、その威力、エネルギー管は得難いものです。
どうでもいいことですが、ジュリーニとシカゴ響はこのEMI録音が行われた1976年に、Deutsche Grammophonにもプロコフィエフ、ムソルグスキー、マーラーの録音を行っていて、2つのレーベルと契約していたのです(EMIとの契約が残っていた?)。今では考えられない録音量です。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮)
1988年6月
ウィーン,ムジークフェラインザール
【決定盤】
最初に断っておきますが、この録音は、ブルックナーの交響曲第9番の演奏で、私がベスト・ワンと信じて(思い込んで)いるものです。長い間、それを疑いませんでしたが、それを確かめるのも今回の一連の記事の目的であります。さて、どうでしょう。
第1楽章は、さすがウィーン・フィル、陰影の濃い響きで始まります。ホルンが素晴らしい。弦の絶妙さ、木管の可憐さなど早くも同オケの魅力満開です。そうしてエネルギーを貯め込み、最初の頂点に向けて解き放つパワーの凄まじいこと。これを初めて聴いた時には、ウィーン・フィルでもこのような音が出せるのかと驚きました。第2主題の柔和さ、艶美なことではこの演奏に右に出るものはないでしょう。その表情は寂寥感という一言では言い表せない複雑なもの。第3主題では音楽の雄大さが増しますが、ここでもウィーン・フィルの弦が素晴らしいです。クライマックスは音色にきつさがありますが、それは録音に起因するのかもしれません。展開部も張り詰めた緊張感を一切緩めず音楽が進行し、金管セクションがまばゆいばかりに輝かしいです。メロディは少し引き摺り加減で歌われ、第7動機の3回繰り返しは以前はもう少し凄かったというイメージがありましたが、その後に訪れる真の頂点はやはり凄まじいものがありました。再現部の第2主題の素晴らしさは先に述べたとおりです。語彙に乏しいのでなかなか上手い言葉が思い浮かびませんが、第3主題も見事です。コーダも凄絶な雰囲気が漂っており、ウィーン・フィル全開という感じで圧倒され、打ちのめされます。
第2楽章は、小粋な木管にチャーミングなピッツィカート、全合奏時の音の厚みと迫力など、シカゴ響に比べれば馬力の点で劣り、やや線が細く感じられますが、比較しなければウィーン・フィルがすごい音を出していますし、その響きには抗し難い魅力があります。
トリオはシカゴ響盤も優れた演奏でしたが、ウィーン・フィル盤のほうが感興豊かで、テンポの伸縮も自在、まるでこのオーケストラのために書かれた曲のように感じます。
第3楽章が始まってしばらくはモノトーンの世界を思わせますが、フォルティッシモに至って弦がキラキラ輝き始め、立派な響きで頂点を築きます。その後のコラール風主題もしみじみとした味わいがあります。第2主題も落ち着いており、着実に一歩一歩演奏されていく感じで、ウィーン・フィルの弦は絹の肌触りを思わせる美しさです。展開部は木管楽器が神秘的な雰囲気を醸し出し、弦は高貴な高貴な響きを維持し、金管は威風堂々たる演奏で、フォルティッシモは壮絶です。その後、音楽は安らぎへと向かって収束しますが、ウィーン・フィルの音色がとてもきれいです。
と、褒めちぎってみました。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮)
ウィーン,ムジークフェラインザール
1988年6月11日(ライヴ)

Deutsche Grammophonとのセッションと時期を同じくしたライヴで、Kさんよりご提供いただいたものです。エアチェック音源という話でしたが、あまりにも音の状態が良かったので、問い詰めたところ、海賊盤をコピーしたとのこと。このブログでは原則として海賊盤はご紹介しないのですが、今回はジュリーニ特集(?)ということもあり、聴いてみたいと思います。
第1楽章の表現は、時期が変わらないので、当然ながらDeutsche Grammophon盤にそっくりです。録音は僅かにヒスノイズが目立ち、音の粒子が粗く情報量が不足している感じですが、ウィーン・フィルの美質は再現できています。セッションが細部に至るまで克明に記録しているのに対し、ライヴも同じような傾向であるものの、誇張のない自然な音質であることに好感がもてます。そのようなわけで、このライヴがセッションより優れているという考えは毛頭ないのですが、これだけしか知らなければ、空前絶後の名演と、声を大にして強力に推薦していたでしょう。
第2楽章、第3楽章も聴いてみようと思いましたが、ほとんど同じ内容の演奏を立て続けに聴くエネルギーが無かったので、この海賊盤はここまでにしたいと思います。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
シュトゥットガルト放送交響楽団
カルロ・マリア・ジュリーニ(指揮)
1996年9月20日(ライヴ)
シュトゥットガルト,リーダーハレ
【お薦め】
海賊盤でなくてもジュリーニのライヴが聴けます。第1楽章の各動機は、前述のウィーン・フィル盤よりたっぷりと豊かに提示され、最初の頂点が壮大に築かれます。やや曇った、ベールを被ったような音質なのが惜しまれますが、録音会場の音響特性によるものなのでしょう。第2主題・第3主題も切々と歌われます。一瞬の隙もなく、高い集中力をもって克明に表現しており、息が詰まりそうですが、ジュリーニ節は健在です。展開部の頂点は録音の限界なのかもしれませんが、もう少し音量がほしいところですし、もうひとつの頂点も物足りません。ただ、シュトゥットガルト放送響にはウィーン・フィルほどの音色の魅力はありませんが、再現部の息の長い歌、コーダの哀切を極めた表現など十分健闘していると思います。
ライヴなので楽章間にざわつきがあります。
第2楽章は、テンポが速くなったように思ったので確認してみたところ、前回セッションの10分47秒から今回ライヴは10分44秒ということで、トータルタイムはほとんど変わっていませんでした。豪放さはなく、抑制されたものですが、トゥッティは迫力があり、トリオは妖精の国の音楽のようです。オーケストラに音色の美しさを求めたいところですが、これはこれで骨太で厚みがあり、ドイツのオーケストラらしくてよいかもしれません。
第3楽章は、前セッションの29分46秒に対して今回は25分41秒です。ジュリーニは年齢を重ねるにつれてテンポが遅くなるというイメージがあったのですが、トータルでは速くなっていたのですね。ちなみに第1楽章は前回の28分06秒に対し今回は25分55秒でこれも短くなっていました。確かにこの第3楽章、表情にメリハリが付いているというか、前回よりすっきりして見通しがよくなった感じがしますし、音色もウィーン・フィルのような煌びやかさがない分、外面に注意を奪われることがなく、音楽の内面をしっかり伝えてくれるようです。クライマックスでも金管が喧しく響きません。心にじわじわと染み込んでくる音楽、第3楽章はこちらの方が好きです。
終演後の拍手が収録されています。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
(ベンヤミン=グンナー・コールス校訂)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ニコラウス・アーノンクール(指揮)
2002年8月14,15,17日(ライヴ)
ザルツブルク,祝祭大劇場

レコード芸術誌の「最新盤 名曲名盤500」では、ジュリーニ/ウィーン・フィル盤は第3位なのですが、同じウィーン・フィルを指揮した、このアーノンクール盤はなんと第2位なのですよ! 先入観や偏見を交えず鑑賞したいと思います。
第1楽章冒頭は深みのある響きがよいと思いますが、やや素っ気ない箇所もあります。ウィーン・フィルの弦は相変わらず美しく鮮やかです。第7動機による頂点はなかなか壮麗ですが、ウィーン・フィルゆえか重量感は少なめです。第2楽章は、克明に描かれたジュリーニの後ではすっきりとしていますが、主旋律以外の楽器のデュナーミクは神経質に思えるほど気を使っているのがわかります。第3主題はそれがさらに目立ちます。良くも悪くも予想を裏切る演奏で、先が見えないところが面白いですが、不器用な作曲家、ブルックナーを浮き彫りにしているとも言えます。展開部は剛柔緩急自在な表現を見せ、キリっと引き締まっていますが、その根底にあるのは単純明快さであるように思います。再現部も第2・3主題提示部と同様の表現であり、あの手この手を繰り出してきますが、全体的にはシンプルな音楽づくりというイメージを持ちました。
第2楽章は、打って変わって軽妙な音楽となりますが、やっぱりウィーン・フィルの音色は良いですね。全合奏の迫力、響きの厚み、リズムの刻みも申し分ありませんが、指揮者の感情移入が少なく、さっぱりしています。とはいえ、主部の終わりは荒れ狂う嵐のようですが。トリオは他の演奏よりかなり速いテンポを採用し、フルートなど大忙しです。ウィーン・フィルでなければ魅力が半減したでしょう。この楽章ではアーノンクールの力業が目立ちましたが、ブルックナーとは本来このような音楽であるのかもしれません。
第3楽章は、わざと歌わないように演奏しているようにも聴こえますし、無機的に聴こえることもあります。アーノンクールはブルックナーの書いた音符を余すところなく表出しているように力を割いているように思えます。とはいえ、機械的な演奏ではなく、曲想に合わせてテンポをきめ細かく変えたり、曲中何度か訪れるフォルティッシモは剛毅にと、いろいろ変化をついているのですが、最後まで集中力を維持して聴くのが難しかったです。
「名曲名盤500」の第2位だからといって、これを最初の1枚に選ぶのはいかがなものかと思いました。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
[1894年稿(ノヴァーク版)]
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ベルナルト・ハイティンク(指揮)
1965年12月
アムステルダム,コンセルトヘボウ

すみません。ハイティンク/コンセルトヘボウ管の旧録音と新録音を間違えていました。次の新録音と少しだけ聴き比べてみましたが、新録音のほうが洗練されており、理想的な名演に仕上がっているように思われます。ハイティンク/コンセルトヘボウ管の組み合わせでは、次の新録音がお薦めです。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
[1894年稿(ノヴァーク版)]
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ベルナルト・ハイティンク(指揮)
1981年11月11・12日
アムステルダム,コンセルトヘボウ
【決定盤】
第1楽章冒頭は、ゆとりのあるテンポが深い呼吸を感じさせ、早くも名演の予感がします。第1主題の提示部だけで、これは凄い演奏だと全身を耳にして聴き入らずにはいられません。第2主題は、この演奏よりも念入りに歌い込んでいるCDがありますが、この程度がちょうど良く、ブルックナーらしさを感じさせます。第3主題も同じで、首尾一貫してゆったりとしたテンポが維持されているのは好感がもてます。オーケストラの音色もほの暗く重みがあり、ブルックナーの交響曲にマッチしています。ハイティンクは、こんなにも素晴らしいブルックナーを演奏ができる指揮者だったのですね。展開部になっても悠揚迫らぬ音楽づくりに変わりは無く、頂点は圧倒的な迫力をもって築かれますが、最も音量が大きな箇所でもオーケストラのバランスが崩れず、抑制が効いているのが素晴らしいです。また、ことさら悲劇性を強調せず、自然体を崩さないところが良いです。この楽章の最後の、音の威力の凄いこと。
第2楽章は、一転して軽やかな響きとなり、さらに一転して暴力的な響き。その変わり身の早さ。何から何まで感心させられます。典雅な音楽と粗野な音楽の対比が絶妙。トリオではさらに雰囲気を変え、洗練された美しい音楽を聴かせます。このような演奏を聴いているとワクワクしてきます。
第3楽章も、甘くとろけるような出だしの演奏が多い中、この演奏はさっぱりしていますが、それが良いのです。最初の頂点も録音のダイナミックレンジが狭い感じがしますが、立派な響きで、私にはこれで十分です。この演奏より精度の高い演奏もありますが、聴く側にも集中力を求めているようで、ただでさえ長大なこの楽章につらさを覚えるときがあります。しかし、この演奏は心安らかに聴くことができました。ラストもそっけないですが、ちょうどいい塩梅です。
ハイティンクの音楽性と、ブルックナーの交響曲第9番が見事に調和した名演という感想をもちました。「お薦め」以上なので、私的には「決定盤」です。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
[ノヴァーク版]
ロンドン交響楽団
ベルナルド・ハイティンク(指揮)
2013年2月17&21日(ライヴ)
ロンドン,バービカン・センター

ハイティンク83歳時の録音です。
第1楽章は、前回より彫りが深くなった印象がありますが、聴く者の心にストレートに訴えかけてくる前回録音のほうが説得力があったように思われます。基本的にハイティンクは変わっていないのかもしれません。今回の演奏は前回と非常によく似ているからです。よく似ているけれど、前回はすごく惹き付けられるものがあったのに、なぜか今回はそれほどとは思えません。不思議なものです。ハイティンクが枯れすぎてしまったのでしょうか。それとも、オーケストラの違いによるものなのか、私の体調(ちょっと疲れています)によるものなのか。
第2楽章も、立派な演奏ではあるけれど、ワクワクするものが不足しているように思います。ロンドン響はハイティンクの棒によく従っており、丁寧な演奏なのですが、肝心のハイティンクから脂気が抜けてしまっていて、老人の頑固さが目立つ演奏になっているようです。どちからと言えばトリオのほうが生気が感じられます。
第3楽章は、ロンドン響が素晴らしい演奏を聴かせてくれるのですが、表面的な美しさに留まっているようにも思われます。この演奏に心を動かされないなんて、やはり体調がよくないのかな。聴きようによっては枯淡の境地とも受け取れる演奏ですが、今回は曲の長さにへこたれてしまいました。ごめんなさい。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
[ノヴァーク版]
フランクフルト放送交響楽団
エリアフ・インバル(指揮)
1986年9月,1987年10月
フランクフルト,アルテ・オーパー

以前にも書いたかもしれませんが、インバル/フランクフルト放送響によるマーラーやブルックナーの演奏を愛聴しています。
第1楽章冒頭は、いかにもこれからブルックナーが始まるという雰囲気の出だし。最初の頂点へ登り詰めていく過程は、もう少し遅いほうが好みですが、堂々たるものです。第2楽章も音を細かく紡いでいくようなきめ細かいものです。第3主題はやや速めのテンポで流動感があります。展開部は、やはり第7動機の頂点が圧倒的です。フランクフルト放送響は弦と管のバランスが良く、響きが気持ちよいです。再現部も音楽が淀みなく流れていきます。コーダも申し分がありません。
第2楽章はリズムが小気味よく、聴き入ってしまいました。金管楽器の音量が常に適切なところに感心しますが、オフマイク気味の録音なので、ここ一番の迫力に欠けるかもしれません。トリオは繊細な演奏で気に入りました。
第3楽章もそうなのですが、この演奏は全体を通じて指揮者の強い個性を感じず、解釈もオーソドックスそのものなのですが、それがブルックナーの交響曲にプラスに働いていて、しっかりと音楽に浸ることができました。
なお、このCDのセールス・ポイントのひとつは、第4楽章補筆版(サマーレ=マッツーカによる1984年ドラフト版)ということです。これについては自分の耳で判断していただくしかないのですが、この第4楽章、私は興味深く聴くことができました。補筆版とはいえ、ここに聴く音楽はまさしくブルックナーのもの。いや、私の頭が既に交響曲第9番で飽和状態となっており、他の音楽に飢えているということもあるのでしょう。


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ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調
[ノヴァーク版]
スイス・ロマンド管弦楽団
マレク・ヤノフスキ(指揮)
2007年5月
ジュネーヴ,ヴィクトリア・ホール

ワーグナーを得意とする指揮者はブルックナーも優れているそうですが、ヤノフスキ指揮の第3番は良い演奏であったと記憶しています。
第1楽章冒頭は、各動機を変化をつけながら音楽が進んでいくのですが、最初の頂点に向かっては少し急ぎすぎです。第2主題は旋律をよく歌わせ、なかなか雄大に演奏されます。ロマンド管の弦も美しく、木管も素朴な味わいがあります。第3主題も雄渾であり、展開部はドラマティックなのですが、強音となるときに抑制がかかったりして、いささか中途半端な印象をもちます。これは展開部最後のフォルティッシモを強調するための演出かもしれません。再現部も速めのテンポでわかりやすい演奏ではあります。コーダはやはりドラマティックでした。
第2楽章は押し出しのよい演奏です。金管が引っ込んでも響きが痩せませんし、速度が理想的、色彩感も十分です。この楽章もそうなのですが、ヤノフスキは木管楽器の扱いが上手です。それゆえトリオは一層見事な演奏となります。良い演奏でした。
第3楽章は、全体的には繊細な表現が中心で、ゆったりとしたテンポで旋律をたっぷり歌わせており、詩情が漂っています。最後までその調子で進めてもらえれば、それで十分だったのですが、少し急ぎ足になったり緩めたり、伴奏音型を強調したりと、変化を付けながら、この長大な楽章を器用にまとめている感じがします。

ユジャ・ワン&ゲルギエフ/ミュンヘン・フィル

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土曜日、日曜日は、コンサートに出かけました。

1928年にミュンヘン市のオーケストラとなった「ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団」の演奏会です。その前身である「カイム管弦楽団」は1893年に創立されたので、今年は125周年の記念の年に当たるのだそうです。

ミュンヘン・フィルの指揮者というと、1967年から1976年まで首席指揮者であったルドルフ・ケンペの時代が懐かしく思い出されます(といっても録音で知ったのです)が、1979年から1996年まで首席指揮者だったセルジュ・チェリビダッケのライヴが大量に発売されましたので、多くの人はそちらの印象が強いかもしれません。

チェリビダッケ以後は、1999年から2004年までジェームズ・レヴァイン、2004年から2011年までクリスティアン・ティーレマン、2012年から2014年までロリン・マゼールが首席指揮者を務め、2015年からはワレリー・ゲルギエフとなっています。

ミュンヘン・フィルが得意とするレパートリーは、マーラーやブルックナー、ワーグナー、R. シュトラウスであり、中でもブルックナーは、交響曲第9番原典版の初演者ジークムント・フォン・ハウゼッガーをはじめ歴代首席指揮者それぞれが得意とし、数々の録音を残しているのだそうです(Wikipediaによる)。今回も12月2日のメインは、ブルックナーの第9番でした。

とはいえ、私の目的は、ミュンヘン・フィルでもゲルギエフでもなく、ユジャ・ワンのピアノを聴くことです。2011年3月5日に紀尾井ホールでユジャ・ワンのリサイタルを聴いたときからの追っかけでございます。

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ワレリー・ゲルギエフ(指揮)
ユジャ・ワン(ピアノ)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

2018年12月1日(土) 18:00 開演
サントリー・ホール

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 Op.83
[ピアノ・アンコール]
 メンデルスゾーン:無言歌集 Op.67-2 嬰ヘ短調
 ビゼー(ホロヴィッツ編):カルメンの主題による変奏曲 第2幕「ジプシーの歌」
マーラー:交響曲第1番 ニ長調「巨人」

ブラームスは、冒頭の深々としたホルンの音色に魅了されます。「最も難しいピアノ曲の一つ」「ラフマニノフの第3番と並ぶピアノ協奏曲の難曲」と呼ばれる協奏曲を、ユジャ・ワンはものともせず、力でねじ伏せているようです。ちっとも難しく感じられません。この協奏曲には名盤が多く、巨匠達の至芸に比べると、ユジャ・ワンのピアノはストレート、スマート過ぎるようにも思いましたが、巧いことは巧いです。ミュンヘン・フィルの弦は青白い光を発しているように美しく、ブラームスにぴったりのサウンドを聴かせてくれ、このオーケストラでブラームスの交響曲を聴きたいと思いました。
聴衆の熱狂的な拍手に応え、ピアノ・アンコールは、メンデルスゾーンの「無言歌」、そしてビゼーの「ジプシーの歌」でした。ブラームス、メンデルスゾーンの後でのビゼーは、一貫性がないようにも思いましたが、お客さんを満足させるためのサービスといったところでしょうか。

20分間の休憩の後は、本日のメインであるマーラーの「巨人」でしたが、よく言えばオーソドックスな演奏といったところでしょうか。ゲルギエフであれば、もっと個性的な指揮ができたであろうにと思いましたが、演奏の多くをミュンヘン・フィルの伝統に委ねたのかも。

終演後は、今日、明日のために上京されたNさんと会食しました。Nさんにお会いするのは約1年ぶりです。お元気そうでした。

2018年12月2日(日) 14:00 開演 
サントリー・ホール

プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 Op.26
[ピアノ・アンコール]
 プロコフィエフ:トッカータ ニ短調 Op.11
 モーツァルト(ヴォロドス、サイ、ユジャ・ワン編):トルコ行進曲
ブルックナー:交響曲第9番 ニ短調(ノーヴァク版)

夕べは帰宅してから夜遅くまで留守録した番組を観ていたため、寝坊しました。コンサートに遅刻するかと思いましたが、なんとか間に合いました。焦りました。

実は、今回私が一番楽しみにしていたのは、プロコフィエフの第3番なのです。ユジャ・ワンのプロコフィエフは、CDでドゥダメル/シモン・ボリバル響(2013年2月)、第3番はクラウディオ・アバド/ルツェルン祝祭管(2009年8月)との映像作品が発売されており、実演に接したいという願いがかないました。

プロコフィエフはゲルギエフお得意のレパートリーで、ピアノ協奏曲第3番もアレクサンドル・トラーゼやデニス・マツーエフと録音を重ねています。期待していました。

演奏には大満足でした。ゲルギエフはミュンヘン・フィルからプロコフィエフの響きをよく引き出していましたし、ユジャ・ワンのピアノは打鍵が鋭く、そして力強く、終始圧倒され続けました。アンコールは予想したとおり、プロコフィエフの「トッカータ」で、これはユジャ・ワンの十八番のひとつであり、快速テンポの演奏。久しぶりにこれが聴けて嬉しかったです。2曲目のアンコールは、これもユジャ・ワンがよく弾く「トルコ行進曲」ですが、聴き慣れているヴォロドス編曲に加え、今回はサイと自身のアレンジが加わり、新鮮でした。まさか、この曲を弾くとは予想していなかったのでしょう、一部のお客さんから笑い声が上がりました。

休憩20分間の休憩を挟んで、本日のメインであるブルックナーの第9番が演奏されました。印象は日ごとに色褪せ、今となっては事細かに思い出せないのですが、良い意味で過不足のない、堂々たるブルックナーの名演でした。昨夜の「巨人」同様、ゲルギエフの個性はあまり感じられず、ミュンヘン・フィルが持つブルックナー演奏の伝統を最大限に活かした、そのような演奏でした。最後の音が鳴り止んでもゲルギエフはじっと動かず、お客さんは拍手とブラボーを我慢し続ける、そんな静寂のひとときがありました。

ベートーヴェン チェロソナタ 第3番 の名盤

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ブルックナーの交響曲第9番の記事を3回ほど書いたのですが、あの交響曲を毎日毎日聴き続けていると、どこかへ連れて行かれてしまいそうな気分になってきます。そんな危うい状態になり始めましたので、気分転換を図ろうと考えました。管弦楽曲が続きましたので室内楽曲とし、原点に立ち返ってベートーヴェンを選びたいと思います。名曲です。

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
チェロソナタ 第3番 イ長調 作品69
第1楽章 Allegro ma non tanto
第2楽章 Scherzo.Allegro molto
第3楽章 Adagio cantabile - Allegro vivace

Beethoven - Cello Sonata No. 3 in A major, Op. 69
(Paul Tortelier & Eric Heidsieck)
(冒頭にCMが入りますが、演奏が素晴らしい。)


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パブロ・カザルス(チェロ)
オットー・シュルホフ(ピアノ)
1930年

20世紀最大のチェリストと言われるカザルス54歳の時の録音です。
88年前の録音ですが、意外なくらいチェロもピアノもきれいに録れています。テンポの伸縮が大きく、ベートーヴェンの音楽を慈しみつつ、自由にのびのびと弾いているようですが、いったんその音楽に呑み込まれてしまうと、離れられなくなります。冒頭のチェロからして他の演奏とは一線を画しています。あえて【お薦め】にはしませんが、一度は聴いておきたい演奏です。


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パブロ・カザルス(チェロ)
ルドルフ・ゼルキン(ピアノ)
1953年

カザルス77歳の録音です。
カザルスの名声に期待して、音色の美しさとか冴え渡る技巧を求めると裏切られます。表面より内面、この演奏からは、聴けば聴くほど深いものを感じます。一言で表すなら、それは「愛」ででしょうか。包容力のある音楽です。ゼルキンのピアノもチェロにぴったりと寄り添い、カザルスの音楽に同化しています。これは【お薦め】というレベルを超えた演奏なので、あえて無印とさせていただきます。


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ピエール・フルニエ(チェロ)
フリードリヒ・グルダ(ピアノ)
1959年6月23-28日
ウィーン,ブラームスザール
【決定盤】
これは私が初めて購入したベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番のCDで、私の中でずっと長い間、決定盤であったものです。フルニエのチェロが低音から高音まで気品のある美しさを聴かせます。晴朗という言葉が似合う、伸びやかな歌が素晴らしく、スケール感も十分で、理想的なこの曲の再現です。この録音時29歳のグルダも素晴らしいです。フルニエに敬意を示しつつも、しっかり自己主張すべき箇所は雄弁で、ベートーヴェンにふさわしいピアノ。グルダのピアノが強すぎることもありますが、そこは録音がしっかりフォローし、フルニエのチェロが聴こえなくなることはありません。1959年の録音とは思えない優秀録音です。いつまでも聴き続けたいと思う名盤。


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ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)
スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
1961年7月
ロンドン
【お薦め】
ベートーヴェンのチェロ・ソナタの名盤中の名盤であり続けている録音。
逞しさを感じさせるロストロポーヴィチのチェロは、適度な重さのありリヒテルのピアノ同様、ベートーヴェンにふさわしいもので、重厚感があります。フルニエに比べてロストロポーヴィチの音色があまり美しくないという理由で敬遠していたのですが、抜群の安定感と迫力、そのスケールの大きさで有無を言わさず納得させられてしまいました。二人とも圧倒的なテクニックの持ち主なのですが、楽曲の表面上の美しさよりも内面を深く抉ろうとしているようであり、気持ち速めのテンポでぐいぐい音楽を推進していきます。


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ピエール・フルニエ(チェロ)
ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)
1965年2月(ライヴ)
パリ,サル・プレイエル
【お薦め】
フルニエ&グルダ盤で十分満足していたため、こちらの演奏は軽んじていました。フルニエにしてみれば、グルダよりケンプのほうが気心が知れた仲間で演り易いのかもしれません。名曲名盤の類では、グルダ盤よりケンプ盤のほうが上位でしたが、最近は逆転しているようです。フルニエのチェロは全く変わっておらず、相変わらずの美しいチェロです。ケンプのピアノも出しゃばりすぎることがなく、常にフルニエを立てている感じで、抑制が効いています。立派なピアノですが、グルダのような派手さがない分、地味に聴こえます、が、そこが良いのかもしれません。
録音はライヴゆえか、間接音が少し多く、フルニエ&グルダ盤のほうがフルニエのチェロを細部まで聴き取ることができますが、こちらも悪くはありません。
今回の聴き比べでは、フルニエ&グルダ盤のほうが感銘度が上と感じましたので、【お薦め】としますが、こちらを好ましく思う人も多いでしょう。
1966年度レコード・アカデミー賞受賞。


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ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ)
スティーヴン・コヴァセヴィチ(ピアノ)
1965年

天才女流チェリストとしてのデュ・プレの活動期間は、1961年から73年までのわずか12年間であったわけですが、その間に多くの録音が残されているのはありがたいことです。しかし、ベートーヴェンのソナタに関してはあまり評価が得られないのではなぜでしょう。これは、デュ・プレ、20歳の録音です。
出だしは、丁寧だけれど控えで朴訥なチェロに美音の(ビショップ)コヴァセヴィチ(35歳)のピアノ。チェロが小さく畏まって本領を発揮していないようにも聴こえ、余裕のあるピアノがそれを励ましているように聴こえます。ピアノ主導型の第1楽章でした。
第2楽章は情熱的なチェロですが、モノラルっぽい録音のせいか、気持ちが空回りしているように聴こえます。ピアノは相変わらず元気で立派す。
第3楽章のアダージョ部はチェロのデリケートな表情、繊細な表現に耳を奪われます。アレグロになってからは本来のデュ・プレらしさを取り戻しつつあるようですが、時既に遅し。コヴァセヴィチのピアノは最後まで見事なもので、これはコヴァセヴィチを聴くべき録音かもしれません。


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ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ)
ダニエル・バレンボイム(ピアノ)
1970年8月25・26日(ライヴ)
エディンバラ,アッシャー・ホール
【お薦め】
エディンバラ国際音楽祭のライヴ、ピアノは当時の夫君であったバレンボイムです。
チェロは自信に溢れ、5年前の録音とは別人のような雄渾さを聴かせます。豊かな低音を響かせ、バレンボイムの好サポートもあり、スケールが大きく、伸びやかで情熱的なチェロです。あくまで主役はチェロと言わんばかりのチェロで、彼女に期待するものをこの録音ではきちんと聴き取ることができて嬉しいです。
第2楽章も迫力は十分で、力いっぱいチェロを歌わせているのが素晴らしいく、ここまで奔放な演奏も珍しいでしょう。
第3楽章アダージョの繊細さは前回録音と同じですが、前回はか細かったのに対し、太い音色でたっぷりと歌っています。アレグロも雄弁なチェロです。


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ミクローシュ・ペレーニ(チェロ)
デジェー・ラーンキ(ピアノ)
1978・1979年
【お薦め】
ピアノのデジェー・ラーンキという名前には懐かしさを覚えます。コチシュやシフと同じハンガリーのピアニストですが、今でも来日してリサイタルを行っているのですね。私が知らないだけでした。この演奏は、ラーンキの生きの良い(元気が良い、たまにうるさい)、技巧が光るピアノが印象的です。同じハンガリーのチェロ奏者であるペレーニとの息もぴったりで、これはなかなか聴かせる演奏です。順序が逆になってしまいましたが、ペレーニのチェロはとても表情が豊かで、よく歌い、愛おしさを感じさせる、人間味あるものです。


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ヨーヨー・マ(チェロ)
エマニュエル・アックス(ピアノ)
1985年8月2,28日
マサチューセッツ州ウェルズリー,ウェルズリー大学礼拝堂
【お薦め】
私が言うまでもなくヨーヨー・マは巧いです。こんなに巧いチェリストはいないでしょう。低音から高音まで音色が非常に美しく豊かで、繊細かつ強靭で、自分の身体の一部のように楽器を操っています。歌心にも長けており、どの部分を取り出してもそつが無く、全てのチェリストのお手本となる名演でしょう。ただ、ベートーヴェンの音楽に、時には汚い音を出してもいいから猛々しい表情を聴きたいという人には向かないかもしれません。アックスは、チェロと対等で雄弁かつ美しいピアノを聴かせますが、ヨーヨー・マのチェロに耳を傾けていると、煩いと思う時があります。


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アンナー・ビルスマ(チェロ)
マルコム・ビルソン(フォルテピアノ)
1989年10月
ユトレヒト,アウド・カトリーク・ケルク(旧カトリック教会)
【準お薦め】
この録音で使用されている楽器、ビルスマのチェロは、マッティオ・ゴフリラー(ヴェニス、1690年頃製作。カザルスの愛器もゴフリラーでしたっけ)で、弓はW. バウマン(ハーグ、1977年製作)なのだそうです。ビルソンのフォルテピアノは、アロイス・グラーフ(ウィーン、1825年製作 エドウィン・ポインクとヨハン・ヴェニンクにより1989年補修)だそうで、ピッチは、A-430Hzです。ちなみに、この曲が作られたのは、1808年です。
まず、ビルスマが奏でるチェロの、逞しさに心惹かれます。低音にも量感があり、とてもよく響く楽器です。表情も豊かで彫が深く、時に激しさも聴かせ、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ第3番にふさわしい、スケール感のあるチェロです。
一方、ビルソンのフォルテピアノは、まさに「洋琴」というイメージで、現代のピアノに慣れた耳には違和感があります。ただ、チェロとの音量バランスはよく、チェロがフォルテピアノの音にかき消されることがないのはありがたいです。慣れてくると、このようなピアノも良いものですよ。それにしても、ベートーヴェンの時代には、本当にこのような楽器で演奏されていたのでしょうか。チェロが現代の楽器に近い音色なので、不思議な感じがします。
とにかくビルスマのチェロが素晴らしく、一聴をお薦めしたいCDです。


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ミッシャ・マイスキー(チェロ)
マルタ・アルゲリッチ(ピアノ)
1992年11月、12月
オランダ,ナイメーヘン

マイスキーは内省的で美しいチェロを聴かせていますが、終始アルゲリッチのピアノに推され気味です。マイスキーの女性的なチェロに対し、アルゲリッチは容赦がないという感じ。録音もアルゲリッチのピアノにフォーカスを当てているようで、可哀想なマイスキーのチェロは添え物のようになってしまっています。この演奏、私はアルゲリッチの貴重なベートーヴェンを楽しむものと割り切って聴いています。


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クレメンス・ハーゲン(チェロ)
パウル・グルダ(ピアノ)
1995・96年

私の好きなハーゲン四重奏団を支える末弟クレメンスと、フリードリヒ・グルダの息子であるパウルによる録音です。
クレメンスのチェロは渋めで、他のソリストに比べるとスケールの小ささ(全般的に音が小さめ)や、線の細さを感じさせることがありますが、繊細な表情が好ましく、速めのテンポで小気味良く流していきます。パウルのピアノは父親譲りの奔放さがあり、協演者への配慮が足りず、もう少し小さめに弾いてほしいと思うときが多々ありますが、聴き映えはしますね。好演ではありますが、チェロ伴奏付きのピアノ・ソナタみたいで残念です。


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アンナー・ビルスマ(チェロ)
ジョス・ファン・インマゼール(フォルテピアノ)
1998年6月
オランダ
【お薦め】
ビルスマの、前回から10年後の録音です。フォルテピアノはインマゼールに変わりました。
ビルスマのチェロは、前回は逞しい音色と書きましたが、今回は高音寄りの音に聴こえ、少し腰高な感じがします。感情移入も前回は烈しいものがありましたが、今回のほうが伸びやかで自由な印象です。さらっと流している箇所が多いようにも聴こえますが、バランスを考えてのことでしょう。
旧録音のビルソンのフォルテピアノに比べると、インマゼールのそれは現代ピアノに近い音色であり、チェロとのバランスが良いです。いずれにせよ、フォルテピアノだと、チェロが主役っぽく聴こえますね。
このコンビで聴くと、第2楽章が古風で優雅、時に激しく、変化に富んだ音楽となります。
第3楽章アダージョの素朴な味わい、アレグロからの両楽器の織り成す音楽が楽しく、ベートーヴェンを満喫することができました。


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ミクローシュ・ペレーニ(チェロ)
アンドラーシュ・シフ(ピアノ)
2001年12月、2002年8月
ノイマルクト
【お薦め】
前回はラーンキでしたが、今回も同郷のシフがピアノを務めます。
比較的残響が多めの録音で、前回のほうがペレーニのチェロは細かいところまでよく聴き取ることができましたが、シフのピアノも含めて美しさではこちらに軍配が上がるかもしれません。速いテンポですいすい進んでいきますが、音楽が薄味にならないところが立派です。シフはベートーヴェンを得意とするピアニストですので、ピアノの見事さという点で、これは指折りの演奏でしょう。どうしてもシフのピアノに耳が傾いてしまうのは仕方が無いところですが、いや、ペレーニのチェロも素晴らしいのです。音量がピアノに負けているとはいえ、品がある美しいチェロで、細やかな表情が素晴らしく、これは名盤でしょう。


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アンヌ・ガスティネル(チェロ)
フランソワ=フレデリック・ギィ(ピアノ)
2004年7月
【お薦め】
素晴らしい演奏。チェロがチェロらしい音色で鳴っており、低域の締まった響きが魅力的ですが、高域までバランスの取れたものです。チェロとピアノの録音上のバランスも上々で、チェロの音をよく捉えた優秀な録音が嬉しいです。ガスティネルもただ丁寧に弾いているだけではなく、たまに見せるちょっとした表情づけが小粋ですし、線の細さを感じさせない野太い音がベートーヴェンにふさわしいと感じます。これでギィのピアノに細やかな配慮(チェロを立ててほしい、ピアノがうるさい、ガスティネルに比べるとギィは格下に思える)があったら言うことなしなのですが、両楽器が対等の立場に書かれている音楽ですから、これは仕方が無いところでしょう。
第2楽章も良いです。チェロには十分な迫力があり、奔放になりすぎない程度の抑制が効いています。この楽章もギィのピアノに歯切れのよさや珠を転がすような粒立ちのよい音色を求めたいところです。
第3楽章アダージョの豊かな歌が好ましく、アレグロに移ってからも最後まで耳を離せない見事な演奏で、チェロだけならば、フルニエ&グルダ盤以来の名演と言いたいぐらいです。


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ジャン=ギアン・ケラス(チェロ)
アレクサンドル・メルニコフ(ピアノ)
2013年10月、12月
ベルリン,テルデックス・スタジオ
【お薦め】
ハルモニア・ムンディの看板チェリストであるケラスと同じく看板ピアニストであるメルニコフ(イザベル・ファウストの伴奏者でもあります)による演奏です。
ケラスが演奏している楽器は、1696年ジョフレド・カッパ製だそうですが、量感のある引き締まった低音から太めの高音まで、ケラスは多彩な音色を駆使し、この楽器から滑らかで肌触りの良い音を引き出しています。メルニコフのピアノも美しく、情感豊かで薫り高い演奏であり、ケラスのチェロとともに、ベートーヴェン中期の代表作のひとつであるこの曲を、それらしく聴かせてくれます。
時には汚い音になるのを厭わずに激しいドラマを構築してくれたらという思いがないでもありませんが、この充実した演奏に、これ以上、何を求めるのかという感じもありますので、【お薦め】にしたいと思います。


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ゴーティエ・カプソン(チェロ)
フランク・ブラレイ(ピアノ)
2016年3月
ドイツ,エルマウ城

今や人気のカプソン兄弟は、ヴァイオリンのルノーが兄で、チェロのゴーティエが弟です。どうでもいいことですが、私はゴーティエンのサインを持っています(ユジャ・ワンのついでにもらいました)。
深々としたカプソンのチェロによる開始と共にこの演奏に惹きつけられます。録音はチェロに
ピントが合っており、カプソンの表情豊かなチェロを堪能できるのがありがたいです。それに比べるとピアノはソフト・フォーカスで、あくまでチェロが主役という録音コンセプトのようです。ブラレイのピアノをもう少し明瞭に聴き取りたいところではありますね。
第1楽章と第3楽章が良かったので、先のケラス&メルニコフ盤同様、これを【お薦め】にしないで、何をお薦めにするのかとも思いましたが、第2楽章が引き摺り気味で重たい感じがするのと、聴き終えてみると全体的に平板であったような気もしないではないので無印とさせてください。
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