かかりつけのお医者さんは、私の健康診断の結果よりも、うちのスピーカーの音響特性が気になるようで、「スマホのアプリでよいから周波数特性を測って持参してください」と何度も言う。エアコンのノイズが入らないよう、土曜日の朝を選んで3種類のアプリを用いて(初めて)計測し、お医者さんに見せてあげた。見事にフラットなグラフで、「耳だけでここまで追い込んだのですか?」と驚いたご様子。しかし、ラクダの瘤のように10kHzあたりが持ち上がっている。「スピーカーのアッテネーターで調整してください、それでも足りないときはアンプのトーンコントロールで、えーっと、アンプはアキュフェーズでしたっけね、トーンコントロールはどうなっていますか?」と聞かれ 「トレブルとバスがありますが、使っていないので分りません」と答える。「熟練の技ですねぇ」と何度も褒められて悪い気はしなかったのだけれど、家に帰ってもオーディオの電源を入れる気がしない。猛暑だから……。それにしても、私は何のためにお医者さんに通い、診察料を支払っているのだろうか。
さて、マーラーの「復活」の8週目ですが、最終回となりました。このシリーズも長かったですね。このペースだと、1年に6曲ぐらいしか取上げられないので、今後は音源選びを徹底したいと思います。隠れ名盤を探し出すという楽しみは減りますが。
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
イザベル・バイラクダリアン(ソプラノ)
ロレイン・ハント・リーバーソン(メゾ・ソプラノ)
サンフランシスコ交響楽団&合唱団
ヴァンス・ジョージ(合唱指揮)
マイケル・ティルソン・トーマス(指揮)
2004年6月(ライヴ)
サンフランシスコ,デイヴィス・シンフォニー・ホール
【お薦め】
だいぶ前のことになりますが、マイケル・ティルソン・トーマス(以下、MTT)とサンフランシスコ交響楽団(以下、SFS)によるマーラー交響曲全集について書いたことがあります。好きな指揮者とオーケストラですから、おそらく絶賛したであろうと思いますが、あの全集の欠点は、録音の音量が低いことです。移動時間中にウォークマンで下聴きをするのですが、ボリュームを最大にしないと小さな音が聴こえません。自宅でもう一度聴いてみたら、全然印象が異なりました。大人しい演奏に聴こえていたのに、迫力が全然違います。実演で第5番を聴いたときのことを思い出しました。
第1楽章第1主題は生気に満ちた表現であり、かつ美しい演奏です。楽器のバランスは最上に保たれ、旋律は丁寧に豊かに歌われます。ここ一番のときの打楽器の強打、金管の咆哮など、迫力も十分。なお、ヴァイオリン対向配置でコントラバスは向かって左から聴こえます。
展開部第1部の第2主題もよく考え抜かれた表現で、非常に洗練されたものです。第1主題の展開も勢いがあり、速度の設定も申し分ありません。
第2部もその勢いで進行します。第1主題の動機の鋭さ、クライマックスの壮絶さ、テンポの伸縮も堂に入ったものです。素晴らしい。
再現部はクールダウンした感じで、しっとりと奏でられます。葬送行進曲も荘重であり、打楽器も控えめながら効果的に鳴らされます。
第2楽章は、SFSの弦が美しく、聴いていて気持ちがよいです。
第3楽章は、一転して速めのテンポですが、一糸乱れぬアンサンブルで、各楽器のつながりがスムーズです。トリオのファンファーレも輝かしく、その後の、のんびりした気分も上出来です。クライマックスの盛り上がりも、優秀な録音のおかげで、相当なものです。機械的な演奏ではなく、ぐっとテンポを落としたりすることもあり、変化と色彩に富んでいます。
第4楽章の独唱は、サンフランシスコ生まれのリーバーソンで、この録音の2年後に53歳の若さで亡くなってしまいました。そういうこともあってか、彼女の歌は心を打ちます。
第5楽章の冒頭はSFSの最大の音量で始まります。この音を再現したかったために、録音の音量が非控えめだったのでしょうか。第1部終わりの金管楽器は凄まじい音です。
第2部の打楽器はこれでもかというぐらいに長く引き摺ります。テンポはちょうどよいくらいですが、どこか余裕を感じさせ、じっくりと取り組んでいる感じがあります。そしてまた凄まじい音響。いったん落ち着いた後、再び激しいクライマックス。大規模管弦楽曲を聴く醍醐味を味わうことができます。
第3部は舞台裏のトランペットが巧いのですが、トップの人が移動して吹いているのでしょうか。合唱も上出来で、荘厳で美しいです。そして、バイラクダリアンも悪くないのですが、やはり。リーバーソンが良いです。合唱と管弦楽が最高潮の部分はMTTも緩急自在にたっぷりと得たわわせ、最後の一音まで全力投球で、力強い音楽でした。
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
マリア・シュターダー(ソプラノ)
モーリン・フォレスター(アルト)
ニューヨーク・フィルハーモニック
ブルーノ・ワルター(指揮)
1957年2月17日(ライヴ)
ニューヨーク,カーネギーホール
ワルターがニューヨーク・フィルとの演奏会で「復活」を指揮したのは、1957年2月14,15,17日ですから、このライヴは最終日、次のセッションはその翌日の録音ということになります。ずいぶん忙しい毎日で、ワルターの心臓に負担がかかったことでしょう。
ライヴとセッションとでは、モノラルとステレオという録音方式の違いや、音質の差もあり、演奏から受ける印象は若干異なるものの、録音年月日が1日しか違わないのですから、解釈はほぼ一緒です。歌手が異なる第5楽章だけを聴いてみました。
第5楽章第1部は、次のステレオ録音に比べると音質がよくないので聴き疲れしますが、感銘度は同じで聴いているうちに録音の悪さを忘れます。
第2部の打楽器の1回目のロールはこちらの方が若干長いですかね。ステレオ録音は1回目も2回目も短いです。それ以降はやはりステレオ録音の方に軍配を上げたいです。あちらの方が集中力が上と感じます、と書きましたが、クライマックスへの盛り上げ方などはさすがでした。
第3部の合唱は遠くに聴こえて明快ではありませんが、厳かな感じが出ているのはステレオ録音と一緒です。それにしても聴衆の咳がでかいです(もっと控えめに咳をしてほしいな)。ソプラノ独唱は、この交響曲では出番が少ないのですが、ステレオ録音のクンダリと比べると、シュターダーのほうがリリックで美しいと思えます。その後、合唱と管弦楽のピッチがやや合っておらず、居心地の悪さを覚えますが、アルトのフォレスターはステレオ録音と変わらない立派な歌唱でした。独唱・合唱と管弦楽のバランスはモノラル盤のほうが良いように思えますが、オルガンはステレオ録音ほど豊かに響きませんし、ラストはさすがに録音の限界を感じます。
終了と同時に盛大な拍手と歓声が湧き起こります。
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
エミリア・クンダリ(ソプラノ)
モーリン・フォレスター(アルト)
ウェストミンスター合唱団
ジョン・F・ウィリアムソン(合唱指揮)
ニューヨーク・フィルハーモニック
ブルーノ・ワルター(指揮)
1957年2月18日、1958年2月17・21日
ニューヨーク,カーネギー・ホール
【お薦め】
某人気指揮者(故人)がインタビューで「自分はこの曲の過去の録音を全部聴いていて、どんな演奏であったかを記憶している」と語っていましたが、録音により過去の指揮者の表現を自分の演奏に取り入れることができるという点では、後の世代が有利ですよね? 表現の抽斗が増えているわけですから。「復活」でも「お約束」の場所があって、後の世代ほどそれを忠実に再現しています。
しかし、ワルターは「復活」の演奏に際し、参考として他の指揮者の録音を聴くことなどできなかったでしょうし、する必要もなかったでしょう。マーラーの理解者で、交響曲第9番や「大地の歌」の初演者なのですから。
この「復活」は、ワルターの芸術をステレオ録音で後世に残すというプロジェクトの第1号です。優秀録音ではないですけれど、「復活」のような大規模管弦楽作品(しかも独唱・合唱付き)をステレオ録音で鑑賞できるのは、本当にありがたいことだと思います。
第1楽章冒頭は、ゆったりとたしたテンポで、ニューヨーク・フィルの豊かな音量による低弦に始まり、真に堂々しており、力強さも十分です。
展開部第1部は、第2主題から始まりますが、自然な歌を聴かせます。第1主題によるクライマックスも迫力も十分。第2部もフルートやヴァイオリンのソロもチャーミングで気持ちのよい音楽ですが、再び第1主題によって刺々しい雰囲気に移行し、第3部はニューヨーク・フィルの威力・底力をこれでもかと聴かせてくれ、壮絶なクライマックスを築いています。
再現部も管・弦のバランスが絶妙で気持ちがよいですし、結尾の葬送行進曲も重厚で濃密な味わいがあり、半音階風の下降も力強いです。
第2楽章は、ワルターらしい、歌心に満ちた音楽です。第1楽章もそうでしたが、弦が常に主張しており、第2トリオでも金管に負けないくらい強いです。この楽章は長く感じるときもあるのですが、この演奏はニューヨーク・フィルのツンデレみたいな演奏が興味深く、楽しく聴けました。
第3楽章も、ニューヨーク・フィルの各セクションの実力を思い知らされる楽章で、どこがどうというよりも、全てが聴き所となっており、あっという間に時間が過ぎていきます。これこそマーラーという感じがします。
第4楽章の独唱は、モントリオール生まれのフォレスターで、前日のライヴ盤と同じです。ワルターが「復活」の適した歌手として抜擢されたこともあり、表情豊かな名唱を聴かせてくれます。独語の発音もバッチリです。
第5楽章第1部は、マーラー直伝であるのか、淀みの無い進行で、お手本のようですが、機械的な演奏ではなく、大きな抑揚・呼吸があり、クライマックスも自然な盛り上がりを聴かせます。どうでもいいことですが、シンバルがタンブリンのように聴こえます。
第2部の打楽器のロールはすごく短いです。録音における最短ではないでしょうか。その後もよいテンポで、ニューヨーク・フィルの弦楽・木管セクションvs金管セクションの競演といった趣があり、疲れを知らないエネルギーを感じます。
第3部、「偉大なる呼び声」は速めのテンポで長さを感じさせません。合唱は古い発声のように思えますが、厳かな感じが良いです、声を重ねるのはエミリア・クンダリで、この「復活」と、同じワルター指揮のベートーヴェンの第9が代表的な録音になっている人ですが、力強い声で、フォレスターとの二重唱も声質がよく合っています。
ニューヨーク・フィルの金管は、遠慮を知らないので、合唱の音がもう少し大きめに収録されていればなおよかったのですが、ラストは非常に感動的で力強く締めくくられます。もう一回始めから聴いてみたいと思ったくらいです。
音質に関して言えば、初期のステレオ録音なので、少々古くさいですし、小音時にはヒスノイズが目立ちますが、鑑賞に差し支えるほどではありません。心から【お薦め】です。
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
ミヒャエラ・カウネ(ソプラノ)
ダグマル・ペチコヴァー(アルト)
北ドイツ放送合唱団
ラトヴィア国立合唱団
ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団
シモーネ・ヤング(指揮)
2010年10月24・25日
ハンブルク,ライスハレ
女性演奏家は多くても、女性指揮者が少ないのはなぜか? Wikipediaで女性指揮者を検索すると、30人の名前がヒットしますが、その中でもシモーネ・ヤングほど活躍している人は(おそらく)いないでしょう。彼女が2005年から2015年まで音楽監督(後任はケント・ナガノ)を務めたハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団による「復活」です。
第1楽章冒頭は、あっさりと始まります。あまり劇的ではなく、のんびりとした気分で、鼻歌を歌っているような感じです。対して第2主題は可憐ですが、これはどの演奏でも同じこと。録音のせいか、重厚ではなく軽めです。速めのテンポですいすい進行しますが、あまり深刻ぶらないところが聴き易いとも言えます。
展開部第1部はぐっとテンポを落とし、滑らかでよく歌わせています。弦に続く管楽器の表情が美しく、懐かしさと素朴さを感じさせるもので、この辺りと、クライマックスへの進行はまずまずで、冒頭の鈍さはなんだったのだろうと思います。リズムのキレはよいのですが、あまり感情移入をしていないのが物足りなさを感じさせます。例外的に、女性的な第2主題になると表現が濃くなるのが興味深いところです。結尾の葬送行進曲はあっさりしているがゆえに、寒々とした感じが出ています。
第2楽章は、やや速めで、味付けはあっさりめでしょうか。木管が登場するやメルヘンの世界に変貌します。古典的な美しさがあり、トリオなど切れ味の鋭さが鮮烈な印象を受けます。ヴァイオリン主導型で、もう少しチェロが大きくてもよいのではと思うところもありますが。
第3楽章がなかなか良く、両翼配置も生きており、木管のちょっとした節回しの工夫が面白いのですが、繰り返されると飽きます。トリオも重たく、もう少し軽やかで輝かしいほうが好みです。
第4楽章の独唱はペチコヴァーで、最も有名な録音はこの「復活」のようです。少し暗めの声で、重たいですが、オーケストラの音色には合っています。
第5楽章第1部も、録音会場の音響のせいか、少し重めで、舞台裏の金管が遠くに感じます。
第2部冒頭の打楽器は結構凄まじく、また、シンバルの強打が珍しいです。その後はテンポは遅くないものの、重く粘る表現(録音のせいもあります)のため、いささか精細さを欠きます。これで録音がもう少しパリッと冴えていたら別の印象もあったであろうと惜しまれます。
第3部は、舞台裏が遠めなのは先述のとおりですが、夜鶯までの雰囲気はなかなかよいです。そして北ドイツ放送合唱団が優秀です。この合唱を聴けただけでも、ここまで我慢して(?)聴き続けた甲斐があったというものです。しかし、ミヒャエラ・カウネのソプラノの歌い方ににちょっと癖があるのが残念。ただ、アルトのペチコヴァーとは声の相性がよいみたいです。
この合唱のおかげもあり、クライマックスは充実した響きですが、オルガンはもう少し音量があればよかったですね。
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
ユリアーネ・バンゼ(ソプラノ)
アンナ・ラーション(アルト)
スイス室内合唱団
チューリヒ・トーンハレ管弦楽団
デイヴィッド・ジンマン(指揮)
2006年2月10-12日
チューリヒ・トーンハレ
【お薦め】
1995年から2014年までチューリヒ・トーンハレ管弦楽団の音楽監督・首席指揮者であったジンマンによるマーラー「復活」です。ジンマンであれば何か変わったことをやってくれるのではないかと期待しつつ聴きました。
まず、鮮明な録音に心を奪われます。大規模管弦楽作品は、このような録音であってほしいです。
第1楽章の第1主題及び第2主題の提示はオーソドックスです。特徴としては、ヴァイオリン両翼配置(コントラバスは向かって左)であることぐらいでしょうか。音圧の高い金管楽器の歯切れの良さがアクセントになっています。
展開部第1部は、穏やかでのんびりした雰囲気で始まり、次第に元気がよくなります。第2部は録音の良さもあって瑞々しいです。第3部のおどろおどろしい開始からクライマックスまで迫力は十分なのですが、大規模オーケストラによる大交響曲をあまり意識させない演奏です。
再現部も、ことさら深刻ぶらず、バランスの良さを重視した表現で、緻密ではあるけれど、あっさりとしている印象を受けます。
第2楽章もその延長線上にあり、爽やかな抒情性を感じさせるもので、プロポーションが美しいです。ジンマンならではのこだわりも随所にあることはあるのですが、全体としては、やはりオーソドックスで奇をてらわない演奏です。
第3楽章は、やや速めのテンポで柔らかく流麗な表現が素晴らしく、磨き上げられたトーンハレ管弦楽団の響きが美しいです。両翼配置の面白さも手伝って聴き応えがある楽章でした。
第4楽章の独唱が、ストックホルム生まれのアンナ・ラーションであるのは、アバド/ルツェルン盤と共通で、(少し癖がありますが)ドイツ語の発音もよろしく安定感のある歌唱を聴かせます。
第5楽章も、前4楽章と共通で、聴いていてとても気持ちがよいです。最上に保たれた各楽器のバランスに適切なデュナーミクにアゴーギク、非の打ち所のない演奏です。
第2部も期待を裏切りません。あまりにも破綻無く進行するのがかえって物足りないくらいです。
第3部の合唱は、よく訓練された見事な歌声で、二人の独唱も最後まで充実した歌唱を聴かせてくれます。
ケチの一つも付けたくなるぐらい、ほぼ完璧なこの曲の再現と言ってよい演奏でした。
最後に、ハインリヒ・フォン・ボックレット編やブルーノ・ワルター編のピアノ版「復活」をご紹介しようと思いましたが、この辺で私の根気も尽きてしまいました。猛暑なので仕方がありません。
次回からは、もう少し短めの曲の聴き比べをしたいと考えています。