【前口上】
モーツァルトの「レクイエム」から紹介音源が飛躍的に増えた拙ブログですが、運営上の問題が生じております。録音が古いものから順番に紹介していますが、実はこれがすごく大変なのです。
シリーズ物の記事を書くための最初の作業として、全ての音源の録音データを調べなければならないのです。こういう時、一番ありがたい、良心的なサイトは、HMV & BOOKS online さんです。きちんと録音データが書かれていることが多く、すごく助かっています。とはいえ、調べるのはやっぱり大変で、「レコード芸術 クラシック・データ資料館」のメンバー登録を更新しておくべきでした。
そこで、今回は初の試みとして、演奏者名をアルファベット順に並べて紹介していこうと思います。最初に登場する演奏者の録音データさえ調べれば記事が書けるのです。
モーツァルトの「レクイエム」やフランクの「ヴァイオリン・ソナタ」のような曲では、演奏様式という点で古い年代から開始することに意義があるのですが、今回取上げる曲は、皆無ではないものの、年代が大きな影響を及ぼすものではないだろと思料しましたし、同じ演奏家の録音が並ぶことによって(個人的な意見として)どの録音がベストかということが書けるのも大きなメリットでしょう。
なお、リクエストも頂戴していて、その曲の予習もしていたのですが、いろいろありまして(書けない曲もあるのです)選曲が二転三転し、今回取上げる曲は「交響曲」になりました。「交響曲」は書庫のトップにあるのに、なんと2013年5月18日のモーツァルト「ジュピター」を最後に投稿が途絶えています。自分で驚いているくらいですから、初めていらっしゃった方は放置ブログだと思うでしょう。
とにかくマーラーの曲を書こうとずっと以前から考えていたのです。今しかない、今ならまだ書ける、今のうちに書いてしまおう、書きいておきたい!
【曲目】
グスタフ・マーラー:交響曲第2番 ハ短調「復活」
以下、Wikipediaより抜粋しました。いつも大変お世話になっております。
【作曲年代】
1888年から1894年にかけて作曲
【楽曲構成】
第1楽章
アレグロ・マエストーソ まじめで荘厳な表現で一貫して
ハ短調 4/4拍子 ソナタ形式
演奏時間は19~25分程度
第2楽章
アンダンテ・モデラート きわめてくつろいで、急がずに
変イ長調 3/8拍子 ABABAの形式
演奏時間は9~12分程度
第3楽章
スケルツォ 静かに流れるような動きで
ハ短調 3/8拍子 三部形式
演奏時間は9~12分程度
第4楽章
「原光(Urlicht)」 きわめて荘重に、しかし素朴に
変ニ長調 4/4拍子 三部形式
演奏時間は4~6分程度
第5楽章
スケルツォのテンポで、荒野を進むように
ヘ短調 - 変ホ長調 4/4拍子 拡大されたソナタ形式
演奏時間は33~38分程度
【演奏時間】
約80分
【楽器編成】
フルート 4(ピッコロ持ち替え 4)
オーボエ 4(コーラングレ持ち替え 2)
小クラリネット 2
クラリネット 3(バスクラリネット持ち替え 1)
ファゴット 4(コントラファゴット持ち替え 2)
ホルン 10(そのうち舞台外に4)
トランペット 6 + 舞台外に4
トロンボーン 4
チューバ1
ティンパニ 2人(8台) + 舞台外に1台(計3人)
シンバル 2 + 舞台外に1
タムタム 2
大太鼓 +舞台外に1
小太鼓 1以上の複数
グロッケンシュピール
鐘(音程の定まらないもの3種)
ルーテ(むち)
ハープ 2台
オルガン
弦五部(16型)
ソプラノ独唱
アルト独唱
混声合唱
【マーラーによる解題】
第1楽章
私の第1交響曲での英雄を墓に横たえ、その生涯を曇りのない鏡で、いわば高められた位置から映すのである。同時に、この楽章は、大きな問題を表明している。
すなわち、いかなる目的のために汝は生まれてきたかということである。……この解答を私は終楽章で与える。
第2楽章
過去の回想……英雄の過ぎ去った生涯からの純粋で汚れのない太陽の光線。
第3楽章
前の楽章の物足りないような夢から覚め、再び生活の喧噪のなかに戻ると、人生の絶え間ない流れが恐ろしさをもって君たちに迫ってくることがよくある。それは、ちょうど君たちが外部の暗いところから音楽が聴き取れなくなるような距離で眺めたときの、明るく照らされた舞踏場の踊り手たちが揺れ動くのにも似ている。
人生は無感覚で君たちの前に現れ、君たちが嫌悪の叫び声を上げて起きあがることのよくある悪夢にも似ている……。
第4楽章
単純な信仰の壮快な次のような歌が聞こえてくる。私は神のようになり、神の元へと戻ってゆくであろう。
第5楽章
荒野に次のような声が響いてくる。あらゆる人生の終末はきた。……最後の審判の日が近づいている。大地は震え、墓は開き、死者が立ち上がり、行進は永久に進んでゆく。この地上の権力者もつまらぬ者も-王も乞食も-進んでゆく。
偉大なる声が響いてくる。啓示のトランペットが叫ぶ。そして恐ろしい静寂のまっただ中で、地上の生活の最後のおののく姿を示すかのように、夜鶯を遠くの方で聴く。柔らかに、聖者たちと天上の者たちの合唱が次のように歌う。「復活せよ。復活せよ。汝許されるであろう。」
そして、神の栄光が現れる。不思議な柔和な光がわれわれの心の奥底に透徹してくる。……すべてが黙し、幸福である。そして、見よ。そこにはなんの裁判もなく、罪ある人も正しい人も、権力も卑屈もなく、罰も報いもない。……愛の万能の感情がわれわれを至福なものへと浄化する。
(以上、Wikipediaよりコピペいたしました。)
【第4楽章・第5楽章の歌詞】
第4楽章 原光
第5楽章 復活
(対訳:広瀬大介)
【各演奏に対する私の感想】
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
キャロル・ネブレット(ソプラノ)
マリリン・ホーン(コントラルト)
シカゴ・シンフォニー・コーラス
シカゴ交響楽団
クラウディオ・アバド(指揮)
1976年2月
シカゴ,メディナ・テンプル
早速生じた、指揮者名アルファベット順の問題点。マーラー指揮者として評価の高いバーンスタインやアバド、ブーレーズが初回に登場してしまうのです。自分の中の基準づくりという点では、それもよいかもしれないし、もう後戻りはできません。
アバドの「復活」は複数の録音があります。ウィーン・フィルとの1965年ライヴがMemoriesから発売されていますが、シカゴ響との1976年から始めます。アバドの録音の中でも最もパワフルなオーケストラですが、あまりそういうことを感じさせない演奏です。良く言えば全体に品が良く、そうでなければ無難なのですね。ここ一番というときの迫力がなく、物足りなさも感じますが、第2楽章の端正な美しさ、第3楽章のティンパニの快音と、シカゴ響の抜群に巧い管と弦、第5楽章冒頭その他では、さすがシカゴ響といえる迫力を聴かせてくれます。
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
シェリル・ステューダー(ソプラノ)
ヴァルトラウト・マイアー(アルト)
アルノルト・シェーンベルク合唱団
エルヴィン・オルトナー(合唱指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
クラウディオ・アバド(指揮)
1992年11月(ライヴ)
ウィーン,ムジークフェラインザール
この頃アバドは既にベルリン・フィルの芸術監督に就任していたのですが、(あえて?)ウィーン・フィルを起用してのライヴ録音です。
これは良い演奏だと思ったのです。シカゴ響盤と比べてというより、今回こちらを先に聴いて、端正な音楽づくりに好感を持てましたし、アバドの指揮もこちらの方がより積極的ですし、オケをよく歌わせているのが何より素晴らしいと思います。もちろんウィーン・フィルの鮮やかな音色(ふるいつきたくなるような弦楽器)も貢献しています。録音による効果なのか、打楽器軍もこちらのほうが凄まじい迫力がありますよ。第2楽章もより繊細で豊かなこちらが上、第3楽章はお客さんの咳が止まないうちに始まるのが惜しいけれど、アバドはこういう曲が上手ですね。これもシカゴ響よりこちらが上です。第4楽章はマイアーで、さすが立派な歌唱と発音です。油断していると第5楽章の冒頭でびっくりします。ライヴのせいか、力がこもっていますね。この楽章ではウィーン・フィルの柔らかい音色の金管楽器も魅力的です。聴き所の Molto ritenuto. Maestoso 以降も出だしは強力ですが、追い込まないテンポのせいか、やや地縁しているようにも感じられます。ここぐいぐい押してとおころ。
高名なアルノルト・シェーンベルク合唱団が素晴らしい歌声を響かせます。マイアーとステューダーの二重唱も上々。ただ、クライマックスに向かって、壮大さが不足しているようにも思われました。
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
エテリ・グヴァザヴァ(ソプラノ)
アンナ・ラーション(メゾ・ソプラノ)
オルフェオン・ドノスティアラ合唱団
ルツェルン祝祭管弦楽団
クラウディオ・アバド(指揮)
2003年8月19日、20日(ライヴ)
ルツェルン音楽祭コンツェルトザール
【お薦め】
第1楽章冒頭はルツェルン祝祭管の力強い弦に引き込まれます。掴みはOK。2000年に病に倒れたアバドですが、全然衰えておらず、ぐいぐいと進行していきます。ルツェルン祝祭管がアバドに全幅の信頼を寄せており、力演を繰り広げます。過去の2つの録音と異なり、攻めの音楽づくりを感じます。第2楽章も意外に速めのテンポで、過去の抒情性より歌謡性に解釈の重点を移したのでしょうか。第3楽章は録音の効果と申しましょうか、各楽器が明瞭で楽しいです。ルツェルン祝祭管って本当に良いオーケストラです。
ウィキペディアによれば、
2003年にクラウディオ・アバドがオーケストラの芸術監督に就任したのを期に、マーラー室内管弦楽団の団員を中核として、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバーや、ザビーネ・マイヤー、コーリャ・ブラッハー、マリオ・ブルネロ、ナターリヤ・グートマン、ハーゲン弦楽四重奏団やアルバン・ベルク弦楽四重奏団のメンバーなどが参加して新たに結成され、2006年10月には来日公演も行われた。日本人ハープ奏者の吉野直子も時々参加している。
だそうです。これは映像を観なければいけませんね。
第4楽章もアンナ・ラーションが格調の高い歌唱を聴かせてくれます。第5楽章も常に弦が積極性を示し、トロンボーンやホルンのアンサンブルが秀逸、木管は美しく、打楽器の打ち込みは常に効果的です。
思い出したのですが、テレビでこの演奏を観たことがあり、ソプラノが「信じよ おまえはむなしく生まれたではない! 空しく生き 苦しんだのではない!」というところで、ポロリと涙がこぼれたのでした。
オルフェオン・ドノスティアラ合唱団も立派です。
オルガンを強調しないところも、効果をねらわないアバドらしいですが、でも、とても感動的な演奏でした。
なお、ルツェルン祝祭管とのライヴ映像もあり、このCDの翌日、2003年8月21日の収録となっています。これは購入しなくては!ですね。
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
ビヴァリー・シルズ(ソプラノ)
フローレンス・コプレフ(コントラルト)
ユタ大学シビック・コラール
ユタ交響楽団
モーリス・アブラヴァネル(指揮)
1967年
アブラヴァネルは、1963年から1974年にかけてマーラーの交響曲全曲録音(ヴァンガード)を行っています。第1楽章のコントラバスはずいぶん明るく、鼻歌のようで、ちょっと違うと思ってしまいます。その後もあまり深刻ぶらず、悲劇的ではないマーラーです。腰が軽いのですね。
そのような演奏ですから、第2楽章が良いのは当然で、豊かな歌が聞こえ、第3楽章も楽しく聴けました。第4楽章もコプレスの独唱が良く、第5楽章のユタ大学の合唱はずいぶん明るい声で地声に近い感じですがまぁOKでしょう。ラストはもう少し盛り上げてほしかったですね。曲の長さが目立ってしまった演奏でした。
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
アニー・フェルバーマイヤー(ソプラノ)
ソーニャ・ドレクスラー(アルト)
オーストリア放送合唱団
ウィーン交響楽団
F. チャールズ・アドラー(指揮)
1956年3月29日
チャールズ・アドラー(1889-1959)は、ロンドン生まれで後に米国に移住した人ですが、ドイツ、オーストリアで多く活動した指揮者だそうです。「マーラーの弟子の一人」で、1910年の交響曲第8番の初演では合唱指揮者を受け持ちました。
この録音はオーストリア放送協会による聴衆のいない会場での録音です。
残念ながらステレオ収録ではありませんが、モノラル末期ですので鑑賞の妨げにはならない良好な録音です。この頃のウィーン交響楽団はけして優秀なアンサンブルとはいえない箇所がところどころにありますが、なんとも味わい深い演奏をしていますよ。
アドラー指揮の演奏の特長がよく出ているのは、第2楽章でなんとも懐かしい歌を聴かせてくれます。マーラー存命中の時代にはこのように演奏されていたのでしょうか。
第3楽章も良い出来で、この曲の諧謔性がよく出ています。第4楽章でソーニャ・ドレクスラーというアルトを初めて聴いたのですが、真摯な歌唱と思いました。第5楽章冒頭も録音の限界がありますが、なかなかの迫力です。オーストリア放送合唱団は民衆の合唱という感じですが、バスにすごい声の持ち主がいます。この合唱のバスパートはものすごく低い音があるのですが、ちゃんと歌っています。合唱が大きめの録音に好感触。
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
シドニー交響楽団&合唱団
ウラディーミル・アシュケナージ(指揮)
2011年11月(?)
シドニー・オペラハウス,コンサートホール
【お薦め】
指揮者アシュケナージは、マーラーを好んで指揮しているようで、第3番にはベルリン・ドイツ響を指揮した1995年のライヴがあり、2010年から11年にかけてシドニー交響楽団と行った交響曲全曲コンサートの際に録音した全集があるのかもしれません。「かもしれません」と書いたのは、いくら調べてもわからないからで、この「復活」も録音データが不明です。Spotify には音源があってライナー画像も検索すれば入手できるので、発売されたことはあるのでしょう。あるけれど、あまりに売れなくてすぐ廃盤になってしまったのでしょうか。
前置きが長くなりましたが、これは名演だと思います。私が「復活」を指揮する機会があったら、このような演奏を導き出したいものだと思わせる演奏です。シドニー交響楽団、なかなかやるじゃん!という感じで、この当時、首席指揮者・芸術顧問だったアシュケナージに献身的な演奏をしています(でも、終楽章は少し冗長に感じてしまいましたが)。
録音も優秀です。こんなところでこんな楽器が鳴っていたのかと手に取るように判る録音。この演奏をCDで入手できないのがとても残念です。
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
マリア・シュターダー(ソプラノ)
ジャネット・ベイカー(メゾ・ソプラノ)
聖ヘドヴィヒ教会合唱団
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
サー・ジョン・バルビローリ(指揮)
1965年6月(ライヴ)
1964年、バルビローリがベルリン・フィルの定期でマーラーの第9番を指揮したとき、その演奏のあまりの素晴らしさにベルリン・フィルが希望して急遽EMIに録音することになったというのは知られた話ですが、そのような経緯からすれば、その翌年のこの「復活」もさぞかし素晴らしい演奏なのではないかと期待に胸が膨らみます。
最初に断っておきますが、録音は残念なことにモノラルでで、レンジの狭さを感じますが、聴き易い音質ではあります。
第1楽章冒頭は出が揃いませんが、たいした問題ではありません。バルビローリは結構自在にテンポを操っていて、時に荒々しく時に優しく、変化の都度、名技集団のベルリン・フィルが懸命に棒に食らいつこうとしています。ただ、十分なリハーサル時間を確保できなかったのか、さしものベルリン・フィルでもミスがあります。いや、それもたいした問題ではないのです。
第2楽章はバルビローリらしく、良く歌う演奏。ふっと音を沈めたりするところなど表情豊か。この楽章は全曲の中では物足りなさを感じることもあるのですが、まさしくマーラーが書いた音楽なのだと実感させられます。弦のポルタメントもさりげなく、バーンスタインのようにこれ見よがしになっていないところがよいです。
第3楽章も前楽章同様です。木管楽器のふとした歌にはっとさせられり、音楽の浮沈に不思議な気持ちがします。こんな表現は誰にも出来なかったでしょう。
第4楽章はバルビローリの振幅の大きな指揮に合わせてジャネット・ベイカーが見事な歌唱を聴かせてくれます。
第5楽章はそれぞれの場面に合わせてバルビローリとベルリン・フィルが当意即妙の演奏をしています。音楽が切迫するところでは、バルビローリのうなり声さえ聴こえます。ただ、何でしょう、あまり感動的ではないのです。ベルリン・フィルの金管にミスが多いように、オケに疲れが出ているのかでしょうか。再現部に入り、いいところで子供の叫び声(?)が聞こえるのは残念。重厚な合唱を聴かせる聖ヘドヴィヒ教会合唱団の歌声が見事。この楽章は26分25秒のところで終わってもよかったのでは?と思わされます。その後は再びバルビローリのうなり声が目立つようになり、歌手を煽っているようです。ラストに向かう、たたみかかけるようなテンポも興奮を誘います。打ち鳴らされる鐘は音程が定まらないものと指定されていますが、これは定まらな過ぎて全然オケに合ってっていないような。
だらだと書いてしまいましたが、結論として、HMVレビューで絶賛されているような演奏には思えなかったのです。そういう意味では期待外れに終わったのですが、貴重な記録であることには変わりなく、ご紹介しておきたいと思います。
それにしても、やはりこれはステレオ録音で聴きたかったなぁ。これを録音したエンジニアも、まさか50数年後まで聴き継がれるとは思ってもみなかったでしょうね。
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
リー・ヴェノーラ(ソプラノ)
ジェニー・トゥーレル(メゾ・ソプラノ)
カレジエート合唱団
ニューヨーク・フィルハーモニック
レナード・バーンスタイン(指揮)
1963年
【お薦め】
バーンスタインが初めて「復活」を指揮したのは1948年で、これはその15年後の演奏であり、史上初のマーラー交響曲全集の中の「復活」です。ざっと計算してみたところ、トータル演奏時間は約85分でしょうか。24年後の演奏よりメリハリが効いていて、キリッと引き締まっており、初めて「復活」を、是非バーンスタインの指揮で、という方にはこちらをお薦めします。なお、私が初めて「復活」を聴いたのはメータ/ウィーン・フィル盤で、それはまた後日書きます。
1958年に、アメリカ生まれの指揮者として史上初めてニューヨーク・フィルの音楽監督に就任すし、同フィルの黄金時代をもたらした」という、スター指揮者バーンスタインが、自分の枠の中にマーラーをねじ込み、力で(その才能で)マーラーを自在に料理しており、マーラーを指揮するのが楽しくてしかたがない、という印象を受けます。このとき既に45歳なのですが、音楽が若々しく颯爽としていますね。
第2楽章はロマンティックな解釈で、今の演奏と比べると、やや古さを感じるかもしれません。第3楽章は新盤よりやや速めで、スマートなこちらの演奏を私は好みます。
ジェニー・トゥーレルというメゾはバーンスタインのお気に入りであったようですが、この時代、ドイツ語の歌唱とはこんなものだったのでしょう。
第5楽章は再びバーンスタイン全開という感じです。特に9分26秒からは胸のすく快演でしょう。かのブルーノ・ワルターが同じニューヨーク・フィルを指揮して「復活」を録音したのが1958年、あの演奏と比べてみたくなりましたが、指揮者名ABC順なのでワルターは一番最後の方ですね。ウェストミンスター合唱団は水準が高いです。特にバスはあの低い音をよく出していますね。ラストは後年と同じくオルガンのペダル音がよく響き、満足しました。ニューヨーク・フィルも輝かしいです。
なお、バーンスタインにはロンドン交響楽団との2度目の「復活」(1973~74年録音。映像収録もあり)もあるのですが、残念ながらそちらは未聴です。
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
バーバラ・ヘンドリックス(ソプラノ)
クリスタ・ルートヴィヒ(メゾ・ソプラノ)
ウェストミンスター合唱団
ニューヨーク・フィルハーモニック
レナード・バーンスタイン(指揮)
1987年4月
ニューヨーク,エイヴリー・フィッシャー・ホール
【お薦め】
これは繰り返しよく聴いた演奏です。多いときには一日に数回聴きました。私的にはこれさえあれば他は要らないというくらいの録音なのですが、今回久しぶり(10年ぶりくらい?)に聴いて驚きました。こんなにゆったりしたテンポの演奏であったのかと。遅いところなど止まりそうです。しかし、他の演奏よりも速いところもあり、メリハリがついているとも言え、時にすごい迫力を生み出しています。第2楽章など幻想的といっても過言ではありません。第3楽章はこの演奏が大好きでした。何気にグランカッサの重低音が効いていますし、他の打楽器のタイミングもバッチリです。第4楽章は名歌手のルートヴィヒを起用していますが、このテンポだと歌うのがつらいのではないだろうかと心配になります。息が続かない?
圧巻は第5楽章で冒頭の凄まじさ、は比類がありませんが、「ディエス・イレ」を素材とした、あのテーマが奏でられるときなど、とても感動的です。真骨頂は「展開部は、第1主題の叫びで開始される。コラール主題が加わってきて行進曲調となり、勇壮華麗に展開される。頂点で急激に静まると、不安げな動機が金管に出て、トランペットのファンファーレ的な音型を繰り返しながら今度はストレッタ的に急迫していく。第1主題がすべてを圧するかのように出ると、再現部に入ったことになる」の部分でしょうか。こういうところがバーンスタインは実に上手です。
合唱がクロプシュトックの「復活」を歌い始めるところもゾクゾクします。ヘンドリックスのソプラは癖のある歌声ですが気にするほどのことはなく、やはりルートヴィヒがとても立派です。
そして最高潮に達したときにオルガンの重低音がたっぷりとした音量で加わります。大満足です。
録音も優秀で「復活」のオーケストレーションを余すところなく捕えています。
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
ルート・ツィーザク(ソプラノ)
シャルロット・ヘレカント(メゾ・ソプラノ)
サンフランシスコ交響合唱団
サンフランシスコ交響楽団
ヘルベルト・ブロムシュテット(指揮)
1992年9月21-23日
サンフランシスコ,デイヴィス・シンフォニーホール
ブロムシュテット唯一のマーラーのセッションだそうです。いかにもDECCAの録音という印象で、思わず「High Fidelity(高忠実度、高再現性)」という今ではあまり使われなくなった言葉を思い出します。コントラバスのゴリゴリという音色が魅力的。第1楽章第2主題がこんなに切なく歌われるのも珍しいですが、全体に生き生きとした感じ、颯爽とした感じでカラフル、明るめですが、重低音はきちんと再生されます。なお、この楽章はマーラーにより「少なくとも5分以上の休みを置くこと」という指示があるのですが、本当に「間」があります。これを購入された方は不良品かと思わないでください。
第2楽章はブラームスを聴いているようです。なんというか、気品があるというか、格調が高い感じですね。第3楽章はやや速め、録音が全ての楽器をあますところなく伝えてくれるのが心地よいです。メルヘンチックな演奏。哀愁に満ちた第4楽章を経て、第5楽章は合唱が入るあたりからが真骨頂で、声楽陣は独唱も合唱も良い出来です。
マーラー:交響曲第2番ハ短調「復活」
クリスティーネ・シェーファー(ソプラノ)
ミシェル・デ・ヤング(メゾ・ソプラノ)
ウィーン楽友協会合唱団
ヨハネス・プリンツ(合唱指揮)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ピエール・ブーレーズ(指揮)
2005年5,6月
ウィーン,ムジークフェラインザール
ブーレーズは1994年から2010年にかけて、シカゴ響、ウィーン・フィル、クリーヴランド管、シュターツカペレ・ベルリンを指揮し、マーラーの交響曲と管弦楽伴奏付きの歌曲全集を Deutsche Grammophon 録音しています。この中には交響曲第6番のように私の愛聴盤も含まれており、水準の高いものとなっています。では第2番「復活」はどうでしょうか。
第1楽章は楽譜に書かれていることが全てという、ザッハリヒ(←最近は使われない言葉)な演奏という予感がしますが、予想したとおり、ブーレーズにありがちな、分析的・解析的な指揮です。しかし、ウィーン・フィルの鮮やかな音色が救いとも言えます。
第2楽章は端正な演奏で、例えばバーンスタインのロマンティックな解釈とはずいぶん異なります。最後までそれが続きます。
第3楽章は水が高いところから低いところへ流れてくように、すいすいと進行します。
(と、ここまで書いて違う演奏を聴いていたことに気づき、慌てて聴き直し、書き直しました。曲が長いともう一度聴くのが大変!)
第4楽章はミシェル・デ・ヤングの歌唱がよく、ブーレーズも歌の伴奏に徹していました。
第5楽章も展開部などオーケストラのコントロールは楽器のバランスなど最上に保たれ、それはそれで見事ではあるものの、指揮者は熱くならず、どこか冷静です。録音が貢献しているのか、意外なほど楽友協会合唱団がも美しいです。シェーファーとヤングの声質に近いものがあり、重唱もきれいに響いています。
【次週に続きます。カエターニ(指揮)からです。】